チクル妄想工房

ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

第28回 文学フリマ東京

5/6(月) 第28回 文学フリマ東京 出展

  • ブース位置 : ト-12
  • ブース名 : 小公園

 

 

小説「潜像」頒布します。

活動継続のため、500円に価格変更しました。ご了承ください。

(あまり安く設定しすぎると、今後のすべての品を同程度に安価で販売しなければならなくなり、紙媒体作品でのイベント参加が厳しくなるためです。)

 

写真付の小説です。「やがて僕の訪れる公園」の続きのような話です。

 

 

※ おまけ(付録)

ノベルゲーム「やがて僕の訪れる公園」

  • 本編(DVD)

web公開しているものと内容は同じです。R-15。

作者のセンスでネタバレにならない印象的なシーンを選びました。本編をプレイしないでこちらだけ読んでも、何となく雰囲気をつかむことや、「公園」の物語で何が起きたのかを推測し「潜像」を読み進める手掛かりにすることはできると思います。「潜像」を読むための準備としてだけなら、本編を読まなくてもこれにざっと目を通しておけば足りると思います(やっぱり足りなかったら諦めて「公園」本編を読むか、「公園」のことは忘れて「潜像」だけを読んでください)。

 

 

今回は新作はありませんが、前回立ち読みのみだった「やがて僕の訪れる公園」の小冊子を付録することにしました。

 

要は、今回の頒布物は、

  1. 潜像」写真付き小説
  2. 「やがて僕の訪れる公園」本編(DVD)
  3. 「やがて僕の訪れる公園」スクリーンショット集(小冊子)

の 3品セットということです。

 

 

なお、「潜像」はBOOTHでも同価格でPDFで販売しています。「やがて僕の訪れる公園」の小冊子の付録はイベント頒布のみです。

紙の本で読むことにも付録にも興味がない、もしくはイベントに来られないという人で、「潜像」を読んでみたいという人は、BOOTHで購入してください。ちょっと価格が高めですが、イベントで紙で買ってくれる人のために同価格にしています。

VRChat 現在のお気に入りアバター

ちょっと(かなり)問題のあった、身の回りが片付きつつあります。奇跡的な幸運があって非常にいい塩梅になりました。先の一年間で大変なことになってしまいましたが、結果的には丸く収まりそうです。

しかし新たな活動も開始しつつ以前の活動もなるべく多くを継続しながらの、今後の生活に適応するために、あれこれ観察し試験するのに力を使い、面倒な記事を書く余力がありませんので(ぱすメモの感想は意地で続けていたけど、正直言って飽きてしまったし、この作品に対して物語を無理に読み解く姿勢には意義があまり感じられないわりに、負担が大きくてくじけました)、

というわけで、しばらく更新が滞りそうな気配があるので、VRChatで現在使用中のお気に入りのアバターを紹介する記事でお茶を濁しておきます。

現在はだいたいこれらのうちどれかの姿でいます。

アバターは他にもそれなりに買ってるんですけど、一時期使っていたけれど今はあまり使っていないもの、買っただけでほとんど使っていないものは省略します。

 

ハッカドール1号

VRChat始めた当初から使っています。

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Alcedo

羽と目が可愛い。先日追加された笑顔が最高にキュートです。フルボディトラッキングで立って動いたときの調子がすごく良いです。

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パンダコ

なんか可愛いので使っているうちに気に入りました。

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ぱすてるメモリーズ 9話

今回こそ(ぱすてるメモリーズ的な意味で)真っ当に書くしかないのではないか。そう思いました。実際その通りだと思います。わたしには書くことが無いです。そもそも書くことの少ないアニメなのですが。とくに今回は話が面白いだけに、元ネタをよく知らないで感想を書くとなると何を書いていいやら。元々そういうアニメだと思いますが。
恋愛シミュレーションだかアドベンチャーだかを美少女キャラがやるというのはぼちぼちある設定でしょうが、そういうのが滅びた世界で生き残った美少女キャラがそれを好んでやるとなるともうわけがわかりませんね。まぁ原作のスマホゲーはべつに恋愛メインではないようですが。

ところで12話だか13話で終わるのでしょうかね、このアニメ。

 

