チクル妄想工房

ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

三題噺「赤道」「画家」「虹」

mixiの三題噺お題作成ツールから
「赤道」「画家」「虹」
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「七星(ななせ)の地球儀をとらないで」


 七星が珍しく私のアトリエにやってきた。丁度そのとき私は煙草を吸っていたので、煙の嫌いな七星はドアを閉めたところで立ち止まり逡巡しているようだったが、困っている我が子に簡単に手を差し伸べないのが私の教育方針。用事があるなら入ってきなさい、と一言言えば七星も安心するのだろうが、私は妻のように甘くはない。あいつはまったく甘いのだ。だから私は七星が入ってきたことにも気づかないふりをする。
 地球儀を描くという七星の宿題を私は妻から聞いていた。あなたの部屋に行くように勧めておくわ――私と七星のぎくしゃくした親子関係を気遣って、妻はそう言った。そして七星は部屋を訪れた――にもかかわらず、こうして七星は結局ドアの前で立ち止まって動けない。だから、私はいますぐ七星を叱るべきだろうか。だが妻ならばきっと――親は子供を頭ごなしに叱るべきではないわ――。私も妻に倣って、七星を叱らないことにする。煙草をふかしながら泣きそうな七星を横目で見る。
 描けと言われている地球儀がどのようなものかも私は妻から聞いている。居間のテレビの上に一週間前から置き去りにされていたソフトボール大の木球が、七星の地球儀だった。
「これが地球儀なのよ」と妻は言い、木球を拾い私に手渡した。煙草を持たない左手でそれを受け取る。素材はたぶん楢だ。
「表面に大陸を描くの」
 妻から話を聞いたときの私の感想は「やり様によっては面白い課題だ」というものだったが、精密な地図を描くには球が小さすぎる気がした。それに、小学生の宿題にしてはやや難しいかもしれない。
「もう少し大きかったらいい絵がかけただろうな」
「持ち帰るのが大変なのよね」と妻は現実的な意見を述べると、首を少しかしげて「画家のあなたが描けば金賞間違いないわね」と笑った。
 ――私は七星がドアの前で動かないことに、苛立ちを覚え始めた。七星がだんまりの私を苦手なように、私もだんまりの七星は好きではなかった。でも私は、せめて親として、子供の意思決定を待つくらいのことはしたかった。七星が私の前から立ち去るのであっても私は引き止めない、ただしそのとき、宿題は七星が一人でやるしかなくなる、少なくとも私の力を借りることはできなくなる。
「お父さん」七星が、恐々といった調子でようやく言葉を発してくれた。
「七星か」私は初めて気づいたふりをして、七星のいるほうを向く。七星の宿題を手伝うくらいどうということはないのだから、頼られれば断る気はない。
「お仕事中だった?」
「休憩中だよ。何か用があるのか」
 七星は背中に組んだ手に例の木球を持っていた。木球を胸の前に掲げて歩いてくる。七星の手の中にあると、小さな木球もそれほど小さくなく、七星の地球儀としては適当な大きさであるように思われた。
 私は、七星が次に話しかけてくるまでの間、妻に言われたことを思い出していた。
「木球に大陸図を描く作業は、七星にやらせてね。大陸の形を七星に教えるのがあなたの仕事だから、領分を逸脱した手出しはご法度ね」
「わかってるよ」私は妻の小言にうんざりしながら、円形の蛍光灯に向けて煙を吐いた。楢の木球は私の左手の中で滑り、回る。球面に描かれる大陸と海をイメージする。平野と山地と熱帯雨林と砂漠と海洋と氷床。
「お父さん、七星ね、明日までにやる宿題があって」私の足元で立ち止まった七星は、上目づかいで楢の木球を差し出した。
「この木の球がどうしたんだい」
「七星の木の球にね、地球を描くの。地球を描いて地球儀にするのが宿題なんだって」
「面白そうじゃないか。可愛らしい地球儀ができるよ」
