チクル妄想工房

サークル「小公園」の仮拠点です。ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

アイマス24話は難解だった

 舞台の上での春香さん。子供のころに描いた「アイドルになりたい」という夢は叶ったはずだった。人気も出て仕事も増えたし、春香さんの「いま」は、春香さんが追い求めてきたものであるはずです。それなのに春香さんは、「つかみかけた夢が零れ落ちてゆく、さらさらと音を立てて」と感じている。舞台のセリフですが、春香さんの心の内を語っています。
 アイマス終盤の中心となっている「アイドル業」と「みんな一緒」の両立問題とは別に、春香さんがずっと孕んでいた問題。ずっと語って欲しいと思っていた問題ですが、いざ問われることになったときに春香さんがどうなってしまうのか心配でもありました。「なぜアイドルになろうと思ったのか」。春香さんがこれまで「夢」「憧れ」という言葉で、ぼんやりしたイメージのままにして先送りにしてきたことであり、いつか真剣に考えなければならなかったことでした。1話の「あなたにとって『アイドル』とは?」に始まって、11話の「どうしてアイドルになろうと思ったの」、17話の「アイドルとしてどんなふうにみんなに思われたいか」、21話の「アイドルって何かしら」等。他の子は明白でした、なぜならアイドルは他の目的を達成するための手段だったから。現在は当初の目的だけを持って仕事をしている子はいないと思いますが、当初はそうだった。でも春香さんは、最初からいままで、よくわからなかったんですね。「(歌で)幸せを届ける」ことや「キラキラ輝く」ことみたいに、春香さんにとっての「アイドル」ははっきりした言葉になっていない。ずっと「アイドルであることがアイドル」であるまま春香さんはアイドルを続けてきたんです。

 舞台下へ落下したPの手術は無事に成功、ですが絶対安静で面会も控えるようにと。生きててよかったねP、春香さんのために死んでほしくなかった。生きていたのはいいのですが、結局春香さんはPに相談できずじまい。Pの助力が得られない、というのは初めての展開というわけでもなく、20話で千早の復活もPの力ではなかった。千早は春香さんや他の仲間たちのお蔭で立ち直れたんです。そのとき、千早に拒絶されて自信をなくしていた春香さんがPに励まされまされたように、今回は千早がPの後押しを受けて動くことになります。でも、それは春香さんに対してではなく、みんなに対してです。千早のおかげでみんなは春香さんの本当の気持ちに気づくことができた、春香さんは春香さんで悩みぬいた末に自分の「アイドル」にようやく向き合うことができた、24話はそういう話でした。「みんな一緒」と「春香さんにとってのアイドル」は独立した問題じゃなく、春香さんにとって同じところに根差していたみたい。
 さりげなく千早が日本に帰ってきていますが、仕事はもう終わったのでしょうか? 春香さんは千早たちの呼びかけに対して、放心していてすぐに反応できない。「大丈夫?」には「大丈夫だよ」と、大丈夫なはずがないのに。春香さんはせっかく会えた千早にも相談できないでいます。忙しくなれば一緒にいられなくなるのは仕方がないのです。春香が寂しい思いをしていることを千早はわかっていて、そのことを春香もおそらく察している。やはり春香さんに寄添えるのは千早しかいないのですが、その千早に春香さんは頼れない。春香さんが仲間に頼ることをしない理由を千早は知っています、春香さんを助けるには、千早が一人で何かを言うのではなく、みんなが気付いてあげるというそのことしかないとわかっているんです。
 舞台の上の春香さん迫真の演技、ではなく春香さんの心の叫びなんですよね。悲鳴。演劇の登場人物を演じているのではなく、春香さんが、春香さんを演じている、と言いたい。仲間に言えない悩みを舞台の上で初めて大声で叫んだんです。単に「寂しい」という春香さんだけの問題ではないから、千早にも簡単に話してしまうわけにもいかず、仲間に言えないから、こういう形でしか春香さんは叫べない。ここは見ていて辛かったですね。涙を振り絞りながら叫ぶ悲痛な表情。春香さんの心の底からの悲鳴が、美希を圧倒するほどの迫力になって春香さんを主役に押し上げてしまったのは、なんとも皮肉な結果というしかないです。
