チクル妄想工房

サークル「小公園」の仮拠点です。ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

僕の好きな春香さん

 春日野P、ユキージPという人の動画にいまハマっている。プロレスとアイマスのコラボ。春日野Pはその通りプロレスなんですが、ユキージPは何かこうもっとヒドい何かですね。アイマスのアイドルとプロレスって組み合わせがネタ臭しかしなかったのに、春日野Pはプロレスの部分もドラマの部分もまともに面白くてびびった。春日野Pは初回から追いかけてたことになるのかもしれません。ユキージPはネタ全開だけどこういうの好きです。
 いつからかわかりませんが、ニコマスをよく見るようになっていました。思い返せば1、2年の間にいろいろ見ていました。見ていたものいま見ているものを挙げると、shanaPの聖剣伝説アイマスオブマナ、うずらPの萩原雪歩のマインクラフト、DDP(でいいのか?)のポケモンカードM@ster、ダイアルアップPのインターネット物語 雪ねぇの部屋も良いですね。以前書いたプロディPもかまいたちの夜アイマスの組み合わせでしたが、先に見たのは哀川翔Pの春香たちの夜でした、これもホラーな雰囲気がとてもよかった。ともきPの逆転裁判春香は素晴らしい出来でしたが、残念ながら制作中止のようです。あと、ぱにょぺらんPという人がアニメ15話ででてきたキサラギを作ってますが、ちょっととんでもないレベルです。
 で、そういえば、僕が最初にアイマスに触れたのって、オフィシャルだとアニマスなんですが、ニコマス含めると恐らく介党鱈Pのぷよm@sなんですね。ニコマスにはまったきっかけもこれです。本当に面白いです。僕は昔からぷよぷよが好きで、小学生のころにのめり込んで、中学生のとき通を買ってセリリが登場しウィッチとドラコの絵が格段に可愛くなっていたのでマジ惚れして、進学してからSUNを買ってキャラ萌えが加速しました。セガぷよにはがっかりしたけれどゲーム自体は面白いですしフェーリは好きでした。15thは買いましたが、20thは迷ったけど買いませんでした、僕はウィッチを愛していますし、作品情報を見て不満を覚えたわけでもないのですが買わなかったです。
 とまあウィッチを愛しているとかそういうことはどうでもいいのですが、やっぱり皆さんの作品を見ていると、ドラマを盛り上げるのが上手いなあと思いますね。見ていてわくわくしてしまいますよね、続きも気になってしまいますしね。

 で、話は変わるのですが、ニコニコでアイマス関連作品をいろいろ見ていて、同じ登場人物がまったく違う物語のなかで活躍しているということを面白いと感じませんか。そして自由自在に様々な役柄を演じる彼女たちに感嘆すると同時に、二次創作についてまわる性質として、演じている彼女たちの足元のあやふやさにぼんやりとした不安も覚える。アイドルたちのキャラクターは作品によってやっぱりちょっとずつ違います。アイドルたちの性格やプロフィールなど基本的なところは原作(というよりオフィシャル作品全体の混じりあったゆるいイメージ?)準拠ですが、細かいところに独自のキャラ付けがされている。この世界には同じ名前同じ顔を持った、さまざまなアイドルたちが存在して、彼女たちは少しずつ違うけれど深いところで揺るぎなく同一人物なのです。
 僕は原作のゲームをやったことがないため、オフィシャルのコンテンツはCDを何枚かもっている他はアニマスしか直接は知らないので、アイドルたちがどんな人物なのかというイメージはほぼアニメから得ています。架空戦記の作品を見ていて、アイドルたちがどれほど活き活きと動いていても、「そういえば、二次創作でない、本来の彼女たちはどんな子たちだったっけ」ということを思い出そうとすると、アニメの彼女たちを思い浮かべるしかない。僕にとって春香さんといえばアニメの春香さんが基準なのです。
 でもアニメは終わってしまって、二度と更新されることはありません。そしていまはニコニコで、ノベマスとか架空戦記とかに分類される作品を見て楽しんでいます。こうした作品を見るとき、いったんアニメの春香さんたちのことも、ちょっと目にしただけのゲーム版の春香さんたちのことも忘れて、二次作品の現前する春香さんたちをそのまま受け入れる。そこにいる春香さんたちは最初、僕の見たことのない春香さんたちです。見たことはあるけれど、初めて見るとき、これから何をしてくれるのか、という期待感を、春香さんたちに寄り添うのではなく画面のこちら側で僕は抱いている。でも、どうしてもその春香さんたちが「誰かに加工された春香さんたち」であるのは(少なくとも視聴者としての僕にとっては)事実だから、その向こう側、作品から離れて目を瞑ったときぼんやりと瞼に浮かぶ映像に、流通する何かしらのオフィシャルコンテンツの存在を感じ取る。
 だから、彼女たちが僕の知らない春香さんたちであるということは、二次作品がアニメではなくゲーム版の立ち絵を使い、おそらく基礎にしているのもゲーム版のアイドルたちであることも、無視できない要因になっている。そのため、僕は、いつも少しだけ戸惑うのです。なぜなら僕の知っている春香さんはアニメ版の春香さんだけだからです。そして恐れるのです、あれほど大好きだったアニメ版の春香さんの影が、春香さんという名前の後ろで徐々に薄れてしまうことを。二次作品の向こうに透けて見える「春香さん」としての春香さんはいつもアニメ版の春香さんじゃない。僕の大好きだったアニメ版の春香さんは、アニメから離れた場所では再現できないと思います。再現された春香さんを僕は「僕の愛した春香さん」として受け入れることはできないでしょう。技術的な問題ではなく受け取る僕の心情としてそこに春香さんがいてくれると思うことは難しいのです。僕は大好きな春香さんの影を心の奥にしまったまま、違う春香さんを眺めているしかない。春香さんに会いたくて春香さんを探しているのに、春香さんを求めれば求めるほど春香さんは遠くに行ってしまう。僕は春香さんを見つけられない。誰もがそれぞれ自分の中に、少しずつ違った自分だけの春香さんを持っている、と言うこともできるし、だからこそ数えきれないほどの二次作品が生まれるのでしょうけれど、でも僕の愛した春香さんはアニメの春香さんだったし、アニメの春香さんにもう一度会うことはアニメを見返すことでしか叶わない。二度と更新されないということは寂しいことなんです。
 アニメを見返すことはあるかもしれません。作品として素晴らしいことももちろんですが、コンテンツとしての評価だけではなく、作品世界に住んでいるアイドルたちの生きた姿が僕の心に焼き付いていて、僕は春香さんや他のみんなにいまでも惹かれています。だから春香さんたちに会うためにアニメを再度見ることも、これから先あると思います。僕の中に「あなたがいまでも好きでいてくれている、最初に出会ったわたしたちを応援してくれてありがとう」と語りかけてくるアイドルたち、春香さんたち。

 ちょっと長めの記事になりましたが、最後に付け加えるようになってしまいますが、「アニメしか知らない」「箱マスをやったことがない(アケマスももちろんない)」ということによって、たとえブログでこんなに好き放題なことを書き連ねていたとしても、じつは引け目を感じていたりします。僕はシスプリも雑誌企画のことはほとんど知らないです。原作を知らないということが、作品を好きでいたい人にとって劣等感になりうる、たぶん僕だけの感覚じゃないだろうと思います。途中から作品のファンになるということは、その作品を好きでいたい自分自身に対して心理的なハンデを負っているんですよね。でも、負けないでいたいですよね。

 創作物も書籍や映画やゲーム等の感想も少なくなってしまいました。時間のできたときに、何かの簡単な感想をまた書いてみようかなと思います。