 私は七星に背を向けて窓際の丸テーブルへ歩くと、半分以上残っている煙草をテーブルに置いてあるガラスの灰皿に押し付けた。七星は私が煙草を消す間一歩も動かず、居心地悪そうに木球の表面を十本の指でなぞっていた。
「お父さんに手伝って欲しいのかい?」
「そうじゃない。……ううん、そうなんだけど」
 私は七星の前に立つと、七星の手から木球を取った。
「これに大陸と海を描いて地球にするんだね」
「あのね、七星は大陸の形がわからないから、お母さんがお父さんに教わりなさいって」
「そう、お母さんが……」私は妻の顔を思い浮かべる。「お父さんも地理はあんまり詳しくはないんだけどね」
 七星に鉛筆と自分の絵の具を持ってくるように指示しておき、私は書斎へと向かった。地図帳があったはずなのだ。
 滅多に入ることのない書斎はドアを開けただけで埃の臭いがして、私は入るのを躊躇った。照明をつけるために書斎の床に足を載せると粉塵が舞いあがり、壁際のスイッチを押して点灯すると、舞い上がった粉塵が書斎を満たしているのが見えた。私は口元にハンカチを当てながら書斎に入った。地図帳は実用書の中に一冊、わりと新しいもの(それでも十年から昔のもの)があって、私はそれを抱えて部屋を出て、鍵を閉めた。――元来読書家であったはずの妻は、現在は新古書のチェーン店で買ってきた安い文庫本で満足しているみたいだが、書斎の鍵を私が持っていることを知らなかっただけかもしれない。
 部屋に戻ってみると私の描きかけの絵の前で途方に暮れている七星がいた。七星の手には入学祝いに買い与えた筆箱と絵具と、カラフルな表紙の地図帳があって、私は持ってきたばかりの古ぼけた地図帳を、ドアの横の小テーブルに静かに置いた。
 部屋の隅からモデルが座る椅子を持ってきて、私の椅子の隣に並べた。七星は地図帳の見返しに載っている世界地図を私に示した。なるほど、資料があっても、七星には平面を立体に書き写す要領がわからないのだ。私は七星から木球を借りて、試しにユーラシア大陸を描いてみた。するとすぐに「お父さん、描くのは七星が自分でやるから」と止められてしまい、やむなく筆を下した。
「思ったより難しいねえ」消しゴムをかけながら、七星に言った。
「やり方を教えて。コツとか」
 私も地球儀を作るのは初めてで、コツなど知るわけがなかった。妻に指示されているのは大陸の形を教えることだが、大陸の形は地図帳を見ればいいのだから、私にできることなど、あるのか。そう言えば、妻は――夕食の買い出しで家にいない。
「七星。七星の好きなように描いたらいいんじゃないか、その地球儀は……」
「お父さんは何でも教えてくれるって、お母さんが言ってたよ」
 私はどう答えていいかわからず、地球儀に目を落としたまま黙っていた。私ならどうするか、と想像してみた。下書きをして、色を塗る。下書きは鉛筆だから、間違ったら線を消して、何度でも描き直せる。七星が深刻に悩む気持ちがいまひとつ理解できなかった。七星は木の球に大陸の形を描く行為に私の知らないトラウマでもあるのだろうか。私は地球儀を無言で七星の手に押し込んだ。代わりに地図帳を借りて、世界地図を眺める。
 私はそこに赤道を見つけた。
「七星、最初に赤道を描いたらいいよ。赤道を基準にして大陸を配置するんだ」
「赤道ってなに?」
 地図帳を横切る赤い一本の線を指差して、これが赤道だよと言った。左から指を動かしつつ、「ほら。右までいったら左に戻るんだ。地球を一周して」
 私は七星の地球儀を取り上げると、パレットに載っていた絵筆でぐるりと赤い線を引っ張った。七星はそれを見て口を開きかけたが、何も言わなかった。私は筆を戻して、自分の引いた線を指差した。
「この線が赤道だと思いなさい。どうだ、わかりやすいだろう?」
 そう言って、赤道を描き入れた地球儀を七星に返す。七星は困惑した顔で、受け取った地球儀を凝視していたが、やがて啜り泣きを始めたので、私はポケットからハンカチを出して渡した。七星の気が落ち着くまで、私は泣きべそをかく七星を放っておくことにした。かといって絵の続きを描くわけにもいかず、何もせずただ七星を見守り続けるという状況になった。
