チクル妄想工房

サークル「小公園」の仮拠点です。ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

ぱすてるメモリーズ 6話

6話は愉快なバカアニメに仕上がっていてかなり楽しめる内容だったかと思います。
じっくり見て興味を惹かれる点もありましたし、今回も感想を書こうと思います。

 

これまでの話との相違点

ネタがオタク向け作品ではない

オタク向け作品しか扱わないものと思い込んでいましたが、まさかのハム太郎(他)でした。
本作品のテーマと思われる作品享受の態度が軸であることは外していないものの、5話も同様ですが、オタク間の交流ではなく、作品に対する個人的な向き合い方、鑑賞態度について描いています。
「へっぽこチュウ太郎」という作品のことは、うさぎ小屋本舗の従業員全員が知っていました。一般向けアニメの、それもかなりの有名作品という位置づけのようです。オタクでなくても知っている作品で、(本作での)かつての秋葉原に集まる人々以外も知っているということになるでしょう。
6話主役の怜も知っていました。怜の趣味はロボットやプラモデルだという話が出てきましたが、もちろんそれ系統のアニメは見ているとして、それ以外のアニメにどれだけ詳しいのでしょうか。怜はアニメをあまり見ないけれどカワイイ好きなのか、それとも他の従業員に負けず劣らずのアニメ好きでかつカワイイ好きなのか。残念ながら現段階でははっきり判断できませんが、区別するべきでしょう。いい歳をしたおじさんが子供向けアニメ女児向けアニメに夢中になることをわたしたちは知っています。1話からオタク向け作品ばかり扱ってきたあと、6話にきてハム太郎とパターンを外し一般向けアニメを持ちだしてきたのですから、そこには何か読み取るべきものがあると考えられます。

チュウ太郎の話題で従業員たちが盛り上がる場面を、オタク間の交流の様子を描いていると言い切ってしまうわけにはいきません。有名作品の懐かしい話に花を咲かせるというのは、アニメをあまり見ない人でもありうるシチュエーションです。知らない作品を薦め合うというのはそのジャンルが好きな人同士でしかしませんが、知っている作品の話題で話が弾むのは、それほどジャンルに詳しくない人たちの間でも起こりえます。
もちろん「皆が知っている」にも種類はあって、「皆」というのも「日本人なら誰でも」だったり、「海外の人の多くも」だったり、「アニメ好きなら誰でも」だったりします。チュウ太郎という作品はどのレベルに該当し、また怜はどのグループに当てはまるのでしょうか。わたしには判断できませんでしたが、大事な問題だと考えています。


町の風景を映している

5話までとは打って変わって、彼女たちの住む町の様子をたっぷりと映していました。といっても秋葉原の現状を映していたのではなくて、怜の生活風景を映すという意図においてです。彼女の登下校や通勤の街並みを6話では知ることができます。そこにはオタク文化聖地のなれの果てとはまったく異なる次元の日常風景がありました。怜は「美少女キャラ」や「オタク」を仮託された存在としてのみではなく、生身の女の子としての生活を持っていることが感じられます。
もちろん、作品設計からすれば、怜や他の子たちが「美少女キャラ」の何らかの性質、「オタク」の作品享受の態度を負わされているという前提はあります。例えば、ハム太郎世界の攻略に怜を選出してギャップ萌えを提供することだったり、今回のテーマであろう「好きを好きと素直に表現する」という態度だったり。
であっても、怜は一人の人間であり、オタクカフェの従業員や作品世界で戦う戦士という肩書を外したところでは、動物好きでカワイイ好きの女の子であるのです。彼女のカワイイ好きは作品享受に限った話ではありません。嗜好は作品の好みにも反映されていますが、そこから外れた現実世界にこそ重点を置いています。


本題

構造の反復

本題と書いたそばから余談なんですけど、先に書いておきます。

6話のストーリーは、怜が自分の好きなものを好きと言えるようになるという話でした。
見えやすい形としては次のように表現されています。怜ははじめ現実世界で人の目を気にしていたせいでチュウ太郎に興味がないふりをしたり、道端の犬を撫でられないでいたのが、作品世界では一人の時に動物と存分にふれあい、その時仲間に隠していた可愛いもの好きがばれましたが、自分の好みを素直に表現することを認め、最後には現実世界でも仲間の目を気にせず泉水の前でも犬を可愛がることができていました。
これは、意味合いはちょっと違いますが、映像として描かれているものの構造は5話の焼き直しです。5話はというと、自分に自信の無かったちまりがイリーナの誘いを断り、作品世界で成長し、ラストは将棋のシーンに回帰しつつちまりの変化を描いて「締め」る。同じことを6話では映像的には犬を使ってしているということです。
物語作品の構造としては実に常套ではあるのですが、前回と同じ見せ方をするという点をみると、本作品におけるパターンの存在をにおわせます。というのは、直前の話と同じことをしている例がたった6話のうちにもう一つあるからです。3話と4話です。
仲間同士の大切な作品があり、そのうち一人だけが作品のことを覚えていたが他の子は忘れていて、そのせいで寂しい思いをしていたのが、みながそれを思い出すことで解消されてさらに仲がちょっと良くなる、という展開です。(参考:4話感想
(言うまでもなく、作品鑑賞・享受の態度のありかたを描くために、作品世界をウィルスが壊し、従業員たちがそれを救い、合わせて現実世界でも何らかの問題の解決や改善がなされる、というのがこの作品全体を通した第一のパターンですね。ちょっと問題が異なるかと思うので置いておきましょう。)