 「夢だったの」「あの楽しかった日々は、一体どこへ?」「時は過ぎていく、私一人を置き去りにして」「どうすればいいの?」「私は、一体どうすれば。わからない、私にはわからない!」春香さんはどうすればいいのかわからない、それなのに、舞台もライブの練習もひとりで頑張る姿があります、「頑張らなきゃ。頑張らなきゃだよね」と前に進むことをやめることはできない。23話のみんなと同じように春香さんも自分の仕事に追われ、スケジュールの「合同レッスン」「全体レッスン」には次々に×印が付けられていく。みんなの絆を取り戻したいはずが、自分もアイドルとしての仕事に呑まれている。「仕事としてのアイドル」の力に押し流されていって、「夢」「憧れ」はどこかへ消えてしまいそうになる。このままだといけない。でも、どうしようもなかった。春香さんの力だけではどうにもならなかったんですね、みんなとの絆も、ついには自分のスケジュールすらも侵食されていってしまう。20話ではどうしようもなくなってしまいかけたときにPが後押ししてくれましたけれど、今度はそうはいかない、自分が怪我をさせてしまったPに相談にいくことなんかできません(Pは春香さんを孤立させるために怪我をさせられたのではないかと思います。気の毒です。登場人物のこういう乱暴な、物語進行上都合のいいように操っているような扱い方はまどマギを思い出す)。
 だから、どうしたらいいかわからない春香さんは、追い詰められてどうにかしようとライブ以外の仕事をすべて休んでライブに集中したいと言い出す。春香さんの暴走。もちろんそんなことが許されるはずがありません。ですが、春香さんは「私たちのライブ、駄目になっちゃいます」と訴える。全体練習が多少不足していても今の765プロにしてみればさして問題ないかもしれませんが、春香さんにとっての「私たちのライブ」というのは「ライブの成功」だけじゃない。「もしかしたらこのライブが全員でやる最後のライブかもしれない」というのは、事実として春香さんの言う通りかどうかではなくて、春香さんが、みんながばらばらになってしまいそうなのを見ているから、そういった不安を覚えずにはいられなかった、ということだと思います。それを聞いた美希は、「春香はわがままだよ」と。本気で取り組んでいた舞台の主役を譲ることになったのに、それを簡単に捨てようとしている春香さんの言葉を聞き流すことはできないでしょう。でも、春香さんにとっては舞台よりもどんな仕事よりもライブが、「みんな一緒」が一番大切なんです。このシーン、律子に向かうときの春香さんの足音とか動きがすごいですね、春香さんの焦りがすごく表現されてる。でもどんなに必死に頼んでも、りっちゃんは「無理言わないで」しか言わないし(言えないんですけどね)、美希にも叱られてしまう。絶望ですよね、どんなにあがいてもどうにもできない。興奮して滅茶苦茶なことばかり言って、りっちゃんと美希になだめられる春香さん。「春香、ぜんぜん楽しそうじゃないよ。楽しかったら、そんな顔しないもん」と美希。「楽しかったのに。楽しかったはずなのに、いつからなんだろう」「ただ、わたし、みんなと」「どうしたかったんだっけ……どうしたかったのかな……」と春香さんマジ泣き。「楽しそうじゃない、楽しかったらそんな顔しない」と春香さんの「アイドル」の部分について面と向かって言われてしまい、気持ちの逃げ場がありません。ただみんなと一緒にいたかった、それだけのことがアイドルをしていれば叶わなくなってくる。「どうしたかったんだっけ」。どうしてみんなといられないだけで「アイドル」としての自分に疑問を抱いてしまうのか。「夢」「憧れ」でアイドルを続けていた、アイドルであることがすべてだった春香さんが、自身の「アイドル」に疑問を抱く。11話の千早宅での夕食シーンの会話を思い出します、「春香はどうしてアイドルになろうと思ったの」と千早が言っていました、歌しか眼中になかったころ「アイドル」であることに疑問を感じていた、そんな時期が千早にもありました。美希は泣き出す春香さんを見て困惑する。美希にはどうして春香さんがここまで追い詰められているのかわからないんですよね。
 りっちゃんは春香さんを休ませることにします。「どうすればよかったのかしら」。こうなる前に何か言ってあげたりしてあげたりできなかったのだろうか、と。りっちゃんは残念ながらPの代わりにはなれませんでした。春香さんがいなくなったことで、ダンスレッスンのスタジオからは誰もいなくなってしまう。
 
