チクル妄想工房

サークル「小公園」の仮拠点です。ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

妹の日記念小説

 妹の日のうちに書き上がるよう、大急ぎで書きました。9月6日は妹の日らしいです。残念ながらこちらに載せるのは日が変わってからになってしまいましたが、mixiでの公開は間に合いました。
 という事情のため、推敲をしていないので、非常に粗いです。
三題噺、お題は「窓際」「プール」、3つ目のお題は「ビリヤード」だったのですが、なかなか思いつかず、じっくり考えている時間がなかったので「妹」ということにしました。
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 居間のドアの前に立ったときテレビの音が、ドアの下の隙間から漏れていて、一瞬開けるのを躊躇したけれど、この時間に家事手伝い兼アルバイターの姉がいるはずがないから、どうあっても部屋に入るべきだった。午後の二時、外は暑い盛りだが、家の中で何をするわけでもなく、ろくでもない番組を見て時間を潰すだけの妹がきっとソファで寝転がってアイスキャンデーをくわえて甘い匂いをゆらゆら揺らして、まどろんでいるのだろう。ふっと目を閉じて、ぼとり、とフローリングにわざとらしく蟻の餌を落とすと、口元から床まで薄い色素の混じった液体が繋がって、粘っこい汁のこぼれた床を拭きもせず、寝たふりなのか本当に眠ってしまったのかわからないほど寝たふりの上手い妹は、僕が入ってくるときに限って、僕の拭き掃除が見たくてたまらないといったような、そんな有様だった、と僕は思っている。いつも妹だけの居間に入るたびに、前回と同じ光景を見つけた。
 窓際で直射日光を浴びながら、直接床の上に大の字になってぐったりしているとき、妹の肌は極めて透明だった。揺り起こされるのを待っているのが一目瞭然で、また今日も僕に起こしてもらいたいんだな、と気づいてはいても、こいつ息をしたまま死んでいるんじゃないか、生きたまま剥製にでもなっているのか、正体が判然とせず不安で、すでに窓側の半身は侵食されてしまったようにも思えて、素肌に触れることは一度もなかった。靴下の上から足首を引っ張ったり、尻を触ったりが関の山だった。妹は幸せそうな顔をして、目を瞑ったまま首を横に向けて、太陽に不器用なキスをするように、微笑んでいて、僕は思わず寝顔(?)に見入ってしまう。窓際、というのは常に他人の視線にさらされる危険に満ちた場所だ。僕の立っている妹の背後という領域は、妹にとって予想通りで、でも妹のいる場所は僕にしてみればあまりにも不自然で、やっかいだ。僕はこうして得体の知れない視線から妹を守ってやらなければならないのに、素知らぬ顔で侵入口を開いている張本人の妹を起こすことは難しい。冷房をきかせた室内でそこにいる意味は、ない、というのに。ましてや寝転がっているなど、もってのほか。妹は僕がいつでも妹を犯せるし殺せる妹の内側に両足とも侵入していることに気づかず、気づこうという意思もどうせありはしない。裏切りをまるで予想していない。だからこそ無防備に寝息を立てている(ふりをしているのだろうか)。
 僕の部屋には冷房がない。扇風機がほぼ一日中モータ音を鳴らして頑張っているのを知らないふりして、一人で本を読んでいることが多かった。本を読むときは直射日光の当たらない、部屋の隅にある机の上と決まっていて、太陽が高くて日光が入らない夏の間、そこは薄暗い。雨空の下では読書に支障のあるほど暗いので、昼間のうちから部屋の内装や自分自身の手の平や束ねた紙の束を、ただそれだけを明るく照らすために蛍光灯をつけて、煙たいような深すぎる呼吸に、徐々に体を慣れさせていく。そうすると、家ごとどこかに沈んだように、ぐるりと裏返って僕自身から背けられた僕の視線が、僕の表皮を見つめる。部屋も家も閉ざされて容易には開かない。ガラス一枚隔てた向こう側で、くぐもった振動をとどろかせて、滝を裏側から見るように夕刻の驟雨が降り注いでいる。晴れ上がってしばらくするとやがて太陽は沈んでいくはずだけれど、沈みかけを僕は見たことがなかった。知らないうちに四角い土地がマジックミラーに生き埋めになり、妹が心配で、毎夜、僕は妹の部屋に飛んでいきたい気分になった。
 窓際というのは敷地の外を見張る見張り台であると同時に、いつ撃たれてもおかしくない命がけの場所だ。最前線ではないにしろ、ひとたび声を上げれば自分が誰であるか顔も名前も声も宣伝しているのと同じで、だから恐怖が付きまとう。妹がそこに寝るのを僕は決して許したくないのに、妹は寝たふりなのだからどうしようもない。諦めきれない僕の方にもしかすると問題があるんじゃないだろうか……? 反省も学習も放棄した妹の態度には、そう思わせられることもしばしばだった。だが姉が返ってくると妹は即座に飛び起きて、床に垂れた食べ物の汁を拭いて、ざざっとカーテンを閉めてしまう。玄関の音を合図にして――鍵を閉めないのが姉で、閉めるのが父だった。妹はテレビの大音量の中それを正確に聞き分け、正確にカーテンを閉めた。これまでに一度も間違ったことはなかった。
 露出好きの姉は外出のとき、肌の露出の多い服を着て、僕といるときも無意識に露出の多い恰好を選ぶ。外見だけは身を守っていそうな、嘘つきの妹とは正反対だった。正直者という意味でも、露出の多さでも、そして鉄壁の自衛心も、煙草を吸うことも大酒飲みなことも。何から何まで、少なくとも僕の目にはそう見えた。家の中で見せる笑顔は双子みたいにそっくりだった。三人で出かけることは滅多になかったが、今年の市民プールでは姉の美貌は大勢の人の中で際立っていた。僕は妹と二人、プールサイドに尻をついて並んで、かき氷を食べながら姉の泳ぐ姿を眺めていた。僕はその日妹からひとときも離れずに、猛暑の中、汗をかきつつ、息を殺して、透明な家になって、かき氷と焼きおにぎりばかり食べていたのだった。僕と妹は三時間いたプールで一時間ほどしか水に触れなかった。僕はただひたすらに、頭一つ低い妹を有害な太陽やその他のいろいろなものからかばうために、化学繊維百パーセントの後ろ半分がメッシュのキャップ帽を命綱にして、妹にもおそろいのものを無理やりかぶせて、そこを動くな、と言わんばかりに厳しい顔で、それでいて心臓がいまにも止まりそうで……。こんなに危険で楽しい場所はない!
 こんなに危険で楽しい静かな場所はない。僕が優柔不断だから、寝たふりなどという古典的で幼稚な嘘にうろたえてしまう。生まれた瞬間から放り出された肉体を伴わない有無を言わさぬ双方向性という摂理が僕と僕の妹を侵し続ける。知らないうちに皮膚が崩れて、真皮がえぐられて、皮下組織が露出してもなお透明で無味無臭、無刺激な無数のフォークが僕と僕の妹を突き刺してつまみ食いをする。朝食昼食夕食……と何度も何度も無遠慮にだ。コートを着て帽子をかぶってブーツをはいても容赦なく突き抜けてくるフォークの攻撃に妹は耐えられない、と僕は心配で耐えられない。暗闇の深海に閉じ込めて鍵をかけて、三度の食事だけ与えて剥製にしたかった。お前はここから出ないでくれ、僕が狂ってしまうから。妹が僕に向けて嘘の笑いを浮かべる限り、僕は厚さが一ミリもない脆弱な鎧ひとつの身体を盾にして、立っている、ずっと、それがお前の望みならば、いや望みらしいから。