チクル妄想工房

ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

ノベルゲームはBGMとか背景がわけわからなすぎて制作をストップしている。
どうしていままで平気な顔で作れていたのかわからない。出来上がったテキストに音を当てていく際に必ずしもスムーズにとはいかなくても、最終的には、少なくともネットで公開できる程度には納得のいくように作れていたはずなんだが。

自分がノベルゲームのBGMがどうのこうの言いだしてからけっこう経つようだけど、そういう問題に気付いたのはよかったものの、実力不足の僕にとっては、自分で実際に制作にとりかかってみれば、逆に自分自身を雁字搦めに縛るものにもなっちゃったようで。ここまでわけがわからないのだと嫌になってしまう。
そして背景も同じような状態にある。こちらも全然意味がわからない。

なので、その辺の整理もかねて、制作中のノベゲではない、別のものを作っています。制作期間的にも、気分転換にちょうどいい具合になるだろう作品の予定がひとつあったので、そいつを。



ところで、BGMで悩んでるのでBGMの話をするんだけども、通例の運用方法を疑問に思いつつも、他でそういう話が全然でてこなかったもんで、なんとなく心細い気持ちだったんですね。
「ノベルゲームはメロドラマになってしまうのか」で書いたところだと、悲しい場面で悲しい音楽を、楽しい場面で楽しい音楽を、というふうな言い方をしていますが、いくらか前に読んだ『映画音響論』だと、感情の強調・雰囲気の醸成、という言い方になるのかと思いますが、つまりBGMの運用というのはそれに限ったことだけではないだろう、という話なんですね。
そうしたところに、道玄斎さんがおそらく似たような問題意識でもってBGM関連のコラムを書かれたので、心強い思いがして大変うれしかったんだが、なぜだろうか、残念なことにほんの一瞬で話題は流れてしまった。

『映画音響論』(名著です)を読んでみれば、音響演出のトピックとしてはこれは初歩的な問題提起ともいえそうな気はするけども(まあ、映画の音響演出の理論をノベルゲームにそのまま当てはめることはできないが)、だからこそ当たり前すぎて改めて問題にすべきことでもなかったということなのか、それとも本当にノベルゲームのBGMの思想というのは遅れていて、道玄斎さんの言葉でさえ深刻に受け止められえないほどだったのか。

音響演出を全体としてみれば、ノベルゲームにも優れた演出というのはさまざまあるんだろうけども、BGMの機能というか、文章とBGMとの合わせ方として、BGMの果たす役目というのが、文章が受け持つストーリーの雰囲気なり語り手の感情なりの表現を補助するにとどまっていることが多い、と、僕はそういうことを言いたかったわけです。


そんなこんなで、そういう問題を意識したうえで、実際に文章にBGMを合わせてみましょうということに今なっていて、困ったことに僕自身ほんとうにどうすればいいのかわからないんですよね。そもそも今書いてるノベルゲームはBGMを積極的に付けるべき文章なのか?とも思ってはいるんだけど……。同様に、背景というものについても、なんだかワケわからないことになってしまっている。ノベルゲームの背景って何?BGMって何?そういう状態です。思いついたまま当てはめてみても、違和感ばかりがある。

そういうわけで楽しくなくなってきたので(最初から楽しい気分とは縁の薄い制作ではあったが)、別の物を作っていて、もうちょっと緩い気持ちでやってるつもりではいる。それでもやっぱり同じ課題にぶち当たって、ああどちらにしろ避けては通れないのか、と。


だから、PSVitaを買いました。