チクル妄想工房

ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

VRChat 現在のお気に入りアバター

ちょっと(かなり)問題のあった、身の回りが片付きつつあります。奇跡的な幸運があって非常にいい塩梅になりました。先の一年間で大変なことになってしまいましたが、結果的には丸く収まりそうです。

しかし新たな活動も開始しつつ以前の活動もなるべく多くを継続しながらの、今後の生活に適応するために、あれこれ観察し試験するのに力を使い、面倒な記事を書く余力がありませんので(ぱすメモの感想は意地で続けていたけど、正直言って飽きてしまったし、この作品に対して物語を無理に読み解く姿勢には意義があまり感じられないわりに、負担が大きくてくじけました)、

というわけで、しばらく更新が滞りそうな気配があるので、VRChatで現在使用中のお気に入りのアバターを紹介する記事でお茶を濁しておきます。

現在はだいたいこれらのうちどれかの姿でいます。

アバターは他にもそれなりに買ってるんですけど、一時期使っていたけれど今はあまり使っていないもの、買っただけでほとんど使っていないものは省略します。

 

ハッカドール1号

VRChat始めた当初から使っています。

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Alcedo

羽と目が可愛い。先日追加された笑顔が最高にキュートです。フルボディトラッキングで立って動いたときの調子がすごく良いです。

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パンダコ

なんか可愛いので使っているうちに気に入りました。

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ぱすてるメモリーズ 9話

今回こそ(ぱすてるメモリーズ的な意味で)真っ当に書くしかないのではないか。そう思いました。実際その通りだと思います。わたしには書くことが無いです。そもそも書くことの少ないアニメなのですが。とくに今回は話が面白いだけに、元ネタをよく知らないで感想を書くとなると何を書いていいやら。元々そういうアニメだと思いますが。
恋愛シミュレーションだかアドベンチャーだかを美少女キャラがやるというのはぼちぼちある設定でしょうが、そういうのが滅びた世界で生き残った美少女キャラがそれを好んでやるとなるともうわけがわかりませんね。まぁ原作のスマホゲーはべつに恋愛メインではないようですが。

ところで12話だか13話で終わるのでしょうかね、このアニメ。

 

面白かったですね

何があったのか、これまでの回と比べると断然絵が整っています。おまけに話も面白い。

薫子がどんな人間でどんなに優秀なのかも、時間に見合わない密度でしっかり描いています。現実パートのわずかな時間で、薫子のお嬢様育ちゆえの常識のズレや、しかしただぬくぬく育っただけではない努力家なところ、ただしちょっと力を入れる方向がずれてたり、それゆえ好きなものに全力を注ぐオタク気質が育ったところも、きっちり描いている。なんで恋愛ゲームなのかは知らん。作品世界でも、蓄積した知識を即座に実践し、失敗経験も超スピードで行動の改善につなげ、最後にはきちんと結果を出す。超優秀ではないですか。
薫子が摩耶を同性同士攻略するというのも、互いの性格的にも後腐れない感じでいいですね。(ところで同性同士で恋愛ごっことかいちゃいちゃごっこやってるうちに本気になってきて妙な気分に……というのは個人的にすごくタイムリーな話題です。)

元ネタがわからないとちゃんとした感想が書けない、アキバ系オタク文化やらマンガアニメ関連の文化に精通してないと何がなんだかわからない、という度合いがどんどん増してる気がします。
ときめきメモリアル……わたしやったことなかったです。急いでPSVitaアーカイブスからダウンロードしてぼちぼちやってみていますが、まぁ桜の木の元ネタくらいはわかりましたが……。他にも聞きかじった程度の有名作品のネタがちらほら仕込まれてるのはわかりますが、9話、これ、元ネタがわかったとして感動が増すのでしょうか?

