チクル妄想工房

サークル「小公園」の仮拠点です。ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

『新興宗教オモイデ教』

 大槻ケンジさんの『新興宗教オモイデ教』です。
 これはすごかったですね。あんまし濫用すべき言葉じゃないと考えてるんですが、これについては、共感したって言っていいのかなと。

 自分の中に曲げられない信条とか信念とかがあっても、世の中は個人のそれを圧倒的な圧力で封じようとしますが、それに抵抗しようとすると、その人の持っている属性が行動の障害になります。たいていは、何もできない。声なんて届きません、どんな悲痛な叫び声であっても個人の声なんて小さい。
 でも声を聞かせる方法がないわけじゃない、あるような気がします。この作品のような小説とか、中間さんがやろうとしたように、音楽とか、あとは暴力によるテロ行為とか、そういう、年齢、性別、社会的地位など、あらゆる個人の属性に関係なく他者に打撃を与えられる、ダイレクトに作用する方法でもってやればいい。メグマ波はそういう力です。メグマ波は基本的には誰でも(同能力者を除けば)確実に狂わせることができる、完全に一方的に殺せる能力です。

 しかし世の中をぶっこわしたいっていう衝動の出所は、誰にとっても、結局は個人的なものにすぎなかったと。ゾンは自分を育てた男、なつみは前川と教祖、中間はゾン、特定の誰かへの怨恨とか依存とか、そういうつまんないものに縛られて、束縛から抜け出せない現実に憤って、抜け出せない自分に憤りを感じて、ならば世界だ、世界を壊せばいい、ってなる。と、書かれています。
 ジロー君自身もつまらない世の中の人々に呆れ果てているのですが、中間やゾンみたいに、ぜんぶぶっこわしてやりたいとは考えない。彼はほとんど主体的に動くことがありません。中間さんたちに連れ回されて、巻き込まれる中で、彼の驚異的なメグマの才能を目覚めさせるのですが、それを使ってつまらない奴らを殺そうとはしません。オモイデ教が壊滅した後、ジロー君はメグマ波で一人だけ殺したあと「爆弾みたい」な絵を描いて、物語は幕を下ろします。

 もしかするとこの作品、『デスノート』に受け継がれるものがあったんでしょうね。夜神月はジロー君とは違って「僕が世界を変えてやる」のほうにいってしまったわけですけれども。

 いや、僕も良くも悪くもまだ若い人間だもので、わかるのです。中間さんとかゾンみたいに、自分の中にある気持ち悪い色々なものをブチまける方法はないものか、と考えてしまうわけです。これはもう、どうしようもないのです。自分が何かを書き続ける原動力のひとつに恐らくなっているんじゃないかと思います。それがメグマ波であって欲しいとまでは考えないとしても、それに近い何かであって欲しいとは思っている、気がする。