チクル妄想工房

サークル「小公園」の仮拠点です。ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

ムビマス感想

アイマスの映画をみてきました。
一言でいえば素晴らしかったよ春香さんとなるのですが、一回見たきりなのであまり細かいとこまではわかりませんけど、記録としてでも何か書いておいたらいいかなということで書きます。
とりあえずグワーッと書きます。

まず見覚えのある、つまりアニマスで似たようなのがあったなこれ、というシチュエーションや台詞、しぐさなどが多くあったなという気がしました。それもまったく同じ光景の繰り返しではなくて、一部分を替えたようなものです。
ジュピターとのからみもそうだし、これは三回目だし、千早が喫茶店で春香の話をきくのは21話の逆転だし、ふたりきりのとき美希に相談するのもあったし、たぶん他にも。
アニマスも、大筋はこの方法で成り立っているところがあって、前半と後半の対比であるとか、同種のシチュエーションをキャラの役割を転換してやるだとか、同じアイテムを再登場させるだとか、過去回からの引用と対比、でしたっけ、そういうやり方をよく使っていました。ムビマスもそれをがっつり踏襲していたな、というのが最初に思ったこと。
まずグリマスの半人前アイドル集団という設定からして、かつての765や現在の765との対比でしょう。合宿はどうしても5話を思い出します。これも5話とは違う合宿であるということが765組にとって意味がありますね。あと、集まろうと思えばいまでも集まれるんだよと描いて見せて22〜24話あたりの話を回収してる。キャラの雰囲気も、春香と千早の設定を一部受け継いでいるみたいな子がいましたし、役割として10話11話のやよいや雪歩みたいなことをしている子たちもいました。というか、ムビマス前半が11話の再現みたいだった。

後半のグリマス組の不和を見て思ったのは、765組はどうやら奇跡みたいなところがあったみたいで、最初からみんな仲が良くて、深刻な喧嘩がなく、個人が自分勝手をすることがあってもみんな寛容だから大問題にならなかったか、多少のもめごとになっても仲間同士で勝手に解決した。だからグリマスが壊滅的になっていたのを見たら、765は本当にどうしてああも順調だったのかと思わずにいられなかった。

あとグリマス組のメインヒロインの可奈ちゃん。真の主人公は春香さんだと思いますが、可奈ちゃんかわいかったね。
春香さんと同じで、実在のアイドルへの憧れで、自分もアイドルを目指そうと思い立った子です。ただ可奈ちゃんが春香さんと違っていたのは、可奈ちゃんは憧れの春香さんと一緒のステージに立つ機会が得られて、合宿では春香さんと親密に話ができて、春香さんがきらきら輝く姿を間近で見られたこと。春香さんはほんの小さいころにアイドルのライブを見たのだから、自分がアイドルになっても一緒の舞台に立つことはできないし、憧れのアイドルが再び舞台に立つ姿も見ることはできない。でも可奈ちゃんは、目標が物理的にすぐ目の前にあって、その細部まで臨場感をもって迫ってきて、凄さを、その身で感じることができる。それに比べて、ろくに技術もなく上達も早くなく、ストレス過食で太ってしまう情けない自分は何なんだ、同じアイドルなのかと可奈ちゃんは思う。
春香さんが憧れたのは「アイドル」だった。小さいころの思い出だから実体はかなり薄れているはずです。でも可奈ちゃんの憧れは目の前にいる春香さん、実物が目の前にいる。アイドルとしての実力の開きは可奈ちゃん自身の認識でしかいえないが、舞台としても実際とても近いところにきていると思う、幸運もあったにしても。アイドル春香ちゃんに憧れて、春香さんが子供時代から何年もかけてライブでの思いを熟成していったのと比較にならないほど短い時間で、可奈ちゃんは実物の春香さんの近くまできてしまった。挫折の要因はそこにもひとつあったと思った。

