チクル妄想工房

サークル「小公園」の仮拠点です。ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

春香プロデュース終了

4回目のプレイ。
活動終了。

春香さん、トップアイドルになってしまいました。Sランクには届きませんでしたが、十分な結果です。
ここまでこられるものなのか……。

果たして、これで、よかったのか悪かったのか。
もちろんアイドル活動の結果はよかったのだけれど、初プロデュースで首尾よくランクAに到達、という、もしかすると、アイマスにとって欠かせない何らかの経験を逃してしまったのではないか、というもやもやした不安に包まれています。
僕は春香さんのプロデュースを事実として一通り終えていながら、何ひとつ完了していないのではないだろうか。
いや、もっとはっきり言ってしまえば。
世の春香Pと同じ風景を僕は見ることができなかった。
そのように感じています。

ラストコンサートはドームで開催し、成功しました。かなりの余力を残して。
春香さんはそれほどまでに力を付けた。
春香さんにとってラストコンサートの大成功は、僕との活動における最後のすばらしい思い出になった。ゲーム内にはそんな文面があった。恐らくそういうことになったのだろうな、と僕も納得しています。
それはいいのです。
エンディングは、聞き及んでいた通り、プロデューサーは春香さんの気持ちに答えることをせず、離れていく、そういうものでした。僕は「春香の将来を大切にしたいから」と答えました。
アイドル天海春香のため、なのか……?
それはそうとしても、このエンディングが、いかに特別なものとして、アイドル天海春香を形作っているのか、アイドル天海春香とプロデューサーの関係をどう描いているのか、アイドル天海春香のプロデューサーの宿命をどう表しているのか。僕は自分で体験し、自分の目で実際に見ても、これという確信を得ることができませんでした。
このエンディング自体がひとつの大きなエピソードとして存在するのは事実としても、すなわちエンディングをひとつの物語の締めくくりに位置するものとして読んで評価することはできるとしても、それが「天海春香」の本質の一端を語る、表す、そういう重大なものであると、春香Pが受け止めている(らしい)のは何故なのか、僕にはわかりませんでした。

世の多くの春香Pが特別なものとして捉えているのは、他のアイドルのエンディングと比較したときの異質さのためということだったでしょうか?
僕はまだ春香さんしかプロデュースしていないので、その比較がいまのところできません。再度アケマスをやるつもりもありません。それに、他の子たちを春香さんと比較するために一緒くたにするつもりもないです。
ただ、エンディングを見ても、Pの春香に対する言葉の選び方に問題はあったとしても、回答の内容自体は当然なものであったと思いました。アイドル天海春香と女の子の天海春香を天秤にかけるとか、そういうことは考えもつかなかったし、春香の気持ちに応えなかったことが間違っていたとも感じませんでした。ただ自然に春香さんはアイドルを続けるべきだと僕自身そう考えていました。

それはまだ何ひとつ熟していない「春香さんと僕」の関係が導いた何らかの予感だったのでしょうか?


アケマスを一周したので、SPを買う必要性が小さくなりました。他の子もプロデュースしたくなったので、XBOX360を買うのもいいでしょうし、アイマス3を待つという手もありますね。DSも、絵理を終えて愛ちゃんをやってます。

ま、とりあえず、今日のプレイで、アイマスにひとつ区切りがついたということです。