 真たちが言われた言葉、一緒にいる時間が減ればお互いのことがわからなくなっていく、それは、現在そうであるだけではなく、これから先なお距離は広がっていくということです。伊織は、個人で活躍できているから765プロということにこだわらなくてもいいのではないか、とスタッフに言われて、「そんなこと……」と反論しようとしますが、「そんなことは『ない』」と言い切ることはできない。なぜなら、もしかすると自分はスタッフの言ったのと同じように、個人のことばかりで「765プロ」という意識をなくしていたかもしれないから。りっちゃんは言います、「みんな、自分たちの仕事を一生懸命やっていますから、仕方ないです」。
 春香さんは家に閉じこもっています。これもいつかの千早との対比でしょうか。春香さんがベッドで寝ていると、春香さんの母親がドアの向こうで声をかけてくれる。閉じこもって外に出ようとしない春香さんに、気分転換を勧めてくれる。ベッドで仰向けになって放心して天井を見ている春香さんに、ごめんなさい、僕、エッチな感覚を覚えてしまいましたが、健全な男子ならば正常な反応ですね。反応とか言っちゃいけない。
 ジュピター再登場は唐突過ぎて笑ってしまいましたが、何のためにいたのかわからなかった彼らだから活躍の場を与えてくれてありがとう、嬉しい限りです。とーま君は「まぁ、だから、お前らをちょっとは見習ってみたってところだな。なんていうか、団結力っていうか、仲間の絆ってのが、お前らのパワーの源だろ」と恥ずかしいことを照れくさそうにしながらもわざわざ口にします、うまく言い表せずになんとか続けてまともなことを言おうと考え込む、何こいつ可愛い……目覚めそう。21話でもPに直接謝ったり、そういう子ですもんねとーま君は……可愛い。「絆」は、春香さんがずっと大切にしてたことです。春香さんが必死で守ろうとしていたのに誰も耳を貸してくれなかったことを、自分でもそれが正しかったのかどうかわからなくなっていたところを、思いがけずジュピターのとーま君に、絆っていいもんだなと認めてもらえた。もしかすると自分は間違ってなどいなかったのではないか。23話24話の中で、春香さんを初めて認めてくれた、春香さんにとっては初めて救いになる言葉でした。
 千早は春香さんのことでPに相談します、と思いきや、「春香のこと」というよりも「みんなのこと」なんです。千早は春香さんを悩ませていることが何なのかきちんと理解しているんです。それとも、もしかしたら、千早が春香と同じ考え方だからこそ、千早にとって「みんなの問題」だった、ということかもしれない。千早は自分が他のアイドルたちに話ができないでいる理由も含めて、今回の件を「ある家族のこと」としてPに話す。20話の春香さんのように、大切な人が悩んでいるのに力になれないことを、今度は千早が春香さんのために悩んでいる。今回もPの役目はアドバイスのみです、怪我してますしね。誰かが転ぶとすぐ手を伸ばして助け合う家族が、いつの間にか離れ離れになっていた。「転んだとき、いつも真っ先に手を伸ばしてくれた人が、ひとりで悩んでしまっているのに、それを助けられないほど、みんなが遠く離れ離れに」。春香さんのことを真っ先に手を伸ばしてくれた人と千早は言う。11話から千早は春香さんのことをずっと見てきました。春香さんが自分のことを常に心配してくれていたこともわかっているし、千早のことだけではなくてみんなを励ましてくれた、元気づけていてくれたこともちゃんと見ていたし知っています。「いまなら取り戻せるかもしれない。でも、それが正しいことなのか、自分にできることなのかわからなくて」。みんながアイドルとして活躍しているなか、春香さんやばらばらになりつつある765プロの絆のためとはいえ、「みんな一緒」を優先させることが果たして正しいことなのか。前回と今回で、春香さんをみんなとのすれ違いから孤独に突き落とした問題です。千早の「765プロの絆を取り戻す」ことは春香さんと同じ行動ですが、春香さんと違うのは、千早が今回の件に関して第三者に近い視点を持っていること。海外に行っていた千早は、「みんな一緒」を捨てられない春香さんと、「アイドルとしての成功」を優先する他のアイドルたちとのすれ違いのプロセスに参加していないから、どちらにも加担しないで一歩下がった視点から状況を分析することができました。