 

平成の終わり

クソパロで滅茶苦茶やるのを見ながら昔の作品を皆で懐かしがったり、Twitterとかで検索しているとベテランの声優とか著名人とかを話題に盛り上がったりしていて、まったくこれこそ時代の終わりにふさわしい風景ではないでしょうか。

こういう空気、ときおり訪れてほしくもあり、訪れたら訪れたですぐに消えてほしくもある。ちょっとしたきっかけでこういったオタクの思いってのは不定期に表に出てくる。せめて狭い世界で盛り上がるにとどめて外に出すべきではない。そんな感じです。元号が変わって早速これをやられたのではたまったものではありませんでしたね。

ぱすてるメモリーズ 8話

余談

8話は誰が喜ぶのか

この方向の話には触れないつもりでしたが、書くことも少ないので少しだけ触れます。
元々オタクでもなく料理アニメはまるで知らないわたしは元ネタもわかるはずが無かったのですが、どうやらパロディ元の作品群はやや古く、一番古いネタに関しては当時現役だと40後半から下手すると50過ぎ。その年代でいまなおアニメを好み、ぱすてるメモリーズや扱われてきた美少女深夜アニメを見ているというのは中々のものではないでしょうか。趣味や年齢で差別するつもりは毛頭ありませんが、制作側の狙いどころがいまいちわからないです。

元ネタについては、もはやオタクアニメにこだわる姿勢はかけらもなく、ゆえにそこから外れること自体にも恐らく意味はなく、あとはキャラや脚本に合わせてジャンルを選び作品を選び、節操なしにネタをやたら詰め込む。そのように理解してよろしいでしょうか。
もちろん、その方針自体が良いとか悪いとかでは無いでしょう。ただそのスタイルに、作品全体を通じてどのように妥当性を担保するかということは問われるかもしれません。

 

本題

ストーリーがわかりにくい

わかりにくいというか、はっきり言って全然わからないです。
30分間無意味なやりとりから醸されている雰囲気を語っている、ということでもなく、一応筋書きのある話になっているということは感じ取れますが、その筋書きというのがどんな話なのか理解ができません。7話もわかりませんでしたが、7話は夢オチですしあれでいいでしょう。でも8話は違います。輪郭の強い設定や舞台を出しておきながら、あまりにも意味不明のシナリオになっているのです。
ロディアニメなんだから細かい事はいいじゃないかと思われるかもしれませんが、そんなによくはないと思っています。


ただパロディやってるわけではないのでは

毎回脚本は一見して凄く糞のようなのだけど、一応筋は通っているというのが本作品の特徴です。と勝手に思っています。
いろんな作品を好き放題に壊してやたら盛り上がってはいるものの、徹頭徹尾はちゃめちゃなだけということでもなく、シナリオに一応の筋を通す、毎回の方法にあるていど一貫性を持たせる。本作品の積み重ねてきたそんな態度がけっこう大事だったりします。

毎回パロディ満載でやっていますが、登場する彼女たち自身もまた「美少女キャラ」のパロディ……原作の存在しないパロディのようなものである、ということは何度も書いた通りです。
でも、いまわたしはこの言い方に違和感を覚えています。彼女たちはもはや「美少女キャラ」にとどまらない命を得ているのではないかと感じるのです。8話という時を重ね、現在わたしは彼女たちを、「美少女キャラ」なんて無機質なものとは感じられなくなってきています。

思い返せば、彼女たちは1話において12人全員が一気に登場させられていました。視聴者は最初誰が誰やらわからないし、どいつもこいつもどこかで見たようなキャラだという感想を持ったと思います。彼女たちを辛うじて区別するのは、ひとりひとりに付加された「属性」とその組み合わせ方です。
その後、1話につき基本1人のキャラクターをクローズアップして掘り下げていく。そうして彼女たちは少しずつ、物語を構成するキャラとしての存在から、生きた人間として肉付けされていく。視聴者は彼女たちをそのように認めていく。そうした過程がありました。そこまで含めて彼女たちは「美少女キャラ」のパロディなのではないでしょうか。

だからこそ、滅茶苦茶に見えるけれど実は筋が通ったシナリオというのが本作品では大事なのです。制作者が何をどこまで考えているかは知りませんが、少なくともわたしはそう考えています。


今回達成されたことと、渚央の性格を考えてみる

では意味不明なシナリオを見てゆきます。

今回のストーリーで達成されたことがあるとすれば一体何でしょう。渚央は南海と亜矢香との特訓や物語世界の試練を経ても、料理がいきなり上手くなったりはしませんでした。直接的に描かれている事象についてあえて挙げるとするならば、渚央が料理に楽しみを見出し、積極的に挑戦しようという意識になった事とでも言えましょうか。

