チクル妄想工房

サークル「小公園」の仮拠点です。ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

公園におけるアリサとの生活

 この場所から動いてはいけない、木造りのベンチで僕ら二人は愛し合うこともなく、ただお互いの温度を服の上から探るように求めあうことしか許されない。悲しむことはない、これが僕の決断だったからだ。耐えなければいけない。彼女を欺いてまでして、ようやくえた安息を、みすみす捨てるというのか。少女は僕の膝で寝息を立てている。じきに止まるはず。明かりは十メートルほど向こうで無人の藤棚を照らしている街灯しかない。街灯の下で倒れている男は本当は殺すべきではなかったのだろうが、取り返しのつかないことをしたと理解しているわりに罪悪感はなく、むしろ体の内から湧き上がる感動は言うなれば達成感だった。男を殺したことを後悔していないから、少女の寝顔も穏やかに見える。僕と少女のいるこのベンチは、僕が席を占めてから何年間も、僕だけの、いやそうじゃない、僕と少女の占有席なのだ。誰にも見られず、誰にも侵入されず、僕と少女がここにいることさえ誰にも気づかれない――気づかれてはいけない、侵入者は排除しなければいけない――僕ともう動くことのない少女の手によって悲劇はしたためられた。
 少女が身じろぎするたびに、風のような少女の髪に僕の張りつめた緊張がかすかに触れ、禁忌の誘惑が僕を眠らせない。僕はもう眠ってしまいたい。一度はビンを取り落すほど力の抜けた手に、再び生気が蘇りつつある。僕は眠ってしまいたかった。少女は眠ってしまったのだろうか? 私を傷つけないおじさんではなく、僕は僕でありたいと初めて心から思う。処女を守る騎士の大任など、重いだけの鉄鎧とともにかなぐり捨て、丸裸の一人の男となって、そして女としての少女を愛してあげたかった。僕は目を瞑る。最後に僕は望みをかなえてしまってもいいだろうか。人であることを止めた僕は、命を絶つのにうってつけの断崖を探して歩くことになる。でも僕はきっと永遠に死ぬことなどできない、できるはずがない、なぜならば、僕に相応しい場所などあるはずがないのだから。死ぬ瞬間まで僕はベンチから離れられない。
 肌の色さえわからない暗がりで、少女のほんの微かな呼吸を僕は敏感に感じる。熱を持ったままきっと白いであろう肌を蹂躙する、夢でだけ見た光景は僕の生涯でもっとも望んでいたもののはずなのに、最後まで人であろうとしなかった僕は少女を人形のまま死に至らしめてから、愚劣にも自分だけ人であろうとするのか。恥さらしめ、生き延びようというのか。そうじゃない、僕は死ぬことができない。
 少女を人形として所有したのは僕の意思でもあるし、少女が自ら望んだことでもある。だから僕だけの責任じゃない……というのは、止めるべきだ、言い開きをしてどうなるというのだろう。僕はまさか、人として生きながらえることを許して欲しいのだろうか。少女を殺しておきながら。結局、人であることを否定され続けた少女は、最後まで人であることができなかったうえに、たったひとりの同居人だった僕でさえも、少女を、僕だけの彼女を、生身の女の子として愛してあげることはしなかった。だけど、僕はきっと少女を救ったのだろうと思う。あらゆる人々から迫害された少女の隠れ家として、僕はしばらくのあいだ、人間という窮屈な肩書きを捨て、公園のベンチにい続けた。座って少女を守り続けたのだった。そのことは誰にも否定できない事実だ。
