チクル妄想工房

サークル「小公園」の仮拠点です。ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

制限とか規制とかそういう話

 ライターへの安全装置取り付けが義務化されてるということを、とあるテレビ番組で最近知りました。ネット検索で調べたところ、正確には「チャイルド・レジスタンス機構」と呼ぶみたいです。幼児がいたずらをして焼死事故が頻発したことが義務化の理由だそうな。で、どんな機構かといいますと、着火レバーを重くしたり、ロック解除のスイッチを同時に押さないと着火できなくする、というもの。仕組みはおそらく色々あるのだと思います。
 CR機構は知的能力や身体的能力で使用者をフィルターにかける仕組みですね。幼児の筋力では押し込めないスイッチ、幼児の知能では着火できない複雑さをもった機構。端的にいえば利用者をある基準によって(この場合は利用者の能力によって)制限しているってわけです。で、僕が書きたかったのは、この「制限」のことについてです。
 制限っていうとなんでもかんでも制限と呼べましょう。ゲームの年齢制限もそうですし、運転免許に始まる各種免許もそうです。何らかの条件をボーダーにして、クリアした人には特定の行為を「許可」し、その他の人には「禁止」する。この世は制限のかたまりだといっても過言ではないように思います。新たに規制が設けられよとするとき、許可条件の明確さがしばしば問題にされることがありますね。ちょっと前に都条例でなんかやってましたっけ。


 ライターのCR機構について考えてみます。まず、なぜ幼児が使ってはいけないのかという点がはっきりしているはずです。もちろん危険を予想する能力が低いからですね。ライターを使えば近くのものに火が燃え移って火事になって、大変なことになるかもしれないということが理解できない。もうひとつ、正しい使い方も理解できないからライターで何をするかわからない。だからある程度の年齢になってそこそこの責任能力がある人でないとライターを使うのにふさわしくない、とこういうわけです。CR機構をクリアできる年齢であれば、たとえ親の監視の元でなく触ったのだとしても、ライターの危険性は最低限認識しているはずであるから火事を起こすような真似はしまいと。
 もうひとつ、ゲームの年齢制限について。主に家庭用ゲームに設けられているCERO制限では購入が禁止されているのはZ(18歳以上のみ)だけで、AからDまではあくまでも購入の禁止ではなくゲーム内容の手がかりとして使われているみたいです、wikipediaによると。パソコンゲームコンピュータソフトウェア倫理機構によって名目上の自主規制を促すための審査が行われています。ゲームの年齢制限の目的はよく言われているように「青少年の健全な育成」でしょう。
 あと運転免許を挙げておきましょう。設けられているのは年齢制限と教習カリキュラムと視力検査ですね。

 
 ライターのCR機構は、利用者の責任能力とか判断能力(危険予知能力ですかね)が問題である、とこう言っているわけです。それを測るために利用者の身体の成熟を目安としています。身体機能の発達が知能の発達と密接に関わっている。このふたつは相関関係にある。子供とはそもそも身体的にも知能的にも精神的にも未成熟な、大人の前段階なのですから、至極当たり前の理屈なのですけれど、僕は上の禁止方法は画期的だと思うんですね。というのは、もっともダイレクトに確実に品物の使用を禁止する方法は、使用者と品物との接触を断ち切ってしまうことだからです。そのためには、身体的な制限をかけるのは合理的なやり方です。もちろん身体障害者や体の弱った老人も使えなくなるといった問題はあるでしょう。「(将来的な)健康な成人男子」を基準にすることが常に正解だとは思いませんが、それはまた別の問題であって、ひとまず「子供が使用すること」を防ぐという役目をCR機構は十分に果たすであろうと思う次第です。
 ゲームの年齢制限はどうか。18歳未満禁止ゲームを対象として考えてみます。先の理屈そのままに、こちらも身体的にフィルターを設ければ済む、と簡単にはいかないんですね。もちろんひとつの問題として、店員が売ってしまえば、保護者が許可してしまえば、小学生が触手凌辱孕ませ堕胎近親相姦四肢切断屍姦エロゲをプレイすることも可能です。小学生であれ中学生であれ機器さえ揃えばコンテンツを受容できてしまいます。それを防ぐためには何らかの方法で規制を設けなければいけないのだけれど、ゲームは身体的な能力でボーダーを引くことがどうも上手くいかなそう。18歳相当の判断能力を備えていることが望ましいとはいっても、18歳にもなると個人によって身体的な成長差が大きくでてしまうから、身体的な発達が人格的な発達と完全にリンクしているということはできません。そもそも18歳というボーダーからして明確な根拠があるのかどうかすら怪しい。人格的な発達にしろ身体的な発達にしろ、特定の年齢ですっぱり切れるってことはなくて、あくまでも目安にしかならないので、適当そうな個所にボーダーを定めているだけなんじゃないかってことです。突っ込んで調べれば、ゲーム年齢制限が現行の形に至った経緯とか、他の法律との関連とか、たぶん色々出てくるのでしょうが、面倒なので気になる方は各自お調べください僕はいまは調べません。
 もうひとつ、運転免許。運転免許の取得には非常に合理的な身体能力のテストがあります。それは視力検査です。一定以上の視力がなければ自動車の運転は危険である、と誰もが納得するであろう根拠があります。他には教習として定められたカリキュラムを消化し、テストを通過することが免許取得の条件となります。これは被験者の知識と能力によって、運転を許可してよいかどうかを測っているのです。

 こんなふうにですね、明確に結果を出せるのは、知識とか身体を使ったテストなわけです。最後に書いた運転免許がもっとも納得しやすい。テストの結果を点数で出すことができて、点数がそのまま被験者の能力の根拠になる。これだけ見えていなければダメ、これだけ知識が無ければダメ、という明確な基準を設ければ、もれなく満足な能力を備えているかどうか測ることができます。
 上にあげた3つの例では、運転免許だけは免許という形をとっているために、厳正な審査が行われます。これと同じように、例えば、もし、ライターの使用に知能テストが設けられたり、ゲームのプレイに精神年齢のテストが設けられれば、これらのテストに明確な根拠づけができるならば、運転免許みたいに合理的にその行為の権利を与えることもできますでしょう。