とはいえ、渚央は、料理に対してとくべつな苦手意識があり悩んでいたという訳でもなく、漠然と自分には繊細なことは向いていないという自覚があった程度のように見えます。
渚央は自分のできないことや苦手なことをきちんと把握しています。料理のような繊細なことも、頭脳労働も向いていないと自分を評価しています。5話でイリーナに将棋の相手を求められたときも、自分は頭より体を動かすほうが得意くらいのことを言っていました。また、必要ならば苦手なことにも臆せず挑戦する性格でもあります。8話は学校の調理実習のために南海と亜矢香に苦手な料理を教わるというところから話が始まります。
そして、彼女は女の子らしくありたいという思いを密かに持っているようです。ただ積極的にそのような在り方を目指そうと考えているかどうかは疑問であって、普段は自分の過ごしやすい態度を選び取っているような印象があります。それでも、女の子らしさが自分には足りないと考えて、自信をなくしていると取れる描写はありました。

総括的に見れば、渚央は女の子らしさに欠けるという「属性」こそあれ、目立った欠点を持っているようには描かれていません。繊細さ淑やかさに欠ける自身の性質に多少思い悩むことがあったとしても、それが精神面や他者との関係に支障をきたすほどの大きな欠点として扱われているわけではありません。それどころか、仲間からは、お客さんからの人気も高く、普段からちゃんと女の子をしているという評価さえされています。すなわち、女の子らしさという面については、何を女の子らしさと見なすかという彼女自身の価値観の問題です。もし他人の評価を軸にするなら、課題は「自信が無い」の一点に尽きるでしょう。

このように書けば、思い至るのは5話との共通点でしょうか。過去回との類似点については最後にまとめて書こうと思います。


乙女モード

渚央は女の子扱いされるとどんどん女の子らしくなる、褒められ慣れていないので褒められると嬉しくなって乙女モードになる、というのが南海の説明です。
いまのところ渚央には人生という背景がありませんので、乙女モードは女子力の劇的向上みたいな効果の一時的なパワーアップとして描かれています。よくあるパターンと見なすなら、女の子らしくありたいという当人の願望の表れと言ってもいいかも知れません。子供が夢想するのに近い、なりたい自分への「変身」のような。まあ、渚央にそこまでの切迫した思いがあるようにも見えませんが。

8話のラストについて考えてみます。
料理対決の途中で乙女モードの解けてしまった渚央が、南海と亜矢香に教わった料理の基本を思い出しつつ、皆のためにという気持ちを込めて作ったカレーで、勝負に勝つ、というものです。ですが、渚央の料理の腕が上達していたのではなくて、審査員の岡山はウィルスのせいで味覚がおかしくなっていて、料理は下手なままでした。それでも自分のカレーを美味しいと褒められた渚央は、料理って楽しいねもっと教えてね、と友人二人に笑顔で言うのでした。
8話の行き着いたところが物語の目標だとするなら、それは、料理が上手くなることではなく、食べる人のことを思いやる気持ちが大事だという極意を会得することでもありません。渚央は苦手な料理に挑戦する意欲も行動力もあったし、教わった手順や心構えを理解してもいました。結果的には、岡山のバグで料理対決には勝利しましたが、彼女のしてきた勉強や特訓は上達にはまったく結びつきませんでした。既述したように、渚央が得たものは料理の腕ではなく、料理を楽しいと思う気持ちと、それによって、今後も友人たちから教わることでさらに上達したいという意思を持ったことです。

注目したいのは、渚央が「上達しなかったこと」です。詳しく書けば、料理対決の場において、乙女モードによるパワーアップもできず、短期間の付け焼刃の訓練でも美味しい料理を作れるだけのスキルの獲得がなされなかったことです。

