チクル妄想工房

サークル「小公園」の仮拠点です。ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

Alcedoちゃんフィギュア制作まとめ

だいぶ昔の制作ですがまとめます。

モデルはせらすずな先生の「Alcedo」ちゃん

booth.pm

ポーズはアイマスの「GO MY WAY!」

素体をざっくり作って造形塗装のしやすさを考慮して分断

服や髪の毛などを造形

試しに組んでみてます

組んで直して組んでを繰り返してます

髪の毛造形中。前後で分けて作ってます

ポニテも合わせて調整

手とか服の皺なんかの細かい所を少しずつ作ってます

翼と尾羽をどうするか色々考えました。

羽根を大量に作って重ねるというやり方にしました

バランス調整
ゴーグルも作っています

羽根を挿す穴です

ほぼ造形は出来上がりです

組んでみてよさそうなのを確認
紙やすり・スポンジやすりでしっかり磨いて表面はツルツルです。最終的に2000番くらいで磨いてます。

サフを軽くふきました

サフを吹いては削り、吹いては削って表面を完璧にツルツルにします

エアブラシで塗装

翼のオレンジのグラデーションを付けます
ちょっと失敗しています

台座のボツ案

全体を塗装

表面に艶消しニス的なものを吹いています。

組み立てて完成です。

 

完成品の写真はこちらの記事

Alcedoちゃん - チクル妄想工房

Undertale 感想

一昔前に話題になった『Undertale』をようやくプレイ。いつかやろうと思ってなぜか別ハードで3つくらい買ってます。

まあ面白かったです。でも、めちゃくちゃ面白かった、ではない。めっちゃお勧め、では決してない。
以前から何人かに勧められていて、日本でも相当売れたことだけは知っていたので、期待してプレイしたんですが、そのせいもあって少々肩透かしを食った感あります。世間の人気は過大評価といわざるをえないなと。まあ間違っても超大作ではないなと。内容を考えると名作という呼び方もはばかられるなと。
これが大衆にバカみたいに売れたというのはちょっと出来の悪い嘘じゃないかと思って、その疑問は作品の完成度云々以前に、クセの強い作風にあります。

 

ひとことでいうとメタ演出盛りだくさんのRPGです。
作品の独特のノリについていけるかどうかが要ですかね。私は厳し目でした。
Pルートまで見ました。Gルートの途中で投げました。ここまでプレイした感じ、最後までやって評価が逆転するとも思えないのでいいかなと。Gルートの進行や途中のボスは苦行に近いので。

全体的な雰囲気はマザーを意識したような感じで、モンスターと会話して和解するシステムはメガテンっぽい。戦闘シーンそのものは弾幕シューティングです。

戦闘システムは面白いです。おそらくは元ネタであるメガテンの悪魔との会話は、世界設定に関わるとはいえ、進行上はプレイヤーの体感としてはゲームを有利に進めるためのゲームシステムにとどまりますが、本作はモンスターとの一戦一戦の進行がそのままシナリオ進行に組み込まれています。モンスターの攻撃方法、攻略方法、倒すか倒さないかの選択などすべてです。ここは非常に凝っていました。

キャラの見せ方もいいですね、上手いというより、作者がキャラを愛しているのが伝わってくるというか。その熱に好感が持てるなという感じです。

でも、シナリオがぶっちゃけ寒かったなと。ノリと勢いだけでやってる感じです。
ここまでストレート、いや安直なメタネタを堂々とぶち込んでくる感じは、何というか一昔前のフリーゲームっぽい印象でした。切り込み方があまりにも粗い。まったく洗練されていない。この手のメタネタがもう手垢まみれなのは作者だって承知と思いますが、それでも相当の熱量でゴリ押ししてしまう異様さ。インディーだから許された感じ。期待のハードル上げてなければ私も全然許しましたけど、事前に人気を知っていたのでちょっと厳しく見ることになってしまいました。
そのへんに関わる戦闘進行・シナリオ上の演出には非常に強い拘りを感じるのですが、反面それがあまりにもくどすぎてあまりにも押しつけがましく、完璧にフリークの作った「ぼくのかんがえたさいきょうのRPG」の仕上がりになっていると思います。正直興味持てないレベルの手軽なメタ言及にたいする過剰な演出は、多くの場合ひとりよがりと評価される性質のものでしょう(私はひとりよがり行為自体は好きです。さすがに最後の方は白けてきましたが)。

 

作風を見るに、作者もここまで売れるとは思っていなかったのでは? ぜんぜん大衆向けになってなんかいないですよ。知る人ぞ知るマニアックなRPGって位置づけがふさわしいと思います。ほとんど独力で作ったというのは確かにすごくて、そういう変わったインディーゲームがあるよと、語られるにはただそれだけでよかったのでは。

私だったらこれを面白いRPGとして、大手制作のゲームと同列にして他人に勧めることは決してしないでしょう。本作に対してそのような語り方は、誰にとってもいい結果を生まないと、容易に想像できるからです(現実には何故かそうではなかったということですが)。メタネタのあるRPG知ってる? とかなんとか聞かれたときに、そのうちの一作品として紹介するくらいだと思います。マジでなんでこれがバカ売れしたのか分からない。

世間の評価を知らず自分で発掘してプレイしていたなら、作者の熱量に感銘を受けてきっと好きになっていたでしょう。思い出にも刻まれていたでしょう。でも不運なことにそうじゃなかったのでした。作風や規模にそぐわない広まり方をしたゲームだと思います。