帰ってきたらとんでもない状況になっていたわけですが、22話で春香さんを見守っていた千早は、「春香さんがみんな一緒にいることを大切に思っている」ことと「みんな忙しくなってきて、みんなでいられる時間は減ってきている」ことがせめぎ合っていることを目の当たりにしていて、目の前の状況がいかにして引き起こされたかを理解することができたということ。千早が「私は、これまで家族と、いい関係が築けませんでした」と言ったときはドキッとしました。千早自身と765プロのみんなとのことを言っているのですが、千早は実際に血のつながった家族といい関係が築けていなかったんですよね。「だから、自信がなくて」という言葉は、765プロのみんなに伝えたいことをうまく伝えられるかどうか自信がない、という意味ですが、それだけではなく、血のつながった実際の家族といい関係が築けていなかったがゆえに、765プロのみんなとの上手な接し方がわからなかった、という千早の隠れた悩みでもあったんじゃないかと思うんです。家族とうまくやってこれなかったから、身近な人との適切なコミュニケーションの取り方を学べなかった、みたいな。とはいえ、見ていた限りでは、11話あたりから大事なところでは千早は積極的に発言していたと思いますが。765プロを大切に思っていたのは春香さんだけじゃなくて、家族と絶縁状態にあった千早には、自分のことを大切に思ってくれる人が長い間いなくて、自分のために歌を作ってくれて、声を取り戻してくれた765プロこそが家族だから、千早にとっても765プロの絆は大切なのです。765プロの絆をいつでも守ろうとしていた春香さんに寄添いながら、春香さんの目線を借りて世界を見ることもあったかもしれない。Pに後押しされ、千早は行動を起こします。みんなをダンススタジオに集め、みんなに自分の思いをぶつける。千早ちゃん積極的ですねえ。
 春香さんは公園にいた幼稚園児の集団に見つかり、せがまれて一緒に歌を歌います。みんなで仲良く歌を歌っている幼稚園児たちに、765プロのみんなの姿が重なる。すぐ近くにいた子供に声をかけようとすると、その子は幼少時代の自分でした。「春香ね、おっきくなったらアイドルになりたい。アイドルになって、それで、みーんなで楽しく、お歌を歌うの」。ロリ春香さんめっちゃ可愛い! 「アイドルになって、それで――」で途切れてしまった冒頭と繋がっています。春香さんは失くしてしまった「夢」を取り戻した。春香さんがアイドルになろうと思った理由は、「みんなで楽しく歌を歌う」ことだった。春香さんが小さいころに見たアイドルは765プロみたいなグループだったのかもしれませんね、アイドルたちの歌で会場が熱気に包まれて、それはきっと春香さんが味わったことのない「みんなで楽しく」だったのかもしれない。子供たちに765プロのみんなが重なって見えたのは、「小さいころの春香さんと友達との思い出」「小さいころ春香さんが憧れていた『アイドル』」「仲良しでいたころの765プロ」「春香さんがこれからそうあってほしいと願う765プロ」と、春香さんの心理を多重に投影していたんじゃないかなと思います。
 少し前まで当たり前だった「みんな一緒」が、仕事が増えることで叶わなくなった。みんなのステップアップは大事なことだし、活動の場が広がればすれ違いが増えるのも仕方がない、だから春香さんはみんなに何も言えなかった。という、視聴者にとっては今更すぎる解説を千早がしてくれます。「一人一人のステップアップはアイドルとして大切なこと」だから「春香は何も言えなかった」と千早は言っていますが、千早は聞いていなかったけど「舞台を休む、だからみんなも」と美希やりっちゃんの前で言っていたんですよね春香さん。他人の迷惑を顧みない発言をするというのは春香さんらしくないですが、それほど春香さんは限界状態だったんですね。765のみんなは春香さんの「みんなで練習しよう」が、「単に練習のためのみでなく、ともに過ごしたいという心のあらわれ」だったことを千早の言葉によって初めて知ります。23話最初の練習や歩道橋のシーンで、千早は明らかに気づいていましたけれど、他のみんなは自分の仕事が忙しくて春香さんの気持ちどころじゃなかったんでしょうね。