 公園という場所は、誰も排除しない、誰もが自由に自分たちだけの時間をすごすことのできる場所だ。僕はひとつのベンチを僕の家のように使っていた。朝から晩まで腰を下ろしたまま、一度も立たない日もあり、ぼうっと噴水を眺めたり、鳩に餌をやることもあったし、一番のお気に入りは通り過ぎるたくさんの女の子を観察することだった。僕はカメラで撮ったつもりになって、じつに多くの、きっと並大抵のアルバムには収まり切らないくらいの写真を僕のものにしていた。だから僕の秘密の恋人となるアリサという名前の少女が公園を通るのは知っていた。アリサの顔は二、三年の間に完全に覚えてしまった。といってもアリサだけが特別だったわけではなく、どの女の子の顔も記憶し判別できたが、僕は髪の毛のバランスの妙におかしな、右側のこめかみがやけに長い少女のことが気に入ってしまい、自分でもおかしなことだと思うのだが、アリサという名前は僕が付けたのだった。可愛らしい、僕のアリサがまた通る、通ります、皆さん、どうか道を開けて下さい。ベンチで足を組んで――もちろん荒々しい感情を抑えるために――アリサを見つめる僕は、声をかけることはしなかったけれど、自我を丸ごと呑み込んでしまいそうな程の、濁り切った激情を必死に抑え付けていたのだ。奇妙なことに、誰もアリサにかまおうとしなかった。でも僕は、自己満足でしかないとはわかっていても、くる日もくる日も心の中でアリサを応援していた。絶対の秘密だった。アリサがびっこをひきながら一人きりで道を歩くことができたのは、アリサが皆に同情されなかったからではなく、ぜんぶ僕のお蔭だったわけだ。そのころからアリサは僕のアリサだったのだ。道を開けてやってください、皆さん。僕は鳩に餌をやりながら叫んだ。友達に虐められて、左脚をひどく痛めつけられて、びっこをひいているアリサが通ります……。なんて可哀そうなアリサ。アリサの光沢のない唇からこぼれるきっと僕への囁きに、呪詛に、僕は急速に昇り詰めると、恍惚となって天を仰ぎつつ激しく震え、やがてアリサが視界から消えてから崩れるように脱力した。ゆっくりと息を吐く。俯いたまましばらく余韻に浸っていた。アリサの吐息は確かに僕だけに届いていたのだ。
 僕が公園のベンチに座っていたことで、アリサはやっと一人で歩くことができたのだ。気づかなかったふりをしていたが、アリサは家に帰らない日があった。夜遅くに公園に訪れたアリサは、池の畔にしゃがみ込んで、どこから持ってきたのかわからないパンくずを放り込んでいた。何時間も飽きることなくそうしていた。僕もベンチに座る前は池がお気に入りの場所だった。鯉たちは僕の餌を食べ、アリサの餌を食べ、いろいろな人の餌をこっそりもらって生きている。アリサは鯉の餌やりをしない日は木登りをしていた。運動があまり得意ではないらしく、よく足を滑らせて落ちては怪我をしていた。骨を折ったのかと思うほどひどく痛がることもあった。でも次の日にはまた鯉の餌やりか、木登りだった。当時のアリサにとっては、公園でさえ本当の居場所ではなかったのかもしれないと僕は思っている。アリサが木から落ちて怪我をして泣いていても誰も声をかけることはなく、一度池の中に落ちたこともあったが、溺れているアリサを助けようとする人は一人としておらず、誰も彼もが目もくれずに通り過ぎていき、結局アリサは自力で這い上がった。
 家に帰らない日は、アリサは滑り台の下に埋められているトンネル状になった土管の中で寝泊まりしていた。僕はいつものようにベンチに横になって眠った。アリサがいようがいまいが僕の習慣は変わらない。ただ、アリサがいると代わり映えのしない毎日が少しだけ楽しくなるような気がしていた。アリサに公園に住んでもらいたかった。その一方、アリサを見ている間、僕はいつ暴れ出すかも知れない内なる暴力と戦わなければならなかった。アリサは決して僕に近づいてこようとはしない。アリサがくることが当たり前になってから、僕はもっとアリサを近くで感じたくなって、でもベンチから動くとうっかりアリサに触れてしまいそうでできなかった。僕は自分の内に眠る暴力性が怖かったのだ。