褒められて夢中になってしまうといえばわかりやすいですが、渚央の乙女モードは性格は一変し記憶も混濁するという非常に混乱した状態として描かれています。物語内での価値としては精神的な未熟のあらわれと見なせるでしょう。「女の子扱い」という渚央が未熟なままの側面に踏み込まれたときに現れる、その場で「女の子」としてそつなく対応するための術であり、また実力を超えた能力を一時的に得るための「変身」であり、女の子らしい女の子として、時間や順序をすっ飛ばして到達した姿です。8話が彼女の成長を扱う話であると仮定すれば、乙女モードという「変身」を一時的な超人的能力の獲得という位置づけのまま、彼女自身の力として肯定することはできません。
ゆえに、渚央は勝負に勝つにしても乙女モードの力で勝つわけにはいきませんでした。乙女モードが適正な順序にしたがった成長を超越する意味を持つとすれば、同様に付け焼刃の訓練で料理が上達してしまうわけにもいきませんでした。だから、事故によるまぐれ勝ちしかできなかったのです。
そして、まぐれにしろ、正当な評価ではないにしろ、実際は失敗であったにしろ、誠実に一生懸命やったことを褒められ、もっと挑戦したいと思う、そうして少しずつ上達していく。それこそ現実における何事かに挑戦する姿であり成長でありましょう。渚央は元々それを試みることのできる性格を大いに持っていたこともわかっています。ラストで肯定されたのは渚央のそんな素直な姿勢だったと思います。最後のシーンで自分のカレーを褒められたときに、乙女モードに変化してしまうのではなく、普段のまま笑顔を見せる彼女に「可愛らしい女の子」を見ないことが、わたしたちにできたでしょうか。あの笑顔は、渚央は普段からちゃんと女の子していて人気もあるという皆の言葉に心から賛同させられる笑顔ではなかったでしょうか。

今回は料理というテーマに絞っていましたが、いわゆる女の子らしさを担うだろう他の要素や、女の子らしさという総括的な概念についても、同じことが言えるのかも知れません。今回はそこまで踏み込んではいませんが、恐らく渚央の到達であろう乙女モードの力をまるごと肯定するのではなく、あらゆる女の子らしさの要素というものは、生身の渚央自身が少しずつ身に付けていくものであると。

ええ、こんなものは憶測にすぎません。今回、どうにもすっきりしない気分の残る回で、うまくまとまらないのです。


過去回との類似

まずは既述したように、渚央の、自身の女の子らしさに関する「自身の無さ」があります。料理など個々の技能には難があり、自分で言うように不器用で大雑把だとしても、現在持っている・持っていない諸技能とは別に、渚央には女の子として人気を得るだけの魅力が既にあるのです。それが具体的に何であるかは語られていませんが、ひとまず8話では、普段の渚央のまま努力をする、その姿をまずは肯定し、渚央のこれからの挑戦を歓迎するというかたちで話を締めています。一方、5話は、ちまりが作品世界の冒険を通して自信を取り戻すための話でした。ちまりは決定的な変化を求められているのではなくて、無理をして前線で活躍するような仕方ではなく、普段のままできることをすればいいというのが結論でした。ふたつの回は、細かい差異はありますが、大枠は共通していると言っていいでしょう。
また、作品にちなんだルールで対決するという点も5話と共通しています。5話はゲストキャラのまいが戦い、今回は渚央自身が戦っているので本質は全く別なのですが、形式だけをみれば同じになっています。
もうひとつ、一時的な戦力の増減が起こるという点は7話と同じです。7話はパワーダウン、8話はパワーアップという違いはありますが、一時的なパワーダウン・アップそれ自体はキャラクターの成長……時間に伴うキャラクターの不可逆な変化ではないという意味合いは同じです。

ただ、これらの共通点が今回大きな効果を生んでいるかどうかは微妙な所かなと思います。それでも、似ているなあと感じさせるには十分なものではあるでしょう。今後も成長譚っぽい話を基本として細部をズラしていく、みたいな方法で組み立てていくと考えていいのでしょうか。

3Dモデル にわとり

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制作記録

VRChat デスクトップモード用のアバター、にわとりです。

フルスクラッチです。

写真はBlenderですが、このあとUnityで調整してVRChatで動かしてます。

 

以下の素材を使わせていただいてます。(2019/2/28)

Copyright (c) 2018 synqark

https://github.com/synqark/Arktoon-Shaders

 

ぱすてるメモリーズ 7話

面白かったですね

はっちゃけてて大変良かったですね。
けれどただ滅茶苦茶やってるんじゃなく実は秩序はちゃんと保たれていて、話の流れも無いようであるけれど大筋だけは明確で、そのなかにネタを丁寧にかつ無理やり果てしなく詰め込んでいて、ともかく中々面白かったですね。OPからEDまで、そしてオチまで含めて、やることやりきった感がすごいです。最後まで見て、作った側も見てる側も皆でうなずいてる、そんな感じ。
有名RPGはほとんどやったこと無いし、別にゲーマーというわけでもないので元ネタはあんましわかんなかったのですが。