真の言うように「僕たち(みんな)が気付くべきだった」んです。春香さんは「みんなの負担になるかも知れないから」言えなかったし、千早が春香さんに「大丈夫だよ、みんな一緒だよ」と言うのでも駄目で、だってそんなことは春香さんにもわかっていて、わかっているけれど765プロが現実にばらばらになっていっていることが問題なんです。誰かが「大丈夫」と口で保証してあげるのではなく、実際に765プロが元のように絆を取り戻さないといけない。千早は「春香のためだけじゃなく、これは私の願いなの」と付け加える。歌を失いかけたときに手を差し伸べてくれた765プロは、自分にとって新しい家族だと千早は言います。千早と母親は、母親が「無理なんです。今更信頼なんて、もう」「私たち親子は、ずっとそうでしたから」と言い捨ててしまうような関係であって、一家離散して戸籍上どうこう以前に信頼関係が存在しないから千早にとってもはや家族でも何でもない。「家族」は765プロだけなんです。ある意味で春香さんよりも切実です。「仕事を第一に考えるのは私たちの使命かも知れない」ということも、千早はわかっていて、わかっているうえで、「諦めたくない」とはっきり言う。春香さんとは違ってはっきり言える、というか言わなきゃいけなかった。誰よりもみんなのことを考えてくれていた人を助けるために、そして誰かが躓いたときに助け合うことのできる765プロを取り戻すために、「家族」に「大切なことはちゃんと伝えなきゃ」いけなかったんです。「みんな千早と同じように」「家族のことを大切に思っている」ということを千早は「信じている」から。「家族ってそういうもんだよ」。20話でPが春香さんに言ったことと同じです。「気持ちはちゃんと届いてる」、春香や他のみんなが千早のことを大切に思っていることは千早に伝わっている。24話なら、みんな765プロを大切に思っている。そう信じて、言いたいことをきちんと伝えるべきなんだと。要するに、仲間を信じろということなんです。どんなにすれ違ってしまっても、本当に伝えたいこと、お互いにとって本当に大切なことは、家族ならばきっと共有できるはず、そう「信じろ」、「信じているなら行動できるはずだ」とPは言っているんだと思います。無責任な言葉などではなく、Pが765プロのみんなを一年近く見守ってきて、アイドルたちが互いに信頼し合っていると確信しているからこそのアドバイスなんです。
 人には帰属する場所が必要なんでしょうね、人は「家族」という共同体を作って生活します。家に帰れば家族が迎えてくれる。帰ることのできる場所を失ってしまうことは、耐えられないことです。千早は独り暮らしで家に帰っても誰もいませんし、一度家族を失っています。春香さんは誰もいない事務所に寄ってから帰っていました、いまではPさえもおらず事務所は本当に空っぽになってしまいました。遅れてきた美希は、「生っすか!?」の後番組のMCのオファーを断ってしまった理由を「迷子になっちゃいそうだったから」だと言います。アイドルの仕事は美希にとって楽しく、「だから前ばっかり見て、どんどん走って」いたけれど、このまま進んだら迷子になると気づいた。「どこへでも行けるのは、ただいまって帰れる場所があって、そこで笑ってくれる人がいるからかなって」。心を病んでしまった春香さんを見て、美希は自分なりに考えたんですね、春香さんが「みんな一緒」でいることにこだわった理由を。それに、「生っすか!?」の後番組ということは、その時間はみんなと一緒だった時間を潰して出来た時間であり、そこを活躍の場とすることは、ただ古いものから新しいものへの更新に従うだけではなく、765プロを犠牲にして立つことになるのではないかと美希は感じたかもしれません。ここは美希が仕事を蹴った理由をみんなに聞いてもらっているのではなく、美希が考えつめて辿り着いた彼女の意思を、他のみんなが聞いているという場面です。
 かつて過去に縛られながら走り続けていた千早、いま前だけを見て走り続けていた美希。二人とも、春香さんに帰れる場所のあることの幸せに気づかされたんです。「ただいまって帰れる場所」として、みんなが強い絆で繋がった765プロは、765プロのアイドルたちの誰にとっても必要な場所なんです。