「少しくらい自惚れてもいいよね」
春香さんは小さいころの憧れで頑張ってきました。23話や24話の話もありますけど、そもそものアイドルを目指すことにしたきっかけはアイドルへの憧れでした。
可奈ちゃんの憧れは春香さん。だから春香さんは、憧れっていうのは簡単に諦めないための原動力であると実感している。その憧れが自分である。自分がかつて憧れたアイドルと同じ立場に自分がいる、可奈ちゃんにアイドルを目指させたのは自分であり、諦めずに夢を目指すのは自分がきっかけである。自分が見たものを、可奈ちゃんは見て、自分が感じたものと同じものを感じた。おそらく、確信ではなくて、きっとそうなんじゃないか、だから可奈ちゃんもそう簡単に夢を諦めることなんてできないだろうという、ある種の願望のような何か。「自分と可奈ちゃんを重ねちゃだめ」とはいうものの、憧れってそのくらい大切なことだから、どうしても重ねて見てしまう。で、映画を見ているこっちも重ねて見てしまったという話です。
24話では「みんなを信じてるから」と春香さんはいった。長い間一緒にやってきて、ライブも成功させて、そんな仲間だから、これまでのあり方をみんなもよかったと思っているだろう、だから伝えればわかってくれる。でもグリマスの子たちのことを春香さんはなにも知らない。けれど、憧れがひとを突き動かす力を春香さんは自身の経験から信じてるし、絆がもたらすものも信じている。765のみんなを信じるのとは違う、これも別の「信じる」なんだと思った。「信じる」というのは、論理的に示される根拠をもたない結果を期待することだから。自分のやってきたこと、仲間のやってきたことが間違ってなかったことを信じる。だって、23話24話もあったのだし。

「ひとそれぞれ」でいいけれど「ライブ、頑張ろうね」という春香さん。ひとそれぞれでいいのに、春香さんはライブ頑張ろうねとみんなにいう。では「ひとそれぞれ」としたときの春香さん自身の考え方はなんなのか。765の皆がいて、すべての皆がいて、いまの私がある。だから、いまこの時を大切にしたい。誰かが欠けたら先に進めない。皆で一緒に力を合わせて頑張る。現在の765の方向性はアニマスで、春香さんがいたからできたものです。春香さんが目指すのもそれ自体であって、そのために持てるだけの力を尽くしてきたし、たくさん悩んだりもした。そしていまの765のあり方が最良だと皆が気付いた。そのように引っ張った春香さんの考え方も他の人が「それぞれ」持つのと同じ、「それぞれ」の一であると春香さんは言うでしょう。それは辛いことです。
無印からの多くの春香Pが、春香さんのトゥルーエンドに欲求不満みたいなものをいまだ抱え続けてるのはこんな気持ちなのだろうか、とその気持ちが、もしかしたら少しだけ分かったんじゃないかという気がする。
みんな一緒であることの正しさは765の現状が証明している。唯一の方法ではなく「もっといいやりかたがあるかもしれない」し「プロとしてはあまあま」かもしれないけど、765がいまの状態にあることは、みんな一緒に頑張ってきたことがひとつの正しさであることを示している。ジュピターが961をやめて765を見習って方向転換したのも765の正しさを強めている。春香さんは、皆で作るものすごいライブにやりがいを感じるし、それは765の絆があるからできることなんだと考える。そして、ムビマスで、チームの一体感がパフォーマンスの出来を大きく左右することを描き、みんな一緒に頑張ること主張する春香さんをリーダーに据え、皆がそれを認めた。春香さんが舵取りした765の現在の方向性の正しさを、23話24話のようなふわふわしたものではなく、客観的な現実的な根拠により担保した。アニマスで定まった、仲間の絆を神聖視するあり方を、盲信するようなかたちではなくちゃんとした理由があるんだよとムビマスで描き、決定的なものにしたんですね。それが良かったか悪かったかはわかりませんが。

あと、春香さんは話をするとき、ずいぶん考え込んで、言葉を選んで、慎重に話すんだなあと思った。自分の言葉に自信がもてないのだろうか。そのせいで言おうとしたことを言いそびれてしまうこともあった。言葉にある程度の確信がなければ、語気を強めて話すということをしない人だ。アニマスのときから、そうだったかもしれない。