チクル妄想工房

ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

僕にとっての「春香さん」と「春香」

先日アケマスで春香さん、春香、のプロデュースを終了してから、春香さん、春香、のことが好きだという気持ちが、以前のそれとは異なったものになっているのを感じています。そのせいで落ち込んだりもしてます。
どうしてなのか今でもはっきりとはわかっていません。プロデュースを終えたばかりのころ、僕は、こう考えていました。以前の記事にも書いたことですが、

春香さんのトゥルーエンドを見ても、世の春香Pが大きなショックを受けたようには、何かを感じることがなかった。だから僕は自分自身の春香さんへの感情に疑念を抱いてしまった。

確かに、トゥルーエンドのことも原因かもしれません。しかしきっとそれだけではないのです。アケマスを終えてから一か月弱経ちました。その間、ときどき、ツイッターやら何やらで春香Pたちの言葉を見たり、自分でも考え直したりしてました。
自分の気持ちすべてを把握して言い表すことはできないのでしょうが、少しでもいいので、整理しておきたい。少しずつでいい。


何度も確認していることですが、僕が春香さんを好きになったのはアニマスを見てのことでした。アニマス25話+1話を通して僕は春香さんに惹かれていったのでした。もちろんそれ以前からニコマスによってアイマスのことは知っていたし、765の各アイドルのこともある程度知っていました。全員の名前と顔が一致する程度の知識はあり、それぞれの性格なども他のサイトなどで調べてある程度は把握していたと思います。それでもニコマスしか知らなかったころは、どのアイドルが特別好きということはなかったように思います。強いて言えば亜美真美や雪歩に何か魅力を感じていたのですが、アニマスで春香さんを好きになったのとは、少し違った感情でした。

さて、僕もアケマスのプレイ記録の記事に何度か書きましたが、最近他の春香Pの間でもちょっと話題になっていたのが、「春香さん」という呼び方のことです。
僕が「春香さん」と呼ぶようになったのは、アニメを見ながらのことです。アニマス放送当初、話数の後半あたりからここに感想を書いていまして、そのうち20話の記事をみると、「春香」と「春香さん」が変なふうに混在している。そのあといくつかの記事を書きながら、僕の中で天海春香は徐々に「春香さん」に固まっていったようです。これわざとやったのではなくて、実をいえば書いた本人の僕も気づいていなくて、ツイッターにとある記事のリンクが張られたとき、その人がちょっと指摘していたのを見て初めて知ったことです。意識して呼称を変えたという記憶はないのです。と言っても書いた当時の心境は覚えてませんけれど。
「春香さん」という呼称について、ファンとして自分はそう呼んだのだ、と以前書いたのですが、「春香さん」と呼び始めたときのことは覚えていないわけで、ファンとして読んだというのは僕の憶測なのですよね。それとも、今自分が春香さんをどう見ているかを考えると、おそらくファンとしてアイドル天海春香を見ているんだ、と何となく思うので、きっとそうなんだろうなあと納得しているということかもしれません。

アケマスの話に戻りますが、天海春香をプロデュースしながら、彼女のことを「春香さん」と呼ぶのは、どうしても違和感がありました。
アケマスには、アイドルのプロデューサーとして天海春香という女の子をプロデュースして、彼女を「春香」と呼び、自分は「プロデューサーさん」と呼ばれながら、長い時間を一緒に過ごすという体験があります。アケマスをやって感じたことは、アイドル天海春香をプロデュースするという体験は、「春香さん」と天海春香をさん付けで呼ぶような目線をプレイヤーに与えるものではないということでした。ゲーム内のPとかけ離れた場所に立って、「春香さん」と呼ぶ立場をプレイヤーが得るのは難しいだろう、と、少なくとも僕はそう感じました。
だから、世の春香Pが、割合がどれくらいかはわかりませんが、「春香さん」という呼び方をしているのが大きな疑問だったのです。なぜ、天海春香のプロデュースを何度も経験している春香Pたちが「春香さん」などと呼べるのか理解できなかった。

今でもよくわかりません。他の人がどういう理由で、春香さんを彼らがそう呼ぶように呼ぶのかは、推測しかできないし、彼らに比べてアイマスのことも春香さんのこともあまり知らない僕の推測には、大した価値はないでしょう。
でも、ひとつ言えるのは、僕がアケマスを体験した限りで言えば、やっぱり、Pの目線では、「春香さん」とは呼べない、他の人のことは知らないが僕はそうだった、ということです。だから、僕は、自分はPではなく、いまもファンなのだと思っています。「春香」とすんなり呼ぶことができない。アケマスをプレイしてもなお「春香」という呼称は自分のなかで自然なものではありません。僕にとって、春香さんとの出会いはアニマスだったのだし、アニマス天海春香は「春香さん」だった。だから僕の春香さんの根本は、いまでも「春香さん」と呼ぶべき天海春香にあって、それは容易には覆らないことなのでしょう。それが、僕が春香さんを「春香」よりも「春香さん」と呼びたい理由である。僕は、そのように考えます。

僕はアケマスで天海春香をプロデュースし終えました。アケマスによる体験は、「春香」と呼ぶのがふさわしいような天海春香を僕にくれました。一方で、僕の中には、「春香さん」と呼んでいた天海春香の存在が、すでにある程度根付いていました。
僕が戸惑いを覚えてしまった理由はそこにあったのだと推測できます。「春香さん」と「春香」は、きっと齟齬なく両立できるものではなかったのでしょう。それは天海春香に対している僕自身の立場の違いでもあるからです。確かにふたりはアイドルの天海春香という同一人物ではあります。でも、僕にとってアニメの「春香さん」とゲームの「春香」は当然ながらちょっと人物の造形が違いますし、天海春香に面と向かう現実世界の僕は、アニメの視聴者でありファンである僕と、ゲームのプレイヤーでありプロデューサーである僕です。だから、両方の僕が目の前に見て、接するところの、天海春香という存在は、違った姿をしていますし、僕に異なる体験をもたらすのもまた当然のことなのです。
そのふたつの体験を、僕は、同じ「天海春香と僕」の関係として、統合できなかった。統合できないのに、それらふたつの、「天海春香」や「天海春香と僕」の関係は、大きくぶれつつ、重なりながら、ファンとプロデューサーという二つの立場を一身に引き受けざるをえない僕に、同じものとして受け取ってほしいと迫ってきた……。

だから、モヤモヤしたものが消えないのだ。

ということなんじゃないかな、と。