 春香さんは小さいころの自分と手を繋いだまま、初めて全員ライブを開いたホールの前に。「みんなで楽しく歌って踊って、子供のころからそうだったね」春香さんが幼いころの自分を見る穏やかな顔。「私のみんなで楽しくが、みんなの負担になっちゃわないかなって思ったら、怖くて」と言ったときの寂しそうな顔。小さいころの記憶はそのままで、かけがえのないものであっても、仲間が大切だからこそ「みんなで楽しく」を言葉にして伝えることができなかった。でも、「大丈夫だよ、きっと大丈夫」と、子供の姿の春香さんは、仲間と一緒にライブをしている自分の姿に変わって「だって、私はみんなを信じてるもん」と、春香さんにキャラメルを渡します。キャラメルは6話のアイテムですが、Pが事務所で春香さんにもらってから、何日もたって忘れていたころにポケットから偶然取り出したもの。「時と場所をこえて誰かが自分のことを思い遣ってくれている」ということの象徴だと僕は解釈します。仲間はいつだってどこにいたって春香さんのことを考えてくれている。春香さんだってみんなのことをいつでもどこでも考えている。家族ってそういうもんだよ。みんなだって、離れ離れになることを望んでなどいない、みんな一緒であることを願っているはず、それこそが765プロの在るべき姿なんだ。22話で春香さんが感じたことや千早と話したこと、ジュピターに言われたこと、そして小さいころの「夢」「憧れ」から、春香さんのなかで答えが形を成していく。春香さんは「みんなを信じて」いる。Pが千早に言ったことと同じ。春香さんは20話ですでにPから同じ言葉をもらっています。春香さんは自分がみんなを「信じている」ことを再確認しました。
 ビル壁面のモニターでニューイヤーライブの宣伝。勢ぞろいした765アイドルたちが春香さんに向かって「待ってる」と。「私たちの場所で」。春香さんや千早が失くしたくないと思っていたものです、失われかけていたけれど繋ぎとめることができた。誰もいなくなった場所にみんなが戻ってきたんです。EDの最後では、「ただいま」と事務所に帰る春香さんをみんなが「おかえり」と迎えました。765プロは家族で、春香さんはずっと家族の帰るはずの場所に一人で待っていて、春香さんとみんなとの間ですれ違いもあったけれど、千早の説得でみんなは絆の大切さに気づき、春香さんも自分が大切にしてきたものがかけがえのないものだったと改めて気づいて、765プロは家族としての絆を取り戻すことができました。



 という話です。イイハナシダナー。初見は春香さんがライブ会場の前で小さいころの夢を思い出すシーンで泣きました。けれど、何度も思い返しているうちに、ちょっと待てよ、という違和感が生じ、いくら考えても消えることはありませんでした。24話に僕は納得がいっていない。
 春香さんと他のみんなとのすれ違いは、「アイドルとしての成功」と「みんな一緒」という、アイマスを貫いてきた二つの柱の対立構図です。と、僕は以前書きました。21話までは二つの柱がぶつかり合うことなく、765プロは順調に成長してきたと思います。5話が最初の伏線だったのですが、両立の難しさが現実問題として浮かび上がってきたのは22話でした。23話では「アイドルとしての成功」が優位に立っていましたが、24話では突然力関係が逆転して、「みんな一緒」が最終的な結論となったわけです。上の二項の対立における解決策として今話で示されたのは次のことです。春香さん側としては「みんなを信じる(みんなも同じなんだということを疑わない)」ことで、みんなの側としては「春香さんがみんな一緒を望んでいることを認める(私たちも同じだと気づくこと)」です。これらの成果によって「みんな一緒」が答えとして選ばれた、ということになります。
 23話での見事な葛藤を受けての24話だとすると、今回の解決は不自然なくらい支障なく運びすぎているんです。23話はアイドルたちは人気が出てきて個人の仕事が増えたからみんなで集まれなくなったけれど、春香さんだけが現実を受け入れられずに抗おうとして悩みこんでしまうという話でした。打って変わって24話では、いや765プロの方針としては春香さんの意見を尊重すべきで、みんな元のように仕事を犠牲にしてでも仲良くやろうと。それでも、みんなの意思が23話から一変したことについては、違和感はありますが、一応説明はつくと思います。24話では千早が765プロの絆を繋ぎとめようと奔走し、春香さんの望んでいた状態を春香さんの代わりに作り上げました。