ということでいいと思います。面白かったし、書くこと無いです。
無理やり書こうとすれば何か書けるのですが(いつも無理やりっぽいんですが)7話は特にそういうことをやる意味なさそうです。
あと、ツイッターとかで調べてると見つかる、本来の対象層であろうオタクにとって重要であるらしいお話――元ネタ作品のある場面との一致とか声優が誰だとか――は、わたしには何も言えないのです。

 

例えば沙織のネガティブの日について

明らかに生理を意識してるんでしょうけど、そこに近づけて読む必要もないでしょう。

言うとするなら、例えば、5話6話では主役の性格上の弱点が仲間内でトラブルの原因になることが示されていましたが、それを当人の成長という形で解消していました。作品世界の冒険というのは何らかの障害を乗り越える能力を得るための試練だったわけですね。
7話でも沙織の弱点がトラブルの原因になっていますが、成長という要素は抜き取られています。1日経つと勝手に治るのです。その意味では、トラブルを呼ぶという共通項を見せておきながら、7話の雰囲気に溶け込ませるようにして、さりげなく5話6話からずらしている、と言えます。それも、7話のストーリーについてというより、ぱすてるメモリーズにおける成長物語という定型そのものの価値をです。
7話では、主役の沙織は、経験により変化していく生きた人間という表現ではなく、物語のパーツあるいは物語を動かす装置としての、架空の登場人物という側面が強く出ています。この方法が現実パートを皆無にして虚構感を強調する7話の構成とマッチしてるともいえますし、さらにオチにも繋がっているといえるでしょう。もしかしたら沙織のキャラクターがそういう描き方に非常に合っているという事かも知れません……すなわち、同時に、7話で沙織を選んだ根拠であるのかも知れませんね。

彼女たちは、いくつかの過去回のように人間的に描写をしてもいいし、「美少女キャラ」なのですから、7話のような構成にすればとことん虚構のキャラクターとして描くこともできる。そのへんの自由さを持っているという事でもあるでしょう。

(もっとも、主役にまつわるトラブルで物語を運ぶとか、成長譚に仕立てるというのは、ぱすてるメモリーズ全体の、各話のストーリーを作るうえでの基本的な設計図である可能性もありますから、あんまり読み過ぎないほうがいいのかも知れません。)

ぱすてるメモリーズ 6話

6話は愉快なバカアニメに仕上がっていてかなり楽しめる内容だったかと思います。
じっくり見て興味を惹かれる点もありましたし、今回も感想を書こうと思います。

 

これまでの話との相違点

ネタがオタク向け作品ではない

オタク向け作品しか扱わないものと思い込んでいましたが、まさかのハム太郎(他)でした。
本作品のテーマと思われる作品享受の態度が軸であることは外していないものの、5話も同様ですが、オタク間の交流ではなく、作品に対する個人的な向き合い方、鑑賞態度について描いています。
「へっぽこチュウ太郎」という作品のことは、うさぎ小屋本舗の従業員全員が知っていました。一般向けアニメの、それもかなりの有名作品という位置づけのようです。オタクでなくても知っている作品で、(本作での)かつての秋葉原に集まる人々以外も知っているということになるでしょう。
6話主役の怜も知っていました。怜の趣味はロボットやプラモデルだという話が出てきましたが、もちろんそれ系統のアニメは見ているとして、それ以外のアニメにどれだけ詳しいのでしょうか。怜はアニメをあまり見ないけれどカワイイ好きなのか、それとも他の従業員に負けず劣らずのアニメ好きでかつカワイイ好きなのか。残念ながら現段階でははっきり判断できませんが、区別するべきでしょう。いい歳をしたおじさんが子供向けアニメ女児向けアニメに夢中になることをわたしたちは知っています。1話からオタク向け作品ばかり扱ってきたあと、6話にきてハム太郎とパターンを外し一般向けアニメを持ちだしてきたのですから、そこには何か読み取るべきものがあると考えられます。

チュウ太郎の話題で従業員たちが盛り上がる場面を、オタク間の交流の様子を描いていると言い切ってしまうわけにはいきません。有名作品の懐かしい話に花を咲かせるというのは、アニメをあまり見ない人でもありうるシチュエーションです。知らない作品を薦め合うというのはそのジャンルが好きな人同士でしかしませんが、知っている作品の話題で話が弾むのは、それほどジャンルに詳しくない人たちの間でも起こりえます。
もちろん「皆が知っている」にも種類はあって、「皆」というのも「日本人なら誰でも」だったり、「海外の人の多くも」だったり、「アニメ好きなら誰でも」だったりします。チュウ太郎という作品はどのレベルに該当し、また怜はどのグループに当てはまるのでしょうか。わたしには判断できませんでしたが、大事な問題だと考えています。


