チクル妄想工房

サークル「小公園」の仮拠点です。ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

あなた(著者)は誰ですか

 読者が限定(あるいは特定)されていることを前提として書かれた文章を読みたいと思わない。読者が限定されてるってのは学術的・専門的な文章のことではなくて、著者の独り善がりな文章のことでもなくて、文章よりも著者そのものに価値の重みがある、そういう文章のことです。

 ピングドラムでもありましたが、自分のことを丸ごと承認してくれることが愛なのではないか、という話だといえばいいのかもしれない。あなたが他の誰でもないあなたであるから、わたしにとってあなたは大切(有価値)な存在です、みたいな。
 リアルでは当たり前だし、大切なことだけど、ネット上に自分の体とは離れた何かをアップロードする場合においては邪魔なんですよ。特定のコンテンツを批判することは本エントリの主目的ではないが、ネットにリアルと地続きの「ぼく・わたしの唯一性」を持ち込んだことは、SNSの功績であると同時に弊害でもあるんだと言っておこう。

 勘違いしないでもらいたいのですが、これは、ネームバリューのおはなしではありません。ネームバリューといわれるものの担う役割は、著者の名前のもつ権威を利用して文章が本来備えている以上の価値(信頼性など)を錯覚させることであって、僕のいう「唯一性」はまったくの逆で、文章にではなく文章を書いたその人自身に価値があって、その価値が「文章を通して著者を消費する」という構造を生み出すというものです。
 だから、言ってしまえば、書いてある内容はどうでもよく、誰がそれを書いたかによって、楽しめないものを無理やり楽しんだつもりになろう、そういう消費形態なんです。簡単にいうと、「わたし」を売り物にしているわけ。

 「わたし」には何の権威もありませんが、かわりに読者からの「愛」がある。

 「愛」は文章に、もっといえば作品になんら付加価値を与えない。けれども「愛」は作品ではなく「わたし」を消費可能な商品にする。よくかけましたねーいいこいいこ。というわけだ。