反復され、定型化すると、その型が一度きりだった時に持っていた価値は失われてゆきます。あるいは、繰り返すこと自体が価値を帯びてゆきます。各回を対比することで価値が生まれるということもありますが、今回は当てはまらないでしょう。あるいは、反復の形態を少しずつずらしていくことで何らかの効果を生む、というのは期待できるかもしれません。登場人物の成長物語を今後も組み込んでくることはあり得ます、が、3話4話を考えるとそれに限定されることもなさそうです。繰り返すことで一回一回の意味を軽くしてやるという見方がひとまず妥当かなと考えます。
3話の構成は作品享受がもたらす思い出という観点からしてそれ自体がテーマとなり得ましたが、4話ではストーリーを開始し形だけの落ちを作る道具でしかありませんでした。5話と6話ではともに登場人物の成長を描きたい意図のせいで、同じ風景に回帰するという作りはどちらの回でも重みを持ってはいますが、前回の話から繰り返されたという感触は消せません。同じパターンを使ったなという印象を視聴者に残すことになります。また5話と6話は似た観点を持っているというヒントにもなります。

注目すべきは、こうした個々のパターンが存在することよりも、物語を形作るための特定の展開や構造を後の回でも繰り返すことで、パターンを作っていく、という方法のほうだと考えます。反復し、定型化することで、意味を消してゆく、または別のものを付与していく、という本作の手際が見えてくるように感じられます。

さておき、以下ほんとうの本題です。

 

「好きなものは好き、自分の気持ちに正直にならんと、無くしてから言っても遅いんやで」

6話のテーマは南海の台詞がすべてと言っていいでしょう。一通り見れば誰しも同じ読み方のできるわかりやすい話であると言えます。
これは作品のコンセプトに関わる話なので、とても重要です。皆それぞれに好きな作品があり、作品の大切な鑑賞体験や、それにまつわる思い出を持っています。それを守ろうというのがぱすてるメモリーズの全体の設定でした。
であれば、彼女たち自身も自分自身の好きなものを好きと認め、表明する態度を大切にしなければなりません。そして、他人のそれを何よりも尊重しなければなりません。怜もコンテンツ享受者の一人として、自分自身の嗜好を大切にすることや、好きなものを好きと素直に表現する態度を体現することを求められました。また怜の仲間も、怜の何かを好きだという気持ちを絶対に尊重するはずなのです。作品全体のテーマからして、怜は今回のような変化をどこかで必ず実現することを求められていたと言えます。

 

泉水と怜のコミュニケーション

もうひとつ軸があります。今回のストーリーの発端は、泉水と怜とのコミュニケーションの問題でした。泉水が怜との間に距離を感じていて、それを解消しようと、怜のことをもっと知りたい、仲良くなりたいとアプローチをかけるところから話が始まります。怜は自分の内面をあまり表に出そうとはしませんでしたが、今回の冒険をきっかけに泉水は怜の可愛いもの好きという意外な一面を知り、怜も自分の趣味に関して以前より素直に自己表現できるようになり、最終的には二人の関係がそれなりに進展したように描かれています。

というのが、6話の二人の関係の流れですが、考察するうえで気をとめておくべきポイントがあります。

 

泉水の問題か怜の問題か

泉水は、従業員仲間である怜とうまくコミュニケーションが取れていないと感じています。かといって不仲なのかというとそういうわけでもなさそうで、怜のクールな振る舞いが他人と距離をおこうとしているように泉水の目には映るようです。あるいは泉水がそう感じているだけではなく、実際その通りかもしれません。怜は自分が可愛いもの好きであることを表明するのが恥ずかしい、自分のイメージと合わないと感じていて隠そうとしているのは事実です。
ところが、泉水は怜との交流における悩みを他の授業員に打ち明けると、怜は誰に対してもクールで泉水ととくべつ距離を置こうとしているわけではないのだと言われます。怜の普段の態度や性格を問題視する子はおらず、コミュニケーション上の不満も持っていない。怜は仲間と上手くやれていないわけではないし、普段の言動に対しては仲間から一定の評価をされています。ただ、泉水だけが怜との関係にぎこちなさを覚えているし、もっと仲良くなりたいと思っているわけです。

さて、二人の関係が上手くいっていないように見えるのは、泉水の問題でしょうか。それとも、怜の問題でしょうか。
泉水が怜との関係に不満があり、もっと仲良くなりたいと考えている以上、二人の間には実際に問題は起きているわけです。そしてどちらか一方が原因であるということでも恐らくないのです。