町の風景を映している

5話までとは打って変わって、彼女たちの住む町の様子をたっぷりと映していました。といっても秋葉原の現状を映していたのではなくて、怜の生活風景を映すという意図においてです。彼女の登下校や通勤の街並みを6話では知ることができます。そこにはオタク文化聖地のなれの果てとはまったく異なる次元の日常風景がありました。怜は「美少女キャラ」や「オタク」を仮託された存在としてのみではなく、生身の女の子としての生活を持っていることが感じられます。
もちろん、作品設計からすれば、怜や他の子たちが「美少女キャラ」の何らかの性質、「オタク」の作品享受の態度を負わされているという前提はあります。例えば、ハム太郎世界の攻略に怜を選出してギャップ萌えを提供することだったり、今回のテーマであろう「好きを好きと素直に表現する」という態度だったり。
であっても、怜は一人の人間であり、オタクカフェの従業員や作品世界で戦う戦士という肩書を外したところでは、動物好きでカワイイ好きの女の子であるのです。彼女のカワイイ好きは作品享受に限った話ではありません。嗜好は作品の好みにも反映されていますが、そこから外れた現実世界にこそ重点を置いています。


本題

構造の反復

本題と書いたそばから余談なんですけど、先に書いておきます。

6話のストーリーは、怜が自分の好きなものを好きと言えるようになるという話でした。
見えやすい形としては次のように表現されています。怜ははじめ現実世界で人の目を気にしていたせいでチュウ太郎に興味がないふりをしたり、道端の犬を撫でられないでいたのが、作品世界では一人の時に動物と存分にふれあい、その時仲間に隠していた可愛いもの好きがばれましたが、自分の好みを素直に表現することを認め、最後には現実世界でも仲間の目を気にせず泉水の前でも犬を可愛がることができていました。
これは、意味合いはちょっと違いますが、映像として描かれているものの構造は5話の焼き直しです。5話はというと、自分に自信の無かったちまりがイリーナの誘いを断り、作品世界で成長し、ラストは将棋のシーンに回帰しつつちまりの変化を描いて「締め」る。同じことを6話では映像的には犬を使ってしているということです。
物語作品の構造としては実に常套ではあるのですが、前回と同じ見せ方をするという点をみると、本作品におけるパターンの存在をにおわせます。というのは、直前の話と同じことをしている例がたった6話のうちにもう一つあるからです。3話と4話です。
仲間同士の大切な作品があり、そのうち一人だけが作品のことを覚えていたが他の子は忘れていて、そのせいで寂しい思いをしていたのが、みながそれを思い出すことで解消されてさらに仲がちょっと良くなる、という展開です。(参考:4話感想
(言うまでもなく、作品鑑賞・享受の態度のありかたを描くために、作品世界をウィルスが壊し、従業員たちがそれを救い、合わせて現実世界でも何らかの問題の解決や改善がなされる、というのがこの作品全体を通した第一のパターンですね。ちょっと問題が異なるかと思うので置いておきましょう。)

反復され、定型化すると、その型が一度きりだった時に持っていた価値は失われてゆきます。あるいは、繰り返すこと自体が価値を帯びてゆきます。各回を対比することで価値が生まれるということもありますが、今回は当てはまらないでしょう。あるいは、反復の形態を少しずつずらしていくことで何らかの効果を生む、というのは期待できるかもしれません。登場人物の成長物語を今後も組み込んでくることはあり得ます、が、3話4話を考えるとそれに限定されることもなさそうです。繰り返すことで一回一回の意味を軽くしてやるという見方がひとまず妥当かなと考えます。
3話の構成は作品享受がもたらす思い出という観点からしてそれ自体がテーマとなり得ましたが、4話ではストーリーを開始し形だけの落ちを作る道具でしかありませんでした。5話と6話ではともに登場人物の成長を描きたい意図のせいで、同じ風景に回帰するという作りはどちらの回でも重みを持ってはいますが、前回の話から繰り返されたという感触は消せません。同じパターンを使ったなという印象を視聴者に残すことになります。また5話と6話は似た観点を持っているというヒントにもなります。