 鼻をすする音がしなくなった頃合いをみて、「じゃあ大陸を描こうか」と持ちかけた。七星は頷いた。
 地図帳を示しながら、地球には大陸が六つあるのだということと、大きな海が三つあるのだということを教えた。大陸の色を地形によって塗り分ける方法を提案すると、七星はほぼ私の言うとおりに色を塗った。七星は元々私に対して口数が少ないが、大陸を描いている最中、私の言葉に対して一言も返答しなかった。それが勝手な手出しをした私に対する反抗だったのか、それとも別の感情からの行動だったのかはわからない。
 地球儀に余白がなくなったところで、七星は「できた」とだけ言って私に地球儀と筆を渡した。私はまだ乾ききっていない地球儀を落とさないように指先で支えて観察する。学校の採点基準はわからないけれど、小学生の仕事にしては綺麗に塗れているほうだと思ったので、「上等だよ。よく塗れてる」と評価した。七星は何も言わなかったし、表情も変えなかった、どころか、地球儀ばかり見つめていて、私のことなど忘れているみたいに見えた。
 しかし、一点だけ、私の描いた赤道が塗りつぶされてしまっていたのが気になって、私は何気なく筆に赤を取って、薄くなった赤道に重ねて一周させた。
 地球儀が乾くまで窓際の丸テーブルに置いておくことを許した。七星は自分の絵具を持って部屋を出ていった。
 私は、仕事をする気分ではなくなっていた。
 翌日目覚めたのは、七星が学校に出てからだった。昨日妻が買ってきた食パンをトースターに入れてタイマーを回し、自分と妻のぶんのコーヒーを淹れる。私がジャムバターのトーストの朝食を済ませるまでに、台所で洗い物をしている妻は三回あくびをした。
 朝食を終えてコーヒーを飲んでいると、妻は私の隣に座って話しかけてきた。
「七星の宿題はどうだった。難しかった?」
「そうだね、小学校の宿題にしては難しいね。でも面白かったな、ユニークだよ」
「あなた、塗ってあげたの?」と私の目を見る。妻は相手を探るとき、両方の眉を上にあげる癖があった。
「いや。七星の宿題だから、私は塗り方を教えただけだ。七星はなかなか上手に塗っていたよ。喜んでいたかい?」
 妻は答えず、コーヒーカップを傾けた。一気飲みのような飲み方だった。
「七星の地球儀に、虹が描いてあったけど、あれもあなたが教えたの?」
「虹? いや、違う」
「そう……。あれさ、私から見たら奇抜すぎて変な感じだったんだけど、あなたのセンスではオーケーだったんだ」
 私は想像してみる。地球儀に虹。虹は地球から見えるものだけれど、地球儀にも虹があって、地球儀から見えるのか、それとも、地球儀の虹が地球から見えるということだろうか。
「七星の地球儀だからな、オーケーも何もないよ。君がどんな感想を持つのも自由だけど」
 と言うよりは、そもそも私は虹のことなど知らない。私の前で、七星は地球儀に虹を描かなかったはずなのだ。
「そうだよね。あなたに手を出すなと言っておいたのは私だったよね」
 妻はカップを持って席を立った。私のカップには、まだコーヒーが半分ほど残っている。少量を口に含むと、やはり香りは飛んでしまっていて、しかも温かった。私は砂糖とクリームを入れた。
 妻は気づいていないけれど、私はまた妻に嘘をついた。私は赤道を描いたのだから。妻の言うことに嘘がなければ――地球儀に虹が描いてあったとするならば、七星が赤道を虹に描き変えてしまったのだ。いや、可能性はもう一つある。妻が赤道を虹に描き変えてしまったことも考えうる。だがどちらにしても、七星は赤道よりも虹が好きだった、ただそれだけのことに過ぎないのだ。そう。些細なことであって、私は何らこのことを気に掛ける必要などないのである。

おわり
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リズム感の欠片もない…w