チクル妄想工房

ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

ぱすてるメモリーズ 3話

基本的にクソアニメという認識でいいんだと思いますが、1話2話を見ていれば3話について書くことはありますし、せっかくだから続けて書きます。

 

前置き
  • 何もかも寒いし、話の展開も雑

このアニメが大変なアニメっぽくみえるのはこの辺が理由でしょう。ジャージとかうなぎとか酷いですし、関係ないネタを唐突に強引に入れるのもすごいです。
話の流れも多くのものを端折りながら寒いやりとりを挟むかたちで進めているので大変です。1話につき1つの作品を扱うのでネタを搭載することまで考えると30分という時間は少々短いのかも知れませんが、ぱすてるメモリーズを1時間見せられたら困ることも事実ですから仕方がないのかも知れません。好きです。


本題

人選の理由

前回の3人はキャスティングの理由が不明でしたが、今回は選出メンバーに過去のストーリーを作ることできちんとクリアしていました。3話の主役は美智であり、彼女には選出する明確な理由がプロフィールに絡めて用意されていました。一方、他の二人は美智に付随して登場していたのに近いでしょう。
また、先ほど調べてわかったのですが、今回の3人も、1話2話の3人も、学校が同じというつながりがあるようです。1話でトップキャラのピンクを出したいのはわかりますから、1話2話のキャスティングも自然ああなったと言えるかもしれません。


熱量の差

さて、3話で目立つ点を挙げるなら、そのひとつは、ある作品に対する個人個人の思い入れの度合いが違うということです。
従業員のうちで「薔薇色の乙女」の内容をはっきり憶えていたのは美智だけです。彼女にとっては結衣奈と薫子との、3人の思い出の作品で、そのことこそを大切に思っていたからです。にもかかわらず、結衣奈と薫子の2人もその作品のことを忘れていた。他の従業員も朧げに憶えているだけで、詳しい内容までは思い出せませんでした。
結果的には、結衣奈と薫子は「薔薇色の乙女」の内容と、それにまつわる美智との思い出を思い出し、作品世界で戦うための力を得ました。
美智にとっても、結衣奈と薫子にとっても、作品そのものの記憶だけが大切なわけではありませんでした。作品を一緒に楽しんだ3人の思い出であったことが大事だったのです。

美智と2人との間にも、3人と他の従業員との間にも、作品に対する熱量には差があります。
作品を鑑賞するという体験それ自体が、個人が生きている人生のなかで、あらゆる事物との関わりがあるなかでなされることです。時々の生活環境、鑑賞時の年齢、それまで蓄積してきた他作品の観賞経験、鑑賞時に持っていた知識体系、聞きかじった程度の体系化されていない情報も様々です。
同じ作品を鑑賞するのだとしても、鑑賞体験の質には個人差があるし、当然そこから生まれるであろう「思い出」というものも違ってきます。であるならば、今現在において持っている作品に対する熱量も違ったものになるでしょう。
そのことがとてもよく表現されていたと言えます。


思い出は個人的なもの

1話ではオタク文化の衰退した秋葉原の風景を描いていました。オタク文化が廃れたことでオタクコンテンツを扱う実店舗が消え、それを求めて訪れていた人たちもいなくなった景色が映されています。
無機質なオフィスビル街になり果てた秋葉原の風景から受ける印象や、推察できる本作品全体を貫くストーリーとはどんなものでしょう。
秋葉原は日本のオタク文化の中心地だったが、オタク文化の衰退によってこの土地から以前のような活気は失われた。だから彼女たちは、自分たちの大好きなオタク文化を取り戻したいと願う。そのために個々の作品の思い出を救っている。作品をひとつひとつ蘇らせることでオタク文化は復興し、秋葉原は元の風景を取り戻す。
およそそんな感じかと思います。しかし3話で示唆されたのは、それとは全く異なるものでした。

彼女たちが体を張って守ろうとしているのは秋葉原オタク文化それ自体ではありません。個々の作品それ自体でもありません。3話で語っているのは、本当に大切なのは、作品を鑑賞することで生まれた個人個人の思い出であるということです。
結衣奈と薫子が思い出を取り戻すことで、美智が大事にしていた「薔薇色の乙女」にまつわる思い出を再び3人で共有することが叶いました。
それは3人の問題であり、秋葉原の問題ではありません。

この理屈に準ずれば、彼女たちの活躍(作品世界でのウィルス退治という意味でも、現実世界での何らかのアプローチという意味でも)がオタクたちのコンテンツ鑑賞を促したとしても、それもまた秋葉原の問題ではなく、鑑賞者個々人の物語である。3話から読み取れるのはそんな態度です。