注目すべきは、こうした個々のパターンが存在することよりも、物語を形作るための特定の展開や構造を後の回でも繰り返すことで、パターンを作っていく、という方法のほうだと考えます。反復し、定型化することで、意味を消してゆく、または別のものを付与していく、という本作の手際が見えてくるように感じられます。

さておき、以下ほんとうの本題です。

 

「好きなものは好き、自分の気持ちに正直にならんと、無くしてから言っても遅いんやで」

6話のテーマは南海の台詞がすべてと言っていいでしょう。一通り見れば誰しも同じ読み方のできるわかりやすい話であると言えます。
これは作品のコンセプトに関わる話なので、とても重要です。皆それぞれに好きな作品があり、作品の大切な鑑賞体験や、それにまつわる思い出を持っています。それを守ろうというのがぱすてるメモリーズの全体の設定でした。
であれば、彼女たち自身も自分自身の好きなものを好きと認め、表明する態度を大切にしなければなりません。そして、他人のそれを何よりも尊重しなければなりません。怜もコンテンツ享受者の一人として、自分自身の嗜好を大切にすることや、好きなものを好きと素直に表現する態度を体現することを求められました。また怜の仲間も、怜の何かを好きだという気持ちを絶対に尊重するはずなのです。作品全体のテーマからして、怜は今回のような変化をどこかで必ず実現することを求められていたと言えます。

 

泉水と怜のコミュニケーション

もうひとつ軸があります。今回のストーリーの発端は、泉水と怜とのコミュニケーションの問題でした。泉水が怜との間に距離を感じていて、それを解消しようと、怜のことをもっと知りたい、仲良くなりたいとアプローチをかけるところから話が始まります。怜は自分の内面をあまり表に出そうとはしませんでしたが、今回の冒険をきっかけに泉水は怜の可愛いもの好きという意外な一面を知り、怜も自分の趣味に関して以前より素直に自己表現できるようになり、最終的には二人の関係がそれなりに進展したように描かれています。

というのが、6話の二人の関係の流れですが、考察するうえで気をとめておくべきポイントがあります。

 

泉水の問題か怜の問題か

泉水は、従業員仲間である怜とうまくコミュニケーションが取れていないと感じています。かといって不仲なのかというとそういうわけでもなさそうで、怜のクールな振る舞いが他人と距離をおこうとしているように泉水の目には映るようです。あるいは泉水がそう感じているだけではなく、実際その通りかもしれません。怜は自分が可愛いもの好きであることを表明するのが恥ずかしい、自分のイメージと合わないと感じていて隠そうとしているのは事実です。
ところが、泉水は怜との交流における悩みを他の授業員に打ち明けると、怜は誰に対してもクールで泉水ととくべつ距離を置こうとしているわけではないのだと言われます。怜の普段の態度や性格を問題視する子はおらず、コミュニケーション上の不満も持っていない。怜は仲間と上手くやれていないわけではないし、普段の言動に対しては仲間から一定の評価をされています。ただ、泉水だけが怜との関係にぎこちなさを覚えているし、もっと仲良くなりたいと思っているわけです。

さて、二人の関係が上手くいっていないように見えるのは、泉水の問題でしょうか。それとも、怜の問題でしょうか。
泉水が怜との関係に不満があり、もっと仲良くなりたいと考えている以上、二人の間には実際に問題は起きているわけです。そしてどちらか一方が原因であるということでも恐らくないのです。

6話は泉水と怜の二人の視点が混在しています。冒頭部分を見ればはっきりとわかります。5話と同じく特定人物の成長譚という性質はあるものの、たんなる焼き直しではありません。二人の視点で物語が展開していることが5話との違いになっています。
二人のコミュニケーションの不和について考える上でのポイントは、泉水と怜のどちらに焦点を当てるかということです。

 

