チクル妄想工房

サークル「小公園」の仮拠点です。ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

ときのそら 完成

完成しました。
一か月で終わらせる予定でしたが、一か月半かかりました。


前回の記事の続きより。各部を修正して塗り始めました。


塗り終わってニスを吹きました。

エアブラシ使ったので、マスキングテープを念入りに貼る必要があったんですが、これがなかなか大変な作業で。塗装箇所によっては一時間くらい貼ってたり。で、吹き終わってみるとわずかに隙間が残ってたりテープが浮いてたりして、色がはみ出してたり。
エアブラシも薄く作って何度も重ねてってやる(らしい)んですけど、失敗したときのリカバリーが意外に大変でした。削って吹き直すか、重ねてごまかすか、どうすればいいかわかりませんでしたがあわあわやってるうちにいつの間にか何とかしたんだと思います。
平日やるには時間も厳しいです。テープ貼って吹いて片付けて、というのを数時間でこなすというのは多少の慣れが必要なんだとわかりました。


本体が完成。この角度が一番見栄えがいいかなと思います。


台座は、以前ひと山数百円で買って余らせていた木で。
あん肝。
作業過程を撮り忘れたのですが、木を磨いて、水で溶いて絵の具を混ぜたファンドを刷毛で塗って、エアブラシ塗装。でやってみたのですが、毛羽立ちがすごくて、筆塗りでおさえました。


楽しかった!

ときのそら制作 途中過程 その2

塗装しました。

あとは台座作って完成でしょうか。
台座無しで高さ約20センチ。
組んでみると全体も細部も全てがバランス悪いのわかります。でもしょうがない。

あとうまく写真撮れない。手に持ってみるとキャラクターや作ったモノ自体への愛着のせいか角度によっては結構可愛いんですよ。
って気がします。もちろん実物には遠く及ばないけど。
リーリエよりはうまくできたかな。

キズナアイと輝夜月のエイプリルフール企画


最後まで見ればわかりますが、キズナアイ輝夜月が声と体を取り換えて、互いに相手を演じているというトリック動画です。

モノマネ芸というのがVTuberの恒例企画のひとつになっているようで、輝夜月も過去の投稿動画で腕をみせつけていたのを見た覚えがあります。
そのモノマネ芸の延長のように思われる今回のキズナアイ輝夜月の共同企画ですが、案外そう単純な話でもない。
結論からいうと、この企画は、VTuberアバターと声が分離可能であることを明言したに等しいわけです。

キズナアイ輝夜月が、それぞれ相手のキャラクターに声を当てるとはどういうことなのか。
キズナアイの体が動いている。輝夜月がキズナアイの声真似をして喋っている。キズナアイの動作と輝夜月の声のタイミングが合っている。キズナアイの見た目は3DCGの女の子だけど動きと声を担当する決まった人がいて、この日の輝夜月と演者が入れ替わっているキズナアイは、ガワはキズナアイだけど、声はキズナアイの真似をしている輝夜月の演者がやっていて。一体どういうことが起きているか頭のなかですぐに整理がつくでしょうか?
(そもそも、わたしはVTuberが他のVTuberのモノマネをするという事からして、どう受け取っていいやらよくわかっていないのですが……。)

元々VTuberの3DCG美少女のガワというのは、内容のないガワでしかなく、演者という「中の人」、界隈の言葉で言えば「魂」が入ってこそ、そのパーソナリティを反映した動きが生まれ声が生まれ、一個のキャラクターが完成するものです。

その演者が、例えば輝夜月の演者が、輝夜月のガワを操りながらキズナアイの声を出す。いったい、輝夜月というキャラクターがキズナアイのモノマネをしているのか、輝夜月の演者が輝夜月を演じることをやめてキズナアイを演じているのか……キズナアイの中に普段とは別の魂が入ってしまったのか。輝夜月の魂が、輝夜月に入らずにキズナアイに入って、キズナアイの台本を読めば(そして「中の人」の素の反応を隠し切れない生配信ではなく編集可能な動画であるなら)、そこには最早キズナアイが生まれてしまうのか。(最後に輝夜月の声で「終わりです」と言ったのはナイスな配慮だったのかもしれない。)

今回の動画では、輝夜月はキズナアイにそっくりな声を出していましたが、一方キズナアイは、キズナアイの声だとわかる雰囲気を残しながら輝夜月のモノマネをしていたように見えました。キズナアイの演者は、キズナアイを演じつつ輝夜月の声真似をしていた……輝夜月のガワを被って「輝夜月の声真似をするキズナアイ」を声だけで演じていた。輝夜月のガワに入っていたのはキズナアイの魂であり、キズナアイの魂は、キズナアイを一時的に抜け出て輝夜月の身体を借りていたけれど、企画が終われば、元々の依り代であるキズナアイアバターへと戻っていくのか……。

(例えばこういうことも考えられます。仮に、キズナアイというキャラクターが生まれるとき、演者としていまの輝夜月の中の人がキャスティングされていたら、いまのキズナアイと同じ見た目をしているけれど、いまのキズナアイとは別人?のキズナアイが今頃は存在していたのでしょうか(いまのキズナアイと同様の活動が可能だったかどうかはさておき)。)


キズナアイは、リアル世界でイベントをしたり、声優とコラボ配信したり、写真集を出したり、「キズナアイ」名義で声優をしたり(今回の動画も同じ構造ですね)しています。こうした取り組みをすべて「キズナアイ」という人格によってなされた営為だという体で行っている。しかし、キズナアイはあえてAIだとかバーチャルだとか口にしていて、バーチャルという肩書を掲げてリアル世界に進出すればするほど「キズナアイ」という存在の虚構性が強調されてゆくのも確かである。リアルの世界にバーチャルな存在がやってきたぞ!という体裁が強まるのですね。
輝夜月は、わたしは最初気づかなかったのですが、どうも声と動きは別に収録しているという分析があるようですね。ただ明確な根拠はない不確かな事ではあります。先日はミライアカリとの合成コラボもやっていました。公式の言葉のない状況で言うことではありますが、当初から、演者の言動をリアルタイムに写し取ったものというよりは、そこからさらに、多くの工程