面白かったですね

何があったのか、これまでの回と比べると断然絵が整っています。おまけに話も面白い。

薫子がどんな人間でどんなに優秀なのかも、時間に見合わない密度でしっかり描いています。現実パートのわずかな時間で、薫子のお嬢様育ちゆえの常識のズレや、しかしただぬくぬく育っただけではない努力家なところ、ただしちょっと力を入れる方向がずれてたり、それゆえ好きなものに全力を注ぐオタク気質が育ったところも、きっちり描いている。なんで恋愛ゲームなのかは知らん。作品世界でも、蓄積した知識を即座に実践し、失敗経験も超スピードで行動の改善につなげ、最後にはきちんと結果を出す。超優秀ではないですか。
薫子が摩耶を同性同士攻略するというのも、互いの性格的にも後腐れない感じでいいですね。(ところで同性同士で恋愛ごっことかいちゃいちゃごっこやってるうちに本気になってきて妙な気分に……というのは個人的にすごくタイムリーな話題です。)

元ネタがわからないとちゃんとした感想が書けない、アキバ系オタク文化やらマンガアニメ関連の文化に精通してないと何がなんだかわからない、という度合いがどんどん増してる気がします。
ときめきメモリアル……わたしやったことなかったです。急いでPSVitaアーカイブスからダウンロードしてぼちぼちやってみていますが、まぁ桜の木の元ネタくらいはわかりましたが……。他にも聞きかじった程度の有名作品のネタがちらほら仕込まれてるのはわかりますが、9話、これ、元ネタがわかったとして感動が増すのでしょうか?

 

平成の終わり

クソパロで滅茶苦茶やるのを見ながら昔の作品を皆で懐かしがったり、Twitterとかで検索しているとベテランの声優とか著名人とかを話題に盛り上がったりしていて、まったくこれこそ時代の終わりにふさわしい風景ではないでしょうか。

こういう空気、ときおり訪れてほしくもあり、訪れたら訪れたですぐに消えてほしくもある。ちょっとしたきっかけでこういったオタクの思いってのは不定期に表に出てくる。せめて狭い世界で盛り上がるにとどめて外に出すべきではない。そんな感じです。元号が変わって早速これをやられたのではたまったものではありませんでしたね。

ぱすてるメモリーズ 8話

余談

8話は誰が喜ぶのか

この方向の話には触れないつもりでしたが、書くことも少ないので少しだけ触れます。
元々オタクでもなく料理アニメはまるで知らないわたしは元ネタもわかるはずが無かったのですが、どうやらパロディ元の作品群はやや古く、一番古いネタに関しては当時現役だと40後半から下手すると50過ぎ。その年代でいまなおアニメを好み、ぱすてるメモリーズや扱われてきた美少女深夜アニメを見ているというのは中々のものではないでしょうか。趣味や年齢で差別するつもりは毛頭ありませんが、制作側の狙いどころがいまいちわからないです。

元ネタについては、もはやオタクアニメにこだわる姿勢はかけらもなく、ゆえにそこから外れること自体にも恐らく意味はなく、あとはキャラや脚本に合わせてジャンルを選び作品を選び、節操なしにネタをやたら詰め込む。そのように理解してよろしいでしょうか。
もちろん、その方針自体が良いとか悪いとかでは無いでしょう。ただそのスタイルに、作品全体を通じてどのように妥当性を担保するかということは問われるかもしれません。

 

本題

ストーリーがわかりにくい

わかりにくいというか、はっきり言って全然わからないです。
30分間無意味なやりとりから醸されている雰囲気を語っている、ということでもなく、一応筋書きのある話になっているということは感じ取れますが、その筋書きというのがどんな話なのか理解ができません。7話もわかりませんでしたが、7話は夢オチですしあれでいいでしょう。でも8話は違います。輪郭の強い設定や舞台を出しておきながら、あまりにも意味不明のシナリオになっているのです。
ロディアニメなんだから細かい事はいいじゃないかと思われるかもしれませんが、そんなによくはないと思っています。


ただパロディやってるわけではないのでは

毎回脚本は一見して凄く糞のようなのだけど、一応筋は通っているというのが本作品の特徴です。と勝手に思っています。
いろんな作品を好き放題に壊してやたら盛り上がってはいるものの、徹頭徹尾はちゃめちゃなだけということでもなく、シナリオに一応の筋を通す、毎回の方法にあるていど一貫性を持たせる。本作品の積み重ねてきたそんな態度がけっこう大事だったりします。

