チクル妄想工房

ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

「KiTAN」の感想と、ノベルゲームの効果音の話

たぬ子様(セイナルボンジン)の「KiTAN」という作品の感想と、ノベルゲームの音響、とくに効果音(SE)の特性と使い方について論じてゆこうと思います。

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さて、本作「KiTAN」の一番の特徴は、膨大な数のイラストを一枚ずつ順繰りに表示して物語を進めていくという表現方法です。しかし魅力はそれだけではなく、効果音の使い方が非常に優れていることを書きたいと思います。この作品の音の使い方と、そこから見えてくるノベルゲームのSEの特徴には、普段ノベルゲームを読む方にとって考えさせられる要素が多くあるのではないかと思っています。

『映画音響論』(長門洋平)という本では、映画音楽の音響についていくつかの分類がなされています。そのうち最も根本的な「物語世界の音」「物語世界外の音」という分類を参照してみます。ノベルゲームでもじゅうぶんに有効な分類であると考えられます。
この二分類が区別しているのは、ある音が、物語世界に存在する音源から発せられている音なのか、あとから付け加えられた観客のみに聞こえる音なのかということです。後者について挙げられているのは劇伴、ナレーション等です。ノベルゲームならば感情表現などに使われる一部の効果音も該当するでしょう。(無料ゲーム.comさんの道玄斎さんのコラムでも同様のことが書かれています。)

道玄斎さんのコラム 19「BGMの深淵な世界へ」 | 無料ゲーム.com

本作のひとつの特徴として、作中で効果音が多用されていることが挙げられます。作品はイラストを一枚一枚クリックでめくっていくような感覚で進行していき、画面が切り替わるタイミングで効果音が挿入されるというスタイルになっています。効果音の使い方も、登場人物の動きや背景の音、場の静寂にいたるまで非常に巧みに表現されています。

効果音を一つ一つ聞いているとわかるのですが、使われている音はBGMもあれば環境音もあり、人や物の動きによる音まで多様です。そのうち、ごく短い、人や物の動きによるSEを挿入する箇所が多いことにも気付くと思います。アクションシーンが多いため自然そうした形になるのかもしれません。
静止画に対して音が付与されるというスタイルにおいて、音は自動的に聞こえてきますが、静止画または文章に関しては、読者は意識的に観賞するという受け取り方をします。このとき、絵を見て文章を読む間の、手を止めて画面を注視するという態度が、作品全体にただよう緊張感に繋がっているように思われます。

 

本作をプレイして気付いたのですが、SEには持続的な音と瞬間的な音とがあるようです。前者は例えば風や水などの自然音、またはガヤ、シーン中人物の運動が継続する場合の足音や呼吸音など。後者はそれ以外の一回だけ発生するあらゆる音です。なおこの区分は「物語世界の音」に適用できます。

なぜ持続する音と瞬間の音の区別があるのでしょうか。
音というのは人や物の運動に付随して発生します。基本的に、物語世界で何かが物理的に動かなければ音はしません。風音や水音もそれぞれが運動することで音が生まれています。
この運動に、持続と瞬間の区別があるのです。だから運動によって発生する音にも、持続する音と瞬間の音の二種類が存在することになります。

さて、当たり前のことですが、音には必ず音源があります。犬の鳴き声は犬が音源で、ドアをノックする音はドアと拳が音源です。
『映画音響論』では、音源が画面上に映っているかどうかによって「インの音」「フレーム外の音」という区別をしています。映画では映像として表出するために音源の存在を意識しやすいのですが、ノベルゲームでは必ずしもそうではない。むしろ映像的に描写しづらいせいで音源の存在を意識することは少ないと言えるでしょう。
ところが本作は膨大なイラスト一枚一枚に対して音を付けるという方法を取っているため、瞬間の音を付加するケースでは音源の姿がイラストとして描画されていることが多い。これが理由となって、音には音源が存在するということを意識しやすいという特徴があります。
主人公が刀を振り風切り音がする、追手が主人公に向かって駆ければ草を踏む足音がする、鈴が揺れれば鈴の音がする。
音には必ず音源があり、加えて音源が何らかの運動を起こすに至った状況があります。物語に登場する音源はひとりでに何の目的もなく動きはしないし、仮にそのように目的なく動いた音源があったとしても、その音は作品の構成要素として表出しては来ません。発生した音が読者に対して音として現れてくるのは、その音が物語上において何らかの価値を持っている場合においてであり、本作はその状況がイラストで明確に表現されているということです。この辺りについての詳細は後述します。