VRC吟行句会 句集

2023年2月からVRC吟行句会というイベントを開催しています。

一周年記念として、イベント中に詠んだ句をまとめた句集を刊行します。

次の即売会から頒布します。よろしくお願いします。

 

イベントは隔週火曜日の21:30~24:00 に開催しています。

参加は、VRChatのGumBaseアカウントにjoinでお願いします。

VRChatアカウント:

https://vrchat.com/home/user/usr_543bbb69-a10f-4702-8554-aea0f5371dbe

イベント用Twitterアカウント:

https://twitter.com/VRCHaiku


YouTube

www.youtube.com

 

コミケ103 では、12/16 - 18 に行った合宿句会の句集を頒布しました。

こちらも次回以降も頒布します。

10年前の NovelsM@ster から、あのんちゃんへ

別名義で投稿していましたが、10年前だし、もうよいかなと思います。

ろきう という名前でノベマスを投稿しておりました。

 

いまあらためて見返すと、当時自分が何を考えていたのか、どんな悩みがあったのか、生活にどんな困難があったか、同じ界隈の人との認識の決定的な差異、後ろめたさ、様々な記憶がよみがえり、涙さえ出そうになります。

 

好きなものを好きでいるというのは簡単なようでいて難しい。自分の好きを支えてくれるのは案外同じものを好きでいる他人だったりします。しかし、自分と他人の好きは絶対に重ならない。同じなのは「好き」であるという漠然とした感情の傾向だけです。他人の「好き」は究極的には理解できない。反面、それはただ単に尊重しなければならないものでもあります。

自分の好きが周囲のそれとかけ離れていればいるほど、自分はおかしいのではないか、向き合えていないのではないかという不安が生じてきたりするものです。天海春香との思い出として欠かしてはならないものを自分は欠いているのではないか、知らなければならないものを知らないのではないか、経験しなければならないものを経験していないのではないか。そんな後ろめたさがありました。そのしんどさに、当時の自分は自分なりに向き合おうとしていたと思います。

 

いまはどうでしょうか。あのんちゃんに向き合えているでしょうか。

何かを好きでいることにおける規範というものがあるでしょうか。理想的な好きとは。多数派がより道徳的なのでしょうか。邪道というものもあるでしょうか。そもそも、あのんちゃんはアバターであり、中身はありません。中身は自分だったり、他のプレイヤーだったりです。私たちはあのんちゃんをアバターとして愛するしかないのでしょうか? あのんちゃんは、コミュニケーションツールとして使用することが好きのあり方の規範なのでしょうか?

いつか、天海春香のことを空洞であると私は思っていました。皆が天海春香を好きだけれど、皆の見る天海春香はそれぞれ異なった姿をしている。皆、別々の思い出を持っている。それは、私たちはそれぞれ天海春香の一面しか知ることはできないということかもしれないし、あるいは、天海春香は我々の数だけ我々とともにいるということかもしれません。その中心の天海春香は、誰から見てもこれこそ唯一である実体というものは無い、空洞のようなものであると。

あのんちゃんはどうでしょうか。あのんちゃんとは何なのでしょうか。あのんちゃんを好きでいるとはどういうことでしょうか。VRChatという、コミュニケーションを目的とするプラットフォームで、アバターを愛するというのは、アバターを綺麗に飾り付け、可愛く撮った写真をアップロードし、他人のあのんちゃんも愛しく思い、互いにあのんちゃんが好きであることを喜び合うことでしょうか。そうかもしれません、しかし……

それを超え出た場所はあるでしょうか。あるとすれば、そこにはどんな光景が広がっているでしょうか。天海春香以上の、途方もない真空が広がっているだけなのでしょうか。

 

何かを好きであることを皆が表現する世界で、自分がどうふるまったらよいか、何をどのように表現したらよいか、それを考える方法は事前に与えられてはいません。同じ共同体の他者を見て私たちは学習し、模倣し、表現手段を得てゆきます。そして共同体に馴染んでゆきます。

私たちは決して自由ではありません。観測できる世界は限られているし、現実に取れる手段は限られているし、ありとあらゆる制約を受けて、自分のふるまいは方向づけられてゆきます。そういった環境的な要因によって方向づけられた自らのふるまいに、自らの好きという気持ちもまた、引っ張られてゆきます。自分の気持ちすら自由になるものではありません。

それでも自由でありたい。自由ではないと分かってはいても、です。

コミックマーケット102

2023/8/13(日)
コミックマーケット102に出店します。

 

サークル:小公園(日-東ウ39a)

ウェブカタログ https://webcatalog-free.circle.ms/Circle/17302849

 

新刊で、ちぺろさん(@tipero3)2nd写真集『ちぺろはぁと』を販売します。

OИEちゃん(@VRC_ONE_)にも撮影協力してもらっています。お洒落なVRC写真を撮っている方です。

 

下記を販売する予定です。

 

文学フリマ札幌8

文フリ札幌 2023/7/9(日)
札幌コンベンションセンター 大ホール
12:00~16:00

小公園:あ-14 で出店します。

既刊の他、新刊として合同誌を出します。

bunfree.net

新刊

・『虚蕾(TSUBOMI) vol.1』

 テーマ「本物と偽物」

 小説・漫画・イラスト・俳句

・『淫虚蕾(CHUBOMI) vol.1』

 テーマ「本物と偽物」

 小説・エッセー・マラ俳句