毎回パロディ満載でやっていますが、登場する彼女たち自身もまた「美少女キャラ」のパロディ……原作の存在しないパロディのようなものである、ということは何度も書いた通りです。
でも、いまわたしはこの言い方に違和感を覚えています。彼女たちはもはや「美少女キャラ」にとどまらない命を得ているのではないかと感じるのです。8話という時を重ね、現在わたしは彼女たちを、「美少女キャラ」なんて無機質なものとは感じられなくなってきています。

思い返せば、彼女たちは1話において12人全員が一気に登場させられていました。視聴者は最初誰が誰やらわからないし、どいつもこいつもどこかで見たようなキャラだという感想を持ったと思います。彼女たちを辛うじて区別するのは、ひとりひとりに付加された「属性」とその組み合わせ方です。
その後、1話につき基本1人のキャラクターをクローズアップして掘り下げていく。そうして彼女たちは少しずつ、物語を構成するキャラとしての存在から、生きた人間として肉付けされていく。視聴者は彼女たちをそのように認めていく。そうした過程がありました。そこまで含めて彼女たちは「美少女キャラ」のパロディなのではないでしょうか。

だからこそ、滅茶苦茶に見えるけれど実は筋が通ったシナリオというのが本作品では大事なのです。制作者が何をどこまで考えているかは知りませんが、少なくともわたしはそう考えています。


今回達成されたことと、渚央の性格を考えてみる

では意味不明なシナリオを見てゆきます。

今回のストーリーで達成されたことがあるとすれば一体何でしょう。渚央は南海と亜矢香との特訓や物語世界の試練を経ても、料理がいきなり上手くなったりはしませんでした。直接的に描かれている事象についてあえて挙げるとするならば、渚央が料理に楽しみを見出し、積極的に挑戦しようという意識になった事とでも言えましょうか。

とはいえ、渚央は、料理に対してとくべつな苦手意識があり悩んでいたという訳でもなく、漠然と自分には繊細なことは向いていないという自覚があった程度のように見えます。
渚央は自分のできないことや苦手なことをきちんと把握しています。料理のような繊細なことも、頭脳労働も向いていないと自分を評価しています。5話でイリーナに将棋の相手を求められたときも、自分は頭より体を動かすほうが得意くらいのことを言っていました。また、必要ならば苦手なことにも臆せず挑戦する性格でもあります。8話は学校の調理実習のために南海と亜矢香に苦手な料理を教わるというところから話が始まります。
そして、彼女は女の子らしくありたいという思いを密かに持っているようです。ただ積極的にそのような在り方を目指そうと考えているかどうかは疑問であって、普段は自分の過ごしやすい態度を選び取っているような印象があります。それでも、女の子らしさが自分には足りないと考えて、自信をなくしていると取れる描写はありました。

総括的に見れば、渚央は女の子らしさに欠けるという「属性」こそあれ、目立った欠点を持っているようには描かれていません。繊細さ淑やかさに欠ける自身の性質に多少思い悩むことがあったとしても、それが精神面や他者との関係に支障をきたすほどの大きな欠点として扱われているわけではありません。それどころか、仲間からは、お客さんからの人気も高く、普段からちゃんと女の子をしているという評価さえされています。すなわち、女の子らしさという面については、何を女の子らしさと見なすかという彼女自身の価値観の問題です。もし他人の評価を軸にするなら、課題は「自信が無い」の一点に尽きるでしょう。

このように書けば、思い至るのは5話との共通点でしょうか。過去回との類似点については最後にまとめて書こうと思います。


乙女モード

渚央は女の子扱いされるとどんどん女の子らしくなる、褒められ慣れていないので褒められると嬉しくなって乙女モードになる、というのが南海の説明です。
いまのところ渚央には人生という背景がありませんので、乙女モードは女子力の劇的向上みたいな効果の一時的なパワーアップとして描かれています。よくあるパターンと見なすなら、女の子らしくありたいという当人の願望の表れと言ってもいいかも知れません。子供が夢想するのに近い、なりたい自分への「変身」のような。まあ、渚央にそこまでの切迫した思いがあるようにも見えませんが。