また、本作において音が鳴っているということは、一枚一枚のイラストがそれぞれ固有の時間を持っていて、その時間に音が付随していることを意味しています。瞬間の音は音源の一瞬の運動から発生しているし、持続する環境音等はそれぞれのイラストの、もしくはいくつかのカット(一枚のイラストを一カットと数えるならば)をまたいだ、一定の持続する時間のなかにある音です。

音源が音源としてある場面に登場している時、音はスピーカーもしくはヘッドフォンを通して読者に聞かれることになります。イラストのうちの何が音源としての役割を果たしているのか、またはイラストには描かれていないのか(フレーム外の音なのか)、またその事物がどのくらいの時間の幅をもって音源として存在するのか。そういったことを読者はすべての音に対して判断しますし、その判断が実際に聞こえてくるSEと合致していれば丁寧に調整されているという事になるでしょう。本作はその点非常によく作られているということが言えます。


ところで、SEというのは、無数に存在するであろう音源の存在に対して極めて選択的に使用されているということも触れておきたい話題です。上述した「発生した音が読者に対して音として現れてくるのは、その音が物語上において何らかの価値を持っている場合において」ということの説明です。
環境中には無数の音が存在し、それらが混じりあって我々を取り巻いており、我々は意識せずとも常にそのモヤモヤした音たちを聞くという音環境に身を置いています。サウンドスケープ論では「基調音」と「信号音」という区別があり、先の説明は「基調音」にあたります。一方「信号音」は意識的に聞かれる音のことです(元々は共同体のサウンドスケープ・デザインを含む論考なのでもう少し限定的になるのですが、ノベルゲームでは考え方を参考にする程度にして、単純に考えてみます)。

なお、この区別は、上記の持続する音と瞬間の音には単純に当てはまらないことに注意しておきます。風音や水音やガヤは、それが風土的に根付いたものであるなら基調音と言えるかもしれませんが、長時間持続する足音は当てはまらないでしょう。

話を戻しましょう。SEが選択的であるという事の意味は、SEとして表出するのは基調音のすべてではないし、信号音のすべてでもないということです。繰り返しになりますが、ほとんどの場合、SEとして付加されるのは、物語進行にとって何らかの意味や価値のある音のみということになります。
例えば、主人公と敵が戦うアクションシーンでは、主人公が刀を振るう際の風切り音というのは、臨場感を増幅させるために必要な音ですから、付加されます。しかしその時に足元でコオロギが鳴いている可能性があっても、明確な演出意図が無ければ(あれば別ですが)、その音は意味のない音として(基調音の一部となり)実際には物語世界で発生しているのだとしても無視されます。
例えば、どこかの町の音環境について考えるときに、風のうねり、遠くからぼんやり響く自動車の音、鳥の鳴き声、そうした無数の音によって構成される基調音は、わざわざSEとして挿入されることは少ないでしょう(たぶん日常BGMなどで上書きされたりすることが多いでしょう)。

ちなみに、常時音が有るタイプのノベルゲームでは、無音というのは意図的な演出として取られてしまう可能性があるため避けたほうが良いようです(涼元悠一 突発的エセノベルゲームシナリオ講座 お題:『ノベルゲームのBGM運用基本』より)。演出としての無音ではなく、とくに鳴らすべき音の無い場合に、もしBGMを用いないならば、基調音となるガヤ等をあえて加えるという方法も考えられるかも知れません。

この点について言えば、本作は常時何らかの音が鳴っているわけではなく、舞台の風土も関係しているのでしょうが、無音の場面が多い。ゆえに無音であっても何らかの意図があるのではと疑われにくい。それこそが読者において現象する基調音であるからです。SEの使用が多いと書きましたが、基本的に静かな作品なのです。
なので、見方によってはSEとして付加されているすべての音が信号音として扱われているとも言えます。普段の環境には特筆すべき音がない。鍛冶屋の親父が鉄を打つ音くらいでしょうか。そんな環境にあって不意に耳に飛び込んでくる音というのは、すべて聞く者にとって特別な意味を持った「意識すべき音」として、物語進行上価値を持つ音ということになるのでしょう。

