チクル妄想工房

サークル「小公園」の仮拠点です。ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

『SweetDaemon』

 『SweetDaemon』というノベルゲーム作品です。制作はWheat様です。ごめんなさい、バナーの張り方がわからず、作品タイトルからのリンクです。
 30分もかからなかったと思います、さくっと読める掌編ノベルゲーム。

 悪魔が人間界にやってきて、人間を不幸にする試験を受けるというお話。

 悪魔は人の心を操作する力を持っています。意地とか体面とかを守るために心の奥に押し込めている本音を解放してやる。ある行為に踏み切れずに迷っている人の後押しをしてやるんですね。悪いことしようとしているけれど思い切れない、そんな人に、いわゆる悪魔の囁きをかけてあげるわけです。というか、そういう目的で心を操る力を行使するわけです。

 試験の内容からわかるように、悪魔の世界では人間を不幸にすることは正義に反してはいません。人間の世界でこれをやれば悪ですが、悪魔にとってはこれこそ正しい悪魔の在り方なんです。つまり正義なんですね。正義と悪ってたぶん対義語じゃなくて、悪と対置されるのは善だろうと思います。人を不幸にすることは、悪魔にとっても恐らく善ではないのだろうけれど、しかし悪でもなく、そして正義ではあるのでしょう。調べてみたら「正義」の反対は「不義」だそうな。
 主人公が「力」を持っている系統の作品ではよく問われる問題ですが、力は使う人によって善にも悪にもなる、ってやつがありますね。この作品でいえば、悪魔が悪魔の正義にのっとって力を行使すれば人間にとって悪い結果を生むし、その逆ならばよい結果を生みます。ただこの作品の優れているところは、語り手が「悪こそ悪魔の正義」という価値観を絶対と見なしているために、力は使う人によって云々、という問題がはっきり、というかまったく語られない点だと思います。この問いは、ごく自然な流れのうちに、語り手をすり抜けて、読者にのみ提示されます。精緻な議論が展開されるのではなくて、さりげなくさらっと書かれてしまう。行為の動機において善悪よりも優先されるものとして正義という概念を示しています。現実世界の人間の倫理を基準に据えると、この作品の主人公らがやっていることは善と悪が逆転しているように見えるんですが、そうではなくて、正義の理念が違っているだけなんですね。
 その一方で、子を想う親心は悪魔にも備わっていて、これについては悪魔の倫理に反したことではなく、人間のそれと同じく美徳とされている。価値観の錯綜が面白いです。
 悪いことをするつもりが人の役に立ってしまった、てのはよくあるパターンだと思うのですが、この作品はそれが必ずしも「悪いこと」とも言えないという点に特徴があるのかな、と思います。
 あとこっそりごにょごにょが仕掛けてあったりもします。

 手軽に読めてしまうちょっと心温まる感じの作品なのですが、なかなか面白いことも書いてあってよかったですね。ただ、面白いだけに、話の長さとして少々物足りないなあという気もしました。もう少し長くてもよかったかな、長めの作品だったらどんなふうになってたんだろうな、って思いました。

 あと、いくらか、ショタに目覚めました。