千早も春香さんと同じことを望んでいて、春香さんにはできなかったけれど、千早ならばできた。千早の活躍が、22話から24話の3話を費やして語られてきた問題の解決に繋がったわけです。24話において、「アイドルとしての成功」と「みんな一緒」のどちらをとるかという「答え」として、765プロのみんなが「みんな一緒」を選んだ形になります。23話で「アイドルとしての成功」と「みんな一緒」を真剣に悩んでいたのは春香さんだけで、24話では千早と美希は自分で気づいていましたが、他のみんながこの問題に目を向けたのは千早の言葉を聞いたときが初めてです。それでも「春香さんが悩んでいる」と知り「千早もみんな一緒を望んでいる」と知れば「アイドルとしての成功」を捨てることを即座に決断するくらい765プロの絆は強かった、ということが言いたかったんでしょう。春香さんや千早が「信じた」とおりに。
 ただ、理屈はわかるのですが、見ている側としては、心境の変化があまりにも急すぎるんじゃないかなという印象は否めませんでした。そしてこの解決のプロセスは、春香さんを地の底まで追い詰めたことの意味をまるごと失わせてしまっています。24話の理屈でいいますと、春香さんは「悩む必要なんかなかった」ことになるわけですよ。24話の結論に至るプロセスは、春香さんのなかの葛藤が消化されていく過程を描いてはいないんです。24話で設定されていたゴールは「みんな一緒」であって、そのためには765プロのみんなが春香さんを迎え入れる必要があり、そうなると春香さんの問題ではなく、むしろ765プロのみんなの意識の問題ということになります。これは23話とはまったく正反対の方向性なんですよね。23話は「みんな一緒」が「アイドル業」に侵食されてしまうことを「春香さん」がいかに受け止めるかについて、これから描いてくれんだろうなあ、と期待させる内容でしたが、その回答編といえる24話では「みんな」が「アイドル業」を犠牲にしてでも神聖なる「みんな一緒」を取り戻す、という話になっていました。
 あと、美希ですね。彼女は6話から13話で進化しています。美希がまっすぐ進んでいるのも前半での成長があったおかげです。それなのに、「このまま進むと迷子になっちゃう」といって、せっかくの仕事を蹴った。美希が仲間入りをするとは思えない、と以前書きましたが、してしまいましたね。「生っすか!?」の後番組というのがネックだったのでしょうか、とすれば、そこにあるのは「みんなへの後ろめたさ」です。美希の決断は、一応美希なりの熟考のうえでのことだったようですが、春香さんを助けるためだけのものではなくて、美希自身の今後の身の振り方を決めるものでもあるんですよね。美希だけじゃなくて、765プロ全体について同じことがいえます。「アイドル業」を犠牲にして「みんな一緒」を選ぶという、24話における彼女たちの決断は、この場限りの問題ではないんです。だからこそ、この話の決断は、美希にしろ他のみんなにしろ、もっと慎重にすべきだったと感じます。
 でも765プロのみんなが出した答えそのものの是非については、僕は何も言うつもりはありません。ただ僕はそこに辿り着くプロセスが気に入らなかったのです。もちろん別の答えもあったはずですが、彼女たち自身が「みんな一緒」を選んだのならば、それでいいんじゃないかと思います。
 春香さんの自己解決についてもちょっと書いておきます。春香さんが一人で考えるべき問題として「なぜアイドルになったのか」があったから仲間の力を借りるのではなく春香さんに自分自身と対話させたのでしょうけれど、春香さんの幻視が春香さんを応援したのは、「春香さん自身が春香さん自身を肯定した」ことに他ならないわけです。予告のように「私が間違っていたのかな」と春香さんが思っていたとすれば、春香さんが自己肯定に到ったのに24話は十分な説得力を持っているかどうか疑問です。「春香さんの自己肯定」の要因は「ジュピターからの絆の肯定」と「子供時代の夢」と思われます。これらによって春香さんが得られるのは「絆は大事なもの」ということの再確認です。しかし、みんなに自分の気持ちを言えない理由として「私のみんなで楽しくが、みんなの負担になっちゃわないかな」という不安がある。これを打ち消すのが「みんなを信じる」こと。では「みんなを信じる」はどこからきたのかというと、春香さんのなかに最初からあったとしか言えないんです。