と、ここまで書いたところで出てくる疑問が、その音を聞く者とは誰なのか? ということでしょうか。言い換えると、SEとして鳴っている音は登場人物の誰に聞こえているのかということです。
その場にいるすべての人物にでしょうか? 恐らく、それは正確な言い方ではありません。例えば、何らかの信条から虫を踏み殺してはならない人間にとって、足元のコオロギの鳴き声はいかなる時も決して聞き逃してはならない音のはずです。しかし、それ以外の人にしてみれば、わざわざ注意を向ける必要のない音かも知れません。聞こえているのに聞こえていないのです。音の価値というのは聞く者によってまったく違ってきます。
物語世界内の音としてSEが鳴っているということは、それを誰かが聞いているかも知れないし、聞いていないかもしれないということです。誰かが実際に聞いている、つまりその人の意識に上っている音かも知れないし、一部の人にしか聞こえていないかも知れないし、その場にいる誰も気に留めない音なのかも知れない。むしろ重要なことは、音に対する登場人物のそういった態度こそが、音が鳴ったその場面において表現されているかも知れないという点ではないでしょうか。つまり、スピーカーを通った先にある読者の世界にではなく、物語世界内において、その音はどのように現れているのかという観点です。


クリックによる文字送りの話もしておきましょう。
ノベルゲームでは文字送りのクリックによって物語が進行します。文章が一定量表示されたら読者はクリック操作し続く文章を表示させ、決まった文章量に達するとページが更新され、まっさらになったスペースに新たに文章が表示されてゆきます。この点は本作も同様です。クリックすると画面が切り替わり新しいイラストが出てきます。その繰り返しで物語は先へ進んでゆきます。

この時、読者は文字を読み、イラストを鑑賞し、クリックをするという行為を、「現実時間において」行っていることに注意します。以上の一連の処理に三秒かかるならば、実際に三秒の時間が現実世界では経過しています。たとえ、物語中では一秒も進まない情景描写だとしても、時間が省略されて百年の時が過ぎるのだとしても、現実に流れる時間は同じ三秒なのです。
すなわち、ノベルゲームに限らず文章媒体の物語作品では、文章を読む速度と、物語の進む速度は独立しているということです。映像媒体は、例外はあるにせよ、ひとつのカットの間では、現実時間と同じ速さで物語時間は経過してゆきます。

小説とは異なり、ノベルゲームには、映像作品と同じように音響演出があります。音響というのは時間に依存した情報です。始まりがあって終わりがあり、その長さは時間という尺度で測られます。三秒の長さを持ったSEは実際に三秒の現実時間を占めるということです。
読者が文章を読む行為が依存するのも現実時間でしたが、同じ現実時間でも、SEの時間はこれとはまた独立して存在します。読者がいかなる速さで文章を読み進めようと、SEはそんなことは関係なく決まった長さだけ鳴って、静止するだけです。
もしこれが映画であれば、映像とともに音もリアルタイムで流れます。それは物語の進行する速度とも一致しています。それが映画というものを作っているし、映画を観賞するという体験でもあります。しかしノベルゲームのSEは、読者の読書時間とも、現実時間とも独立して、一旦鳴り始めればそれ固有の時間の中で存在するのです。

ノベルゲームのSEで重要なのは(別にノベルゲームに限りませんが)、長さでも早さでもなく、タイミングだと言えます。本作では、とくに瞬間の音に関してその性質が際立っており、また見事に演出されていると言えるでしょう。
刀を振るう風切り音は刀を振るった瞬間に発生します。足音は地面を踏みしめた瞬間に発生します。こうした運動はイラストの表示によって物語世界に現れるため、音源の出現とSEの発生が同期しているのです。

ここで注目すべきは、イラストの切り替えがクリックによって起こるということです。先ほど物語の進行速度をコントロールするのは読者のクリックであると書きましたが、まさにクリックのタイミングとSEと映像のタイミングが一致する、それが一定のテンポ=読者のクリックするペースにおいて繰り返されるというデザインが、本作の独特な時間の流れと音の迫力を生んでいます。
ひとつのカットの中で物語世界内でも現実世界でも一定の時間が経過し、次のカットに進むという区切りを、クリックという行為によって読者の意識に上らせる。そして、まさにその瞬間に、物語世界では何らかの運動が発生し、SEが発生する。
音はなぜ生じるのか、何が聞こえているのか、なぜ聞こえているのか、そういった当たり前のような音の原理を、改めて意識させてくれる仕組みになっているのではないでしょうか。


