チクル妄想工房

ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

アズリムのサイレントマジョリティー

サイレントマジョリティー】バーチャルYouTuberが歌って踊ってみた(欅坂46


歌も踊りも一回で撮った録画なのか、別々に収録したのか、それとも、それぞれ切ったり繋いだりして作った動画なのか定かではないけど、一回ですべて撮ったように見えてしまう。動画内やツイッターで言う通りに相当練習したのは確かだろうし、ハードな歌と踊りをこなしているならそれだけで凄いことだし、これは実際に一発で撮ったのかもしれない。

でも、ひとまずそれは置いといて、アズリムの生放送を見ていると解るのですが、もちろんこの動画でもはっきり解るのですが、アズリムはトラッキングの技術が凄まじくて、動きをものすごく精密にキャプチャしてアバターを動かしているのがわかる。
なのに、普段の放送だと、アズリムが芸人をやっているだけなんですね。アズリムのドタバタ芸も機敏な動きもよく再現するんだけど、それだけのために細かな動きを拾えるようにしているのか、という疑問を持ってしまう。もちろんアズリムの可愛らしさを支える要素のひとつであることは間違いがないし、それだけで十分に価値があるわけなんだけど、普段の配信ではいわゆる「技術の無駄遣い」みたいな印象は否めない。

もうひとつ、アズリム動画はカメラワークが多様であるという特徴がありますね。紹介した動画の投稿された時点では、複数の固定カメラが様々な角度、距離からアズリムを映すことが出来ていました。カメラのアングルが複数用意されているというのは他のVTuberも同じですが、アズリムはしばしばグラビア撮影のような(現場を見たことはないのでイメージですが)、アズリムの可愛さを引き立てんとするアングルに切り替わる。一方で、アップになったと思ったら下三白眼だったり、唐突な引きのアングルだったり、意味不明なものもあるので、かえって可愛いシーンが際立つという印象もある。先日の動画ではさらにアズリムを追尾するカメラを獲得していました。
配信中に時々カメラが切り替わり、アズリムをいろんな角度から撮影して観賞するという雰囲気はよく出ています。しかし、やはり、それだけなのか?と思わせるものがある。


そんな中、このようなダンスの動画が出てきた。高度なトラッキング技術はアズリムの激しいダンスをきっちり追従している。カメラはそこまで多彩ではないものの、それでもいくつかのアングルを切り替えてダンスを魅せるよう演出している。
芸人を撮影するだけかと思っていたこれらの技術は、実はダンスを撮影するためにあったのだということが(思い返せばアズリム自身の演劇歌唱スクールだのデビューしたいだのといった発言(設定?)もあり)、この動画によって明確になったとわたしは思いました。
(実際には、定期配信の終わり際にアズリムが踊ってみせることは度々あったのですが、情けないことにわたしはこの動画を見るまで、高度な技術の(疑問を差し挟む余地のないというくらいの意味で)「適切」な使い道に気づけなかった。)

もうひとつ大事な要素があります。アズリムの足元を見ると、くっきりした影がうつっているのがわかります。真っ白なキズナアイ空間なので、色の濃くなった影はより目立って見えると思います。アズリムが動くと影もちゃんとアズリムと同じように動く。アズリムは影のおかげで確固たる質感でもって地面に足を付けている。これもまた、地面で体を支えて動き回る説得力のために必要なことと言えます。

アバターの動きの精緻さ、多彩なカメラ、影による接地感。これら全てはまさにダンスを志向していると言えるのではないか。
それを、サイレントマジョリティーの動画で、普段の「技術の無駄遣い」感から一転して「本来の用途」感を見せてきたところが非常に上手かった。


アズマリムのVR空間はキズナアイのものを模したような、真っ白の床に黒いグリッドの入っただけの虚無空間です。普段アズリムが生配信で芸人みたいなことをしているのがこの空間です。
サイレントマジョリティーの動画も、後半は背景が切り替わるけれど、基本はキズナアイ空間です。アズリムが、どこかに設えられたステージではなく、普段の空間で踊っていることを表している。普段の空間でということは、普段の環境(技術)で撮影していることを意味しています。アズリムは普段は生配信をしています。この動画は生配信ではないので本当なら切ったり貼ったりは自由にできるはずなのですけれど、そういう加工はされていないかのように感じてしまう。

この動画が切り貼り無しの撮影のように見えるのは(実際に切り貼りは無いのかもしれませんが当記事ではそこは重要視しない)「普段の環境」で撮影していると思わせる演出のおかげでしょう。
普段通り、すなわち、生で撮って、声も動きも同時に発生して、という状況のことです。おそらく実際に、この動画を一回の撮影で撮れてしまうだけの技術がある、それが普段の配信で実証されている。まさに「普段の環境」でやるとこういう動画が撮れてしまうということを、生配信で裏付けてきたわけです。アズリムは普段のように途中で疲れ果て(今回においては、これだけ歌って踊れば当然疲れるはずだけれど)、普段のアズリムの動きや口調が漏れてしまう。こういった普段通りをあえて見せる方法が、この映像も同じ状況下で生まれたものであると視聴者に思わせているのです。