6話は泉水と怜の二人の視点が混在しています。冒頭部分を見ればはっきりとわかります。5話と同じく特定人物の成長譚という性質はあるものの、たんなる焼き直しではありません。二人の視点で物語が展開していることが5話との違いになっています。
二人のコミュニケーションの不和について考える上でのポイントは、泉水と怜のどちらに焦点を当てるかということです。

 

  • 泉水の場合

泉水の側から考えた場合、6話は仲間とのコミュニケーションというものに対する泉水の考え方が駆動する物語であると言えます。怜は泉水と他の子たちを区別しているわけではなく、他の子たちは怜の態度に不満を抱いていないのに、泉水だけが怜との交流の仕方を問題視しています。泉水の価値観や信念によれば、怜と自分との現状は改善すべきなのです。
怜は自分のことを話さない。泉水は怜のことを知らないし、もっと知りたい。ロボットやプラモデルが好きなだけじゃなくて、私生活はどうだとか、他の趣味はあるのかだとか、一生懸命話題を探して、とにかく怜の内面に近づきたいと考えます。
仮に物語設計からの要請が無ければ、泉水以外は怜の態度を問題視していなかったのですから、怜は乗り越えるべき課題を抱えてはいなかったとも言えます。怜は以前のままでも従業員仲間たちと上手くやっていくことはできたかも知れない。できなかったかも知れないとも言えるでしょうが、泉水の見聞きした情報からは自分の抱く違和感の他に問題は見つかっていない。にもかかわらず、泉水は怜にアプローチをかけた。とすれば、泉水の個人的な価値観こそが6話のストーリーを動かしたという見方ができます。

 

  • 怜の場合

怜の側から考えた場合、6話は怜が自分の正直な気持ちを隠そうとするあまり、普段から冷めた態度を取りがちだったかも知れない、ということでしょう。すでに書いたように、「好きなものは好き、自分の気持ちに正直にならんと、無くしてから言っても遅いんやで」という南海の台詞が表すテーマに繋がります。
怜が可愛いもの好きであることを隠そうとする点が、彼女の解決すべき問題であったとすれば、泉水以外の子が怜の性質を問題視していなかったということは、従業員のうち泉水ただひとりが怜の抱える問題に気付いたということになります。
可愛いもの好きであることを隠していたのは、アニメ公式サイトのプロフィールにあるように、彼女の恥ずかしがり屋で本心を隠そうとしてしまう面によると考えられます。彼女のこの性質は、今回泉水とのちょっとした不和を生んだように、欠点として問題を発生させることもあります。それが6話のストーリーで少しだけ改善に向かったと見ることもできるでしょう。

(ところで、同校の二人だけは、怜のほんとうの嗜好を知っているか察している、また性格を深く知っているせいで怜のいまの態度の理由を理解しているととれる描写が何個かありました。萌えポイントですね。)


趣味について

ぱすてるメモリーズでは、個々の作品をそれぞれ大切にし、それを鑑賞する者の思い出をまた大切にするという考え方を取っています。そこには、知人同士での思い出の共有や、作品を知る人同士の交流、作品を知らない人への紹介というかたちでのコミュニケーションなども含み、作品を通じて人と人とが関わりを深めていく様子も描いてきました。

一方で、6話の怜はプラモデル、5話のちまりは歴史といった具合に、登場する女の子たち一人一人が別々の趣味を持っています。趣味の情報は公式サイトのプロフィールでも確認できますが、各回でも注意して視聴すれば彼女たちの言動に各々の趣味嗜好が反映されていることもわかります。3話では美智のドール趣味が前面に押し出されていたことも思い出されます。各人わりと開けっ広げにしているのに誰も否定しないという良い関係がある、もしくは暗黙的に共有された倫理があることもわかります。

6話のストーリーのきっかけは、泉水が怜と仲良くなろうとすることでした。最初に近づいたとき泉水は怜の好みを聞き出そうとしますが、そのとき話しかけるきっかけとして、怜が喫茶店で広げていたプラモデルのことを持ちだします。泉水は質問をし、怜は回答しますが、泉水はプラモデルに興味があるわけではなく、怜も簡潔な回答しかしないため話は広がりません。
最初はそんなちぐはぐなやりとりでしたが、最後には泉水は自分はプラモデルには興味もないし知ろうとも思っていないという正直な態度を見せます。怜も6話の経験で素直になりましたが、泉水もまた怜とのコミュニケーションにおいて嘘のない態度を取ることができるようになったと言えます。

ぱすてるメモリーズは、個々の作品は楽しみや思い出を共有できるものとして扱いますが、それとは別に、ごく個人的な趣味とでもいうような概念があります。6話ではとくに、個人の趣味というのは必ずしも他人と共有するものではないし、できるとも限らないという表現をはっきり出しています。そうした態度も他人の趣味を尊重することなのでしょう。興味があるふりをしたり、興味がないのに話題にしようとしたりしなくてもいい。誰かと分かち合うことをせずとも、自分が確固として好きであれる趣味を彼女たちは持っています。
(泉水のプロフィールの趣味の欄が「特になし」となっているのが気がかりではありますが、いずれ言及されるのでしょう。いやされないかも知れません。あまり信用できないので何とも……。)