さて、冒頭で、物語作品で扱う音には「物語世界の音」と「物語世界外の音」があるという分類を引用しました。そして当記事で論じてきたSEは、主に「物語世界の音」でした。
「物語世界の音」という言い方をしていますが、厳密には、物語世界の音がそのまま我々の耳に届いているのではない、というケースが多いです。
映画や舞台などにおいて挿入されるSEには、擬音という特定の音に似せて作られたまったくの別の音が用いられることがあるでしょう。上記したように、音というのは人や物の運動に伴って発生するものであるから、これらの動きにタイミングや大きさや持続時間などを合わせて、それらしく聞こえるように演出しているわけです。
ノベルゲームでは、あらかじめ録音し調整したオーディオファイルを用います。フリーノベルゲームならば、多くの作品は、いわゆる「素材サイト」から出来合いのオーディオファイルを借りている。しかも数種類のオーディオファイルを何度も使いまわすことが多いです。映像作品とは違い、音の発生状況を描写するための情報量が少ないので、それで十分に間に合ってしまうのです。
もっとも、現実世界の音にしても、「そのまま我々の耳に届いている」かどうか怪しいものだったりします。犬が100回鳴けば、100回すべて異なる音があるはずですが、実際はほんの数種類に分類してそれらの間の区別しかしていない。それ以上の分類はそれを聞く我々にとって意味を持たないからです。当然さらに細かな区別が意味を持つ専門的職業の人にとっては別です。聞く人間によって音の価値というのは変わるのです。要するに、普段聞こえている何らかの音に関して、大多数の人は限られた分類のもとでそれを聞くということであって、仮にそうした認知を前提としてその音をノベルゲームで表現するならば、対応する数種類のSEを用いるということになります。

 

ノベルゲームの音響の特徴への反省や、実践的な演出方法の模索というのは、今後重要性を増してくるのではないかと考えています。
VRの普及が徐々に進みつつあるいま、VRノベルゲーム、VRADVというジャンルの作品がちらほら出始めています。先日ティラノVRという制作ツールも公開されました。
現状VR作品はHMDによる没入型コンテンツであり、一人称視点での体験型という形式が取られやすい。VRノベルゲーム、VRADVというジャンルでは、読者は物語の進行に合わせて、物語世界に身を置いて実際に音を聞いているという感覚が強くなってゆくでしょう。360度見まわすことができ、距離すら体感できる空間での音響演出は、現在のノベルゲームの環境――同時に得られる情報が固定された一枚絵と文章という状況で構築されてきた方法とは、異なったあり方を求められるはずです。

ノベルゲームではありませんが、一作品紹介しておきましょう。VRADV「Project LUX」では、3DCGキャラクターの動きに合わせたタイミングで足音などのSEを付加しています。立体音響になっていて、ただ距離は反映していないような気がしますが(舞台が狭い室内に限られるので重要度が低いせいでしょうか)、音源のある方向からちゃんと音が聞こえるようになっています。
全体的な雰囲気は、台詞のみで進む体裁や舞台装置の狭さのせいで一見演劇のようであり、人物の動作に効果音をしっかり一致させた映像作品的な音の付け方をしています。というか映像作品です。別段変わった手法を取っているわけではありませんが、音源の運動に対してSEのタイミングと方向を合わせるだけで、リアリティのある音体験が実現できるというVR物語コンテンツの一例と言えます。

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むろん、VRノベルゲーム、VRADVにはVRなりの問題が付きまとうのですが(背景画像、立ち絵と呼ばれていた素材をVRに持ち込む際の、それらの変質に伴う構造的な問題も無視できません。この件はいずれ作品数が揃ってきたときに、まだ取り上げる価値があったなら改めて論じましょう)、一個の方向性として演劇もしくはアニメに近づいていくのが(少なくとも形式的な秩序を保つためには)有効であることを「Project LUX」は示していると言えます。