チクル妄想工房

ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

個人的なノベルゲーム

 僕がこれまでにやったフリーノベルゲームは、一人称のもの三人称のものありましたが、どれも個人的な物語ばかりでした。覚えている限りでは例外はありません。ひとりとその周囲の生活に関係する世界よりも、もうちょっと拡張された世界を描いているものもあるにはあるのですが、例えばセカイ系であったり、セカイ系じゃなくて社会の重要なシステムに主人公が属している作品だったりするのですが、であっても、やはり個人の視点から抜け出たものはなかったように思います。複数の視点ということであれば群像劇を採用した作品もありますが、群像劇というのはあくまで個人が複数集まったに過ぎないもの、主人公格の人物が複数人いるものです。つまりノベルゲームには主人公という役者がどうしてもいてしまうらしい。

 とはいえ、これは僕のゲーム選びに問題があるのかもしれません。いくつかの有名レビューサイトを参考にしているので、そういった作風が管理人さんの好みであるだけの可能性もあります。ただ、ふりーむを上からざっと見ても大体そんな感じなので、実際に個人的な物語の割合が多いのだと推察できそうです。

 てなわけで、もう大事なことはぜんぶ書いちゃったようなもんですが、要するに、ノベルゲームであっても主人公のいない物語とか、主人公をはじめとした特定の誰かに関する話題ばかりではない物語を書くことは許されるはずなのに、なんでそういう作品がないのかといいたいわけです。

 なんでかっていうと、ひとつの理由は書きにくいってことでしょうね、いや書いたことないんですけど何となく書きにくそうな印象があります。
 もうひとつは、ノベルゲーム特有の理由として、立ち絵や一枚絵があるせいだってことが考えられましょう。物語において中心的人物でない人物の絵は使いませんからね。一枚絵ならば風景を描くとかやりようはあると思いますが、立ち絵はそうはいかない。立ち絵を使った作品であれば、立ち絵の人物は特定の誰かであることになるし、立ち絵の人物と他の誰かの会話も入ってくるでしょう。特定の誰かにスポットライトを当てて描くことがあるとすると、その人が主人公であるか、他の誰かが主人公であるはずです。というわけで立ち絵入りのノベルゲームには主人公が必ずいる。……のだと思う。立ち絵を使う使わないは、読者の想像力をどうのこうのよりも、ここで書いたことみたいなもっと色々な問題がありましょう。
 ってことで個人的な物語が多いのは立ち絵のせいでもあると思っていますが、立ち絵のないノベルゲームもそういうのばかりなんですよね。やっぱ書きにくいのかな。

 何だかんだ偉そうなこと書いてますが、僕の書いた2作も、ここに載せた掌編小説もすべて個人的な話なんですよね。いや、『やがて僕の訪れる公園』はちょっと違うのかも知れませんが、主人公が自分のことを僕と呼んでいるので、そこそこ個人的な話なのでしょう(違うか?)。どちらにしても、主人公の解釈した、主人公を中心とした世界を描いた物語であることは確かでしょう。

 そんなわけで、いつか個人的な物語ではない物語のノベルゲームも作りたいなと思う次第です。つっても個人的でないロリ物語ってどんなものになるのかしらん。と書いているということはぼんやりイメージができかかっているということでもあります(が、この段階だと僕は簡単に作るのを止めてしまう)。それと、個人的でない物語のノベルゲームがすでに作られているならば、やってみたいなと思います。