 アリサにとって暴力はタブーだった。僕はベンチに横になって、アリサが砂場で見知らぬ男に強姦されるのを眺めていた。どうやらアリサの知り合いらしいが、わからない。父親かもしれなかった。男が誰なのかなんてどうでもよく、男をすぐに殺してやりたいという怒りだけを感じた。気がつくと男を殺していた。ベンチの上で僕は、アリサの悲鳴とも嬌声ともつかぬ声に太股をよじらせ、男がアリサの中に射精すると同時に、僕もアリサの中に射精し、アリサが泣きわめく姿を見て何度も何度も痙攣し、神経が快楽にわななき、誰かがあるいは何かが悲鳴を上げ、そして男を殺していた。どうやって殺したのかは覚えていない。嬉しかったのを覚えている。アリサが僕にしがみ付き、僕はアリサに触れることを許されるとともに、永遠にアリサに近づくことを禁じられてしまった。ベンチを牢獄だと感じたことはなかったが、ベンチは紛れもない牢獄であり、そして牢獄にこそ自由があった。それなのに僕は自由を放棄した。誰のために? アリサのために? 挿入こそなかったにせよ、僕がアリサにしたことは強姦と変わりなく、汚らわしい強姦魔にしがみ付くアリサから伝わってきたのは、これまで味わったことのなかった果てのない浮遊感だけだった。
 僕は二度と暴力を振るわないと約束し、アリサを隣に座らせた。僕のほうからアリサに触れることはなかった。アリサの肌は僕のそれとは違って驚くほど薄く、外見を綺麗に飾る他には何の役目も果たしていないことは一目瞭然だった。自分で身を守ることのできない少女の脆さは、触れられる側である少女だけでなく、触れなければ生きていけない僕のような者にとっても極めて危険な性質だった。同じベンチの上にいてもアリサは僕に警戒心を抱かないどころか、逆に動物の子供のようにすり寄ってきて、抑えることのできない自我がいつ目覚めてしまうかと僕は焦りに焦っていた。恐ろしいアリサを、手錠やロープで縛ってしまえばよかったのかもしれない。けれど決して外に出してはいけなかった。少女にいっぺん触れてしまったら、少女を永遠に近くに置いておかなければいけない。僕の座るベンチから離れれば、アリサはすぐに誰かに切り刻まれて、アリサの中にある大切なものが崩壊してしまうだろうから。それは僕が絶対になくしたくないもの、木登りや鯉の餌やりをするアリサを眺めながら大切に集めてきた、僕とアリサの思い出そのものなのだ。
 アリサが隣に座るようになってから、僕はアリサに背を向けて内密に処理をしていた。幸いアリサは幼かったので、僕が何をしていたのか理解できなかっただろう。アリサにとって隠れ家である限り、僕はアリサに触れることはできない。ベンチは狭く、息苦しい牢獄だ。僕は戻ってきたのだ。ひとりのときは感じなかった窮屈さがアリサと座るベンチには存在した。僕はアリサを飾り物として扱うしかなかった。アリサはどうやら食事をとらないらしく、僕だけがいろいろなものを食べた。アリサは排泄もしない。恥ずかしいからではなく、食事をとらないから排泄するものがないのである。だが老廃物は食物のかすだけではなく、そして溜まったものは排出しなければならないため、ひとりでできないアリサを手伝ってやる必要があった。ベンチの上という狭い場所で裸になったアリサを目の前にして僕は血が出るほど強く唇を噛みながら、人形めいた、人の香りのすっかり薄れてしまった体から老廃物を取り除いてやった。近くに街灯がなく、僕は勘を頼りにアリサの体をまさぐり、そして舐め、何度も射精した。呻いた。味がしない。アリサの体からは何の味もしない。涙を流した。アリサが人形になってしまったのは僕のせいだった。
 何を望んでいるのか、訊いたほうがいいのかもしれない。目の前でひとりの女の子が若い男に慰み者にされていた。僕は無感動にその光景を眺めている。アリサのすすり泣く声が聞こえるが、無視を決め込むことにする。やがて別の男が加わって、二人は女の子を代わる代わる犯した。女の子は声を上げることも止めてうつろな目をしてなされるがままになっていた。少女は諦めてしまったのかもしれない。諦める前に、僕に助けを求めればよかったのではないだろうか。いや、違う、僕は無視したのだ。少女は確かに叫んだはずだ、助けて、と。アリサが立った。僕がそのことに気づく前に、アリサは服を破り取られ、男の下になって悲鳴を上げていた。ベンチから出てはいけないとアリサに直接言わなかったことがまずかったのかもしれない。アリサは死んだのだ。僕は二人の男を殺し、体を小刻みに震わせているアリサを強く抱きしめた。アリサの腿の間から、白い液が長い糸を引いて地面に垂れた。液はアリサの影と交じり合ってひとつの灰色になり、そばに横たわる少女の死体から漂う鼻をつく腐臭が、アリサの体がまだ僕の手の中にあることを――そうではない、ついに僕の中にしかアリサが存在できなくなったことを教えてくれた。 
