チクル妄想工房

ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

「フリーノベルゲームに求めるもの」ではない

久住女中本舗 フリーサウンドノベルレビュー 番外編 『Summer Girl ―夏の少女とボク―』

紹介されている作品とは関係ない話になってしまうのですが、僕が最近プレイしたある作品を、是非いろんな人にプレイして欲しいお勧めしたいとツイートしたのが道玄斎さんの目に留まったかもしれない、ということがあって、もしかしたら道玄斎さんに「フリーのノベルゲームに求めるもの」を考えさせるきっかけの一端になってしまっただろうか、などと勘ぐったので、記事を取り上げさせていただきます。

僕のお勧めしたい作品については、改めて読んだ感想を記事にするかもしれませんので、ここでは解説はしませんがお勧めはします

今塚ミゾレ様 NG_Sleet
『虚 ―SORA―』
『双生の傘』
『注ぐ雲』

オーソドックスな作品が、オーソドックスであることを理由に排除される空気というのはいまのところないんじゃないかな、と感じます。多くの作品を読んでいるわけではないので、その辺の認識は間違っているのかもしれませんが。
僕も「オーソドックスだから駄目」などというつもりはありません。
ですが、そのように受け取られているようなフシがあるので、いえ何となくそんな気がするので、この記事で言い訳しましょう。

ノベルゲームは、文章と音と映像とが相まって、さらに選択肢や繰り返しプレイの仕組みだとか、「ゲーム性」であるとか、その他諸々、多くの要素が合わさって、ひとつの作品ができあがる。そういうものだと僕は考えています。ノベルゲームのそういった総合芸術的な特性をとても深く考える人がいて、実際にスゴイものを作っている、これは単純にうれしいことだと思います。
そのひとつの実例が、先に挙げた今塚ミゾレさんの3作品です。

今塚ミゾレさんは優れた作品を作りましたが、新しい試みはときに失敗することもあるでしょうし、結果できあがったものが他の「オーソドックス」な作品よりも面白くないものになることもあるでしょう。わけがわからないものになることもあると思います(今塚ミゾレさんの作品は僕にはわけがわからなかった)。
例えば、いつかどこかで、ワイド画面の是非という話もありました。
(さまざまな事例から「ワイド画面の是非」を考えるのではなくて「ワイド画面に合うレイアウト」を考えたほうがいいよねと僕は思います。たくさんの人がいろいろなものを作って、いろんな方法を編み出していったらいい。)
それでも、ノベルゲームのスゴさ、表現媒体としての可能性というものが、ある作品によって少しでも広がることは、うれしいことだし、そういう作品を読むのはそれとしての楽しさがあります。
それは僕にとって特別な体験だと感じています。

「物語の質としては小説に劣る」だとか「(馬鹿にする意味で)紙芝居」だとか、そういう見方がされているのを、見たことがありますが、それこそ、違うんじゃないかなあ?もったいないな?と僕は思うのです。
他の表現媒体と比較して、確かにある表現方法においてノベルゲームは優れていたり劣っていたりするかもしれません。作り手だっていろんな人がいますから出来もさまざまです。でも、それが「ノベルゲーム」という表現媒体と他の表現媒体との、総合的な優劣を決めるということはない。絶対にないのです。
「ノベルゲームとはこういうものだ」という、人々の認識が、ちょっとずつでいいので、緩くなっていったらいいなと考えています。僕自身もそうでありたい(ノベルゲームだけを特別扱いするのもいけませんよね。)。