8話のラストについて考えてみます。
料理対決の途中で乙女モードの解けてしまった渚央が、南海と亜矢香に教わった料理の基本を思い出しつつ、皆のためにという気持ちを込めて作ったカレーで、勝負に勝つ、というものです。ですが、渚央の料理の腕が上達していたのではなくて、審査員の岡山はウィルスのせいで味覚がおかしくなっていて、料理は下手なままでした。それでも自分のカレーを美味しいと褒められた渚央は、料理って楽しいねもっと教えてね、と友人二人に笑顔で言うのでした。
8話の行き着いたところが物語の目標だとするなら、それは、料理が上手くなることではなく、食べる人のことを思いやる気持ちが大事だという極意を会得することでもありません。渚央は苦手な料理に挑戦する意欲も行動力もあったし、教わった手順や心構えを理解してもいました。結果的には、岡山のバグで料理対決には勝利しましたが、彼女のしてきた勉強や特訓は上達にはまったく結びつきませんでした。既述したように、渚央が得たものは料理の腕ではなく、料理を楽しいと思う気持ちと、それによって、今後も友人たちから教わることでさらに上達したいという意思を持ったことです。

注目したいのは、渚央が「上達しなかったこと」です。詳しく書けば、料理対決の場において、乙女モードによるパワーアップもできず、短期間の付け焼刃の訓練でも美味しい料理を作れるだけのスキルの獲得がなされなかったことです。

褒められて夢中になってしまうといえばわかりやすいですが、渚央の乙女モードは性格は一変し記憶も混濁するという非常に混乱した状態として描かれています。物語内での価値としては精神的な未熟のあらわれと見なせるでしょう。「女の子扱い」という渚央が未熟なままの側面に踏み込まれたときに現れる、その場で「女の子」としてそつなく対応するための術であり、また実力を超えた能力を一時的に得るための「変身」であり、女の子らしい女の子として、時間や順序をすっ飛ばして到達した姿です。8話が彼女の成長を扱う話であると仮定すれば、乙女モードという「変身」を一時的な超人的能力の獲得という位置づけのまま、彼女自身の力として肯定することはできません。
ゆえに、渚央は勝負に勝つにしても乙女モードの力で勝つわけにはいきませんでした。乙女モードが適正な順序にしたがった成長を超越する意味を持つとすれば、同様に付け焼刃の訓練で料理が上達してしまうわけにもいきませんでした。だから、事故によるまぐれ勝ちしかできなかったのです。
そして、まぐれにしろ、正当な評価ではないにしろ、実際は失敗であったにしろ、誠実に一生懸命やったことを褒められ、もっと挑戦したいと思う、そうして少しずつ上達していく。それこそ現実における何事かに挑戦する姿であり成長でありましょう。渚央は元々それを試みることのできる性格を大いに持っていたこともわかっています。ラストで肯定されたのは渚央のそんな素直な姿勢だったと思います。最後のシーンで自分のカレーを褒められたときに、乙女モードに変化してしまうのではなく、普段のまま笑顔を見せる彼女に「可愛らしい女の子」を見ないことが、わたしたちにできたでしょうか。あの笑顔は、渚央は普段からちゃんと女の子していて人気もあるという皆の言葉に心から賛同させられる笑顔ではなかったでしょうか。

今回は料理というテーマに絞っていましたが、いわゆる女の子らしさを担うだろう他の要素や、女の子らしさという総括的な概念についても、同じことが言えるのかも知れません。今回はそこまで踏み込んではいませんが、恐らく渚央の到達であろう乙女モードの力をまるごと肯定するのではなく、あらゆる女の子らしさの要素というものは、生身の渚央自身が少しずつ身に付けていくものであると。