1話2話について振り返ってみるのもいいかも知れません。1話2話のストーリーは、「うさぎさんカフェへようこそ」が思い出の作品だという女の子が、交流ノートに残した言葉がきっかけでした。SNSでの呼びかけに応えてくれた人たちも、作品に対してそれぞれ大事な思い出を持つ人たちだと考えられます。ウィルスを倒したあとに店に来てくれるようになった客もかつて作品を愛した人たち、そしてこれから作品を愛し思い出を作るかもしれない人たちです。店長が作中のそれを参考に店の制服をデザインしたのも、作品に対する特別な思いの現れだと考えられます。


秋葉原の風景

3話の描写を総括すれば、作品を救い思い出を取り戻すという活動が目指すのは、ひとつひとつの作品の記憶を秋葉原という土地全体によみがえらせるのではないことがわかります。じっさい、従業員たちは1話から3話にかけて2つの作品を救うことができましたが、秋葉原の景観に変化があったという描写はありません。
それでも彼女たちの行動が、忘れられていく最中にあったいくつかの作品を再び人々の記憶に上らせ、かつてのファンたちに再度作品を体験するきっかけをもたらしたのは間違いのないことです。

彼女たちの活動成果を見て取ることができるのは、彼女たちの働く「うさぎ小屋本舗」の様子の変化によってです。1話以前も、じっさいにはそれなりの客入りがあったのかもしれませんし、そのうち何割かはオタク趣味を継続している人なのでしょうが、作中では解りやすさのためか閑古鳥の鳴く様子が映されているばかりです。それに対し、ウィルス退治を終えてからの喫茶店の様子としては、彼女たちの救った作品を目当てに訪れる人々が増えたらしいことが描写されています。3話の解決後に「薔薇色の乙女」のコスチュームを着るというキャンペーンを実施したこともこの文脈上にあります。
個々の作品を救うことで活気づいたのは、秋葉原という土地ではなく、喫茶店「うさぎ小屋本舗」だったことがわかります。

本作において、秋葉原の風景は単純にオタクの一般意思を表象しているのではありません。
いまでは彼女たちの居城である「うさぎ小屋本舗」が、以前は秋葉原にいたであろうオタクたちの居場所となっています。そうして、作品を救うごとに「うさぎ小屋本舗」は活性化し、彼ら愛好家の姿も増えていく。
本作品においては「うさぎ小屋本舗」こそかつての「秋葉原」なのです。

本作品の視聴において、上記は非常に重要な点だと考えています。


彼女たちもまたオタク

彼女たち従業員は古今東西の、もしかしたら忘れられてしまったものも含む、無数の美少女コンテンツ・美少女キャラの亡霊です。そして、オタクたちの限られた(もしかしたら唯一の)居場所を、自分たちの活動場所としています。「うさぎ小屋本舗」で接客をしながら、グッズを販売し、店内を装飾し、自分たちもオタクとしてコンテンツを鑑賞し、同時にウィルスを退治して作品の思い出を復活させる。
彼女たちは美少女コンテンツ・美少女キャラクターの亡霊でありながら、何らかの意味で、それを摂取してきたオタクたち自身とも重ねられていると考えられます。

引っかかる点もあります。彼女たちの救うのはどれも連載を終了した過去の作品であり、個々人の記憶の中にのこる思い出であり、訪れるオタクたちも恐らく昔の作品に思い入れのある人です。こういった昔の作品にこだわる態度と、他の要素とを関連させて掘り下げることもできるでしょう。材料の提示されていないうちは根拠のない推測しかできないため、現段階でこれ以上の言及は差し控えますが。


おまけ

彼女たちはきっと消えない

根拠のない推測と書いたそばから矛盾するようですし、先の展開を考えてもあまり意味はないのはわかりますが、それとなく見えてくる思想の片鱗(あるかどうか知らんけど。クソアニメだし)から、彼女たちの存在の理由や意義について思いを巡らすのも楽しいことでしょう。
「うさぎ小屋本舗」が新しい秋葉原なのだとすれば、彼女たちの物語を一通り終えて人々の思い出が復活したときも、彼女たちは消えてなくなりはしない。そんなことを考えます。

オタク文化の聖地としての秋葉原は復活しないでしょう(実際は知らんけど)。でも「うさぎ小屋本舗」はある。「うさぎ小屋本舗」として成立する秋葉原がどんな意味を持つのかは、わたしの不出来な頭ではよくわかりません。そも今の段階で考察すること自体困難です。
でも、ひとつだけ思うことは、彼女たちはきっと秋葉原という土地に縛られる必要がなくなります。「うさぎ小屋本舗」があれば、秋葉原という土地がなくても存在できるようになるのです。そんな明るい想像をしてしまいます。