ずっと765プロとして活動してきたことによって、春香さんの心のなかに積み上げられていったものです。20話のPのアドバイスもきっかけにすぎません。今話でも「そうか、みんなを信じてみよう」ではなく、「そうだ、私はみんなを信じている」という「気づき」が春香さんを救いました。しかし、春香さんがみんなを「信じる」気持ちそれ自体は、24話ではまったく強化されていないのです。それなのにどうしていきなり「信じる」ことを思い出したのか不思議です。この部分はどう解釈していいのかいまだにさっぱりわかりません。それに「私はみんなを信じている」からといって、他のみんなが「みんな一緒を選ぶ」かどうかはわからない。「アイドルとしての成功」と「みんな一緒」の対立という問題に絶対の正解などなく、どちらを選ぶかは選ぶ人の価値観に寄るしかないのであって、みんなも自分と同じ答えを出すであろう、というのは春香さんの思い込み、願望でしかないのです。それに関しては「家族ならば大切なことは共有できている」というのがPの意見でした。Pがアイドルたちをずっとそばで見てきて、彼女たちの絆が本物だと確信していたからこそ出てきた意見なのですが、春香さんは何を思ったか一足とびに自己肯定に走ります。「みんな(の意思)を代表した春香さん」に、「キャラメル(=いつでもどこでも絆で繋がっていることを表す)」を、自分自身にプレゼントさせるんです。春香さんの中にあるみんなの像を、春香さんは自分に都合のいい姿で形作ろうとしている。「私たち765プロは家族であり強い絆で結ばれている」ということを春香さんは真実として思い込むことにし、「だから私の思いは伝わるに決まっている」と自分の中だけで結論しているんです。そもそもこの問題が「アイドル業」と「みんな一緒」の対立であったことを春香さんは脇に置き、「絆を大切に考える私の意思」が、春香さんの中ではすでに正解になってしまっています。あとは「いかに思いを共有するか」という課題しか残りません。僕は春香さんが自分にキャラメルを渡したのがすごく怖かった。結果的には春香さんが「絆を大切に思っていたこと」も「765プロのみんなが春香さんと同じ気持ちだった」ことも、物語の結論と照らせば間違っていなかったことになるのですが、春香さんは結論を知ってから行動したわけではない。だから春香さんの自己解決のプロセスはなんか違うよなあ、と思ったのでした。春香さんを悩ませていたのは、アイマスという作品において極めて重要な葛藤だったはず。ここを結論ありきで進めてしまったことは実に残念でした。というか、たぶんやっちゃいけなかった。

 24話の内容についてはそんな感じですね。内容以外で気になったのは、以前に書いた物語を支配する力のことです。蛇足かもですがさすがに触れないといけないかなと。
 20話では千早が春香さんを追い返すことで「絆」を否定し、のち春香さんの働きによって復活させていました。これと同じく、(22話で準備してから)23話と24話でも物語を支配する力としての「絆」を一度否定しておいてから物語内で再肯定した、という構造は素晴らしいと思います。アイマスの終盤の素晴らしさはここにあると思っています。24話は、この部分に限らず様々な点で20話を意識したつくりになっていますね(春香さんと千早の役割、取り戻した子供時代の「夢」、意味を問われた「絆」「信頼」など)。しかし20話と比べると24話は「結論ありき」の印象が強かった、というのが、すでに書いたように僕の気になったところです。当然僕の読解力の問題もありますけれど、話の運び方がちょっと無理やりだったかなと。Pをわざわざ怪我させたことや、ジュピターの登場も都合がいいですし、みんなの考えが急に変わったのもそう、春香さんが自分自身を慰めたことについては意味が解りませんでした。これらは「みんな一緒」という結論に向かうために各所に設置された看板みたいなものに思えます。僕が前に「力は物語を二つのレベルで縛っている」と書いたときの二つ目の拘束力、「物語世界の秩序」に作用する力がまさに働いている感じがします。「絆を神聖視する価値観」が物語を支配する力として存在し、「アイドルとしての成功」と「みんな一緒」との対立の物語をあらかじめ確定された到達点である「みんな一緒」という答えに向かって動かしていった、そんなふうに見えます。