チクル妄想工房

ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

箱庭の侵食されつつある境界

2011年に某文学賞に応募し落選した掌編です。

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 天動説を主張していたころの僕らは、お互いの箱をあまりにも気安く行き来していて、実質、箱など存在していなかった。果てなくどこまでも続いている世界は、求めただけの景色を与えてくれる――そう信じていた。だが、僕らの無邪気な希望はあるときあっさり裏切られた。世界は箱の中、箱には壁という果てがある。僕らの景色は箱の中にしかないことを知ってしまった。失われた無限の景色の代わりに得たものは、自分自身の小さな箱。四方を壁に囲まれた空間。僕らは自分の箱の中を歩くうちに箱から出るには壁を跨げばいいのだと理解し、自分の箱から身を乗り出して、広大な箱世界に大小様々な箱が散らばるのを見たとき、自分が今までにも多くの壁を無意識に跨ぎ越えていたことを悟った。新たに出会った箱で様々なものを手にし、そうして拾い上げた大きな塊が、さらに大きな塊の断片にすぎないことも知った。塊は、はっきりした形を持っていることもあれば、持っていないこともあった。拾い集めた塊を自分の箱の中に並べる作業は、僕を夢中にさせた。
 僕の箱には最初からいくつかの小箱が転がっていた。日を追って小箱は増えていき、邪魔になって初めて気に留めた。何気なく蹴飛ばしていたはずだが、それらはひとつも壊れていなかった。小箱の中には無数のフィルムがしまわれていて、そこには僕の姿が映っていた。まるで昔の僕そのままの姿なのに、フィルムの中の僕は僕に向かって、自分はこんなにも色褪せていると頑なに訴えてきた。
 箱構造の世界では、毎日のように通っていた道を、前触れもなく壁が塞いでしまうことが珍しくなかった。壁とは家の一部であり、箱の一部であり、中身を守るための容器を形成するものである。道を歩いていたらいつの間にか全身ごと容器の中にいた、ということもあった。どうやらそこに壁を築いたのは僕自身らしいのだが、自覚がなかった。
 地動説を発見し自分のちっぽけさを知るために歩き始めたときから、少しずつ収集し、容器の中に設えていった、家具類、小物類、家屋、巨大なビル、幹線道路、信号機、公園、河川、海、雲、空、地球、銀河、そして容器を満たすエーテル。すべてのもの。それらを並べていくと、いつの間にか小さな僕は部屋となり、家となり、家は庭を持って庭には草木が生え、家の数が増えて街を形成し、道路には車が走り、風が吹いて雲が空を流れ、山がそびえ川が海に流れ込む。地球儀は太陽を中心とする太陽系に組み込まれ、銀河の一部となり宇宙の一部となった。でも、僕の両目には何一つとして正しい形で映らない。歩いてきた幾年もの年月、拾い集めてきたそれらのもの、それらのものを僕の前に並べたてる記憶そのもの。歪められた光のせいで、あるいは粗悪なエーテルのせいで、目に見えている形が正しい形かどうか判別できない。
 だが、光源であり世界の中心でもある太陽がたとえ幻であっても、箱庭は消えてなくなったりはしない。僕が組み上げてきた箱庭は僕の作品であると同時に僕にとっての家であって、世界だった。世界の果てには壁がある。その外側には何がある? 箱の外側には別の箱がある。世界は太陽という中心をなくしたうえ箱構造のせいで細切れに断絶してしまったばらばらな細胞の寄せ集めであるけれど、それでもやはり、その細胞のひとつは居心地のいい僕だけの箱庭なのだ。僕は箱から出られず、もはや出ようとする意思を持てない。箱庭は僕自身でもあるからだ。
 僕はフィルムに収められている、色褪せた、しかしくっきりとした輪郭を持った懐かしい姿に衣装替えをして、愛すべき箱庭を隅から隅まで踏み潰す。フィルムの映像を模写した書き割りを並べ粗末な舞台装置を組み立てると、その中心に立った自分の姿を箱の外から眺め、壁の外側に絵具で描く。箱の隅の窓から見えない場所には瓦礫の山がある。先刻僕が崩した景色ともうひとつ、歩きながら知らずに蹴り倒してきた、僕の立っている舞台装置と瓜二つの景色の残骸。
 どうか箱の中は覗かないで欲しい。この絵をこそ見て欲しい。綺麗な部屋なんか家なんか街なんか世界なんか全部ガラクタだ。
 急ごしらえの外壁に塗り付けた絵具は雨風ですぐに流れ落ちる。箱は慎重に扱わないと自然に開いてしまう。壁は僕と旧友との間に築かれたイメージの堤防で、決壊するといっぺんに濁流が流れ込む。濁流は僕を飲み込み、壁という壁をなぎ倒し、その瓦礫を運んで新たな壁を一瞬にして築き上げるだろう。水が引いたあとには、壊したはずの僕の箱庭が元通りに鎮座していて、足を踏み入れた旧友は絶景を目の前に引きつった笑顔を浮かべ、絞り出すように一言二言世辞を言う。「とてもいい箱庭ですね」といったふうに。
 これが僕の箱庭です。新しい箱庭です。あなたの行ったことのない場所から集めた、あなたの知らない建物を並べた箱庭なのです。