  • 泉水の場合

泉水の側から考えた場合、6話は仲間とのコミュニケーションというものに対する泉水の考え方が駆動する物語であると言えます。怜は泉水と他の子たちを区別しているわけではなく、他の子たちは怜の態度に不満を抱いていないのに、泉水だけが怜との交流の仕方を問題視しています。泉水の価値観や信念によれば、怜と自分との現状は改善すべきなのです。
怜は自分のことを話さない。泉水は怜のことを知らないし、もっと知りたい。ロボットやプラモデルが好きなだけじゃなくて、私生活はどうだとか、他の趣味はあるのかだとか、一生懸命話題を探して、とにかく怜の内面に近づきたいと考えます。
仮に物語設計からの要請が無ければ、泉水以外は怜の態度を問題視していなかったのですから、怜は乗り越えるべき課題を抱えてはいなかったとも言えます。怜は以前のままでも従業員仲間たちと上手くやっていくことはできたかも知れない。できなかったかも知れないとも言えるでしょうが、泉水の見聞きした情報からは自分の抱く違和感の他に問題は見つかっていない。にもかかわらず、泉水は怜にアプローチをかけた。とすれば、泉水の個人的な価値観こそが6話のストーリーを動かしたという見方ができます。

 

  • 怜の場合

怜の側から考えた場合、6話は怜が自分の正直な気持ちを隠そうとするあまり、普段から冷めた態度を取りがちだったかも知れない、ということでしょう。すでに書いたように、「好きなものは好き、自分の気持ちに正直にならんと、無くしてから言っても遅いんやで」という南海の台詞が表すテーマに繋がります。
怜が可愛いもの好きであることを隠そうとする点が、彼女の解決すべき問題であったとすれば、泉水以外の子が怜の性質を問題視していなかったということは、従業員のうち泉水ただひとりが怜の抱える問題に気付いたということになります。
可愛いもの好きであることを隠していたのは、アニメ公式サイトのプロフィールにあるように、彼女の恥ずかしがり屋で本心を隠そうとしてしまう面によると考えられます。彼女のこの性質は、今回泉水とのちょっとした不和を生んだように、欠点として問題を発生させることもあります。それが6話のストーリーで少しだけ改善に向かったと見ることもできるでしょう。

(ところで、同校の二人だけは、怜のほんとうの嗜好を知っているか察している、また性格を深く知っているせいで怜のいまの態度の理由を理解しているととれる描写が何個かありました。萌えポイントですね。)


趣味について

ぱすてるメモリーズでは、個々の作品をそれぞれ大切にし、それを鑑賞する者の思い出をまた大切にするという考え方を取っています。そこには、知人同士での思い出の共有や、作品を知る人同士の交流、作品を知らない人への紹介というかたちでのコミュニケーションなども含み、作品を通じて人と人とが関わりを深めていく様子も描いてきました。

一方で、6話の怜はプラモデル、5話のちまりは歴史といった具合に、登場する女の子たち一人一人が別々の趣味を持っています。趣味の情報は公式サイトのプロフィールでも確認できますが、各回でも注意して視聴すれば彼女たちの言動に各々の趣味嗜好が反映されていることもわかります。3話では美智のドール趣味が前面に押し出されていたことも思い出されます。各人わりと開けっ広げにしているのに誰も否定しないという良い関係がある、もしくは暗黙的に共有された倫理があることもわかります。

6話のストーリーのきっかけは、泉水が怜と仲良くなろうとすることでした。最初に近づいたとき泉水は怜の好みを聞き出そうとしますが、そのとき話しかけるきっかけとして、怜が喫茶店で広げていたプラモデルのことを持ちだします。泉水は質問をし、怜は回答しますが、泉水はプラモデルに興味があるわけではなく、怜も簡潔な回答しかしないため話は広がりません。
最初はそんなちぐはぐなやりとりでしたが、最後には泉水は自分はプラモデルには興味もないし知ろうとも思っていないという正直な態度を見せます。怜も6話の経験で素直になりましたが、泉水もまた怜とのコミュニケーションにおいて嘘のない態度を取ることができるようになったと言えます。

ぱすてるメモリーズは、個々の作品は楽しみや思い出を共有できるものとして扱いますが、それとは別に、ごく個人的な趣味とでもいうような概念があります。6話ではとくに、個人の趣味というのは必ずしも他人と共有するものではないし、できるとも限らないという表現をはっきり出しています。そうした態度も他人の趣味を尊重することなのでしょう。興味があるふりをしたり、興味がないのに話題にしようとしたりしなくてもいい。誰かと分かち合うことをせずとも、自分が確固として好きであれる趣味を彼女たちは持っています。
(泉水のプロフィールの趣味の欄が「特になし」となっているのが気がかりではありますが、いずれ言及されるのでしょう。いやされないかも知れません。あまり信用できないので何とも……。)