 僕はアリサを犯してやるべきだったのかもしれない。アリサは言葉を失い、視力も聴力も失くし、身動き一つできなくなり、体温らしきものも感じられなくなった。ただひたすら、一日中でも、一週間でも、何か月でも、何年でも何十年でも僕の座るベンチの上で空のどこかを見つめながら、空虚な笑顔を張り付けている。何を見ているのだろう。僕の体温だけを感じ、僕の声だけを聞き、僕の顔だけを見て、アリサは眠り続ける。虚ろな笑顔で。虚ろなんかじゃない。だってアリサは楽しそうに話しかけてくれるじゃないか。おじさんと一緒にいれば私は幸せ。僕は久しぶりにベンチを立つことにしたけれど、アリサは変わらず寝転がったままだった。アリサを連れて公園を一周し、公園から出ようとして――僕は思いとどまった。この先には僕の知らないものがあって、アリサを放り出して逃げてしまうかもしれない。アリサを道路の真ん中に、わざと轢かれるように置いて、車が通り過ぎる瞬間、人形のアリサがこっちを向くのだ。おじさんも私を置いていくことにしたのね。空洞だと思い込んでいたアリサの中には人並みの内臓が詰まっていて、ブレーキ音の直後、真っ赤な飛沫となって道路の真ん中にそれらはぶちまけられる。
 だから僕はもう眠ってしまいたかった。アリサの口に錠剤を瓶の半分詰め込んで、僕も残りの半分を飲んで、今夜は寒いなと思った。アリサは犯されながら自力で歩いていくのもいいかもしれないし、そうするべきなのかもしれないけれど、僕は公園から出ることができないから、アリサがどんなに遠くで誰かに弄ばれていても、公園のベンチでアリサがくる前みたいに噴水でも眺めている他はない。アリサが死んでしまっても同じこと。僕の喉はさっきから震えてばかりいて、口から出る音がまともな言葉にならない。あ・り・さ……あ・り・さが薬を飲みこんでいないことに気づくが、僕の意識はすでに薄れ始めており、急いで口移しで水を飲ませようとするが、アリサの……あ・り・さの口元からあふれてしまいうまくいかない。そうしてしばらく格闘したあげく、あ・り・さに薬を飲ませるのが不可能であることを知り、僕はあ・り・さの喉に手をかけた。絞め殺そうと思ったのだ。アリサは目を開いた。その瞬間アリサの瞳に映った、僕の知らない男、いや知っているかもしれない男。その男は僕の後ろで角材を振りかぶっている。振り向くが早いか、男の振り下ろす棒の風を切る音が鮮明に聞こえた。公園の夜はとても静かで、男が棒を振るう音、僕の頭蓋骨が割れる音、僕の悲鳴とそれに続く男の悲鳴は公園の中を駆け巡り、アリサの声が混じっていたかどうか男を殴り続けていた僕にはわからなかったけれど、ベンチに再び目を向けたときには、アリサは静かに寝息を立てていた。目を覚ました拍子に薬を飲み込んだのだと思う。子供だから効き目が早かった。少女の鼓動は聞こえない。アリサはもしかすると、人間に戻ったのだろうか――それは都合が良すぎる物言いだろうな、間違いなく、僕が殺したのだから。
 じわじわと、ものを考えることができなくなってくる。本当ならばとうの昔に止めてしまったことだ。でも、この何年かは、生きている実感がした。自分や自分以外のことについて考えている実感があった。僕はだんだん眠くなってきた。眠ってしまいたい。でも、眠ることはできなかった。受け入れるまでもなく、受け入れている。僕は永遠にこのままだ。えぐり出したアリサの瞳に焼きついた僕の後姿を胃袋に放り込んで、僕はアリサを焼却処分した。肉の焼けるにおいがしたが、すぐに何も感じなくなった。

<終>