ええ、こんなものは憶測にすぎません。今回、どうにもすっきりしない気分の残る回で、うまくまとまらないのです。


過去回との類似

まずは既述したように、渚央の、自身の女の子らしさに関する「自身の無さ」があります。料理など個々の技能には難があり、自分で言うように不器用で大雑把だとしても、現在持っている・持っていない諸技能とは別に、渚央には女の子として人気を得るだけの魅力が既にあるのです。それが具体的に何であるかは語られていませんが、ひとまず8話では、普段の渚央のまま努力をする、その姿をまずは肯定し、渚央のこれからの挑戦を歓迎するというかたちで話を締めています。一方、5話は、ちまりが作品世界の冒険を通して自信を取り戻すための話でした。ちまりは決定的な変化を求められているのではなくて、無理をして前線で活躍するような仕方ではなく、普段のままできることをすればいいというのが結論でした。ふたつの回は、細かい差異はありますが、大枠は共通していると言っていいでしょう。
また、作品にちなんだルールで対決するという点も5話と共通しています。5話はゲストキャラのまいが戦い、今回は渚央自身が戦っているので本質は全く別なのですが、形式だけをみれば同じになっています。
もうひとつ、一時的な戦力の増減が起こるという点は7話と同じです。7話はパワーダウン、8話はパワーアップという違いはありますが、一時的なパワーダウン・アップそれ自体はキャラクターの成長……時間に伴うキャラクターの不可逆な変化ではないという意味合いは同じです。

ただ、これらの共通点が今回大きな効果を生んでいるかどうかは微妙な所かなと思います。それでも、似ているなあと感じさせるには十分なものではあるでしょう。今後も成長譚っぽい話を基本として細部をズラしていく、みたいな方法で組み立てていくと考えていいのでしょうか。

3Dモデル にわとり

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制作記録

VRChat デスクトップモード用のアバター、にわとりです。

フルスクラッチです。

写真はBlenderですが、このあとUnityで調整してVRChatで動かしてます。

 

以下の素材を使わせていただいてます。(2019/2/28)

Copyright (c) 2018 synqark

https://github.com/synqark/Arktoon-Shaders

 

ぱすてるメモリーズ 7話

面白かったですね

はっちゃけてて大変良かったですね。
けれどただ滅茶苦茶やってるんじゃなく実は秩序はちゃんと保たれていて、話の流れも無いようであるけれど大筋だけは明確で、そのなかにネタを丁寧にかつ無理やり果てしなく詰め込んでいて、ともかく中々面白かったですね。OPからEDまで、そしてオチまで含めて、やることやりきった感がすごいです。最後まで見て、作った側も見てる側も皆でうなずいてる、そんな感じ。
有名RPGはほとんどやったこと無いし、別にゲーマーというわけでもないので元ネタはあんましわかんなかったのですが。

ということでいいと思います。面白かったし、書くこと無いです。
無理やり書こうとすれば何か書けるのですが(いつも無理やりっぽいんですが)7話は特にそういうことをやる意味なさそうです。
あと、ツイッターとかで調べてると見つかる、本来の対象層であろうオタクにとって重要であるらしいお話――元ネタ作品のある場面との一致とか声優が誰だとか――は、わたしには何も言えないのです。

 

例えば沙織のネガティブの日について

明らかに生理を意識してるんでしょうけど、そこに近づけて読む必要もないでしょう。

言うとするなら、例えば、5話6話では主役の性格上の弱点が仲間内でトラブルの原因になることが示されていましたが、それを当人の成長という形で解消していました。作品世界の冒険というのは何らかの障害を乗り越える能力を得るための試練だったわけですね。
7話でも沙織の弱点がトラブルの原因になっていますが、成長という要素は抜き取られています。1日経つと勝手に治るのです。その意味では、トラブルを呼ぶという共通項を見せておきながら、7話の雰囲気に溶け込ませるようにして、さりげなく5話6話からずらしている、と言えます。それも、7話のストーリーについてというより、ぱすてるメモリーズにおける成長物語という定型そのものの価値をです。
7話では、主役の沙織は、経験により変化していく生きた人間という表現ではなく、物語のパーツあるいは物語を動かす装置としての、架空の登場人物という側面が強く出ています。この方法が現実パートを皆無にして虚構感を強調する7話の構成とマッチしてるともいえますし、さらにオチにも繋がっているといえるでしょう。もしかしたら沙織のキャラクターがそういう描き方に非常に合っているという事かも知れません……すなわち、同時に、7話で沙織を選んだ根拠であるのかも知れませんね。

彼女たちは、いくつかの過去回のように人間的に描写をしてもいいし、「美少女キャラ」なのですから、7話のような構成にすればとことん虚構のキャラクターとして描くこともできる。そのへんの自由さを持っているという事でもあるでしょう。

(もっとも、主役にまつわるトラブルで物語を運ぶとか、成長譚に仕立てるというのは、ぱすてるメモリーズ全体の、各話のストーリーを作るうえでの基本的な設計図である可能性もありますから、あんまり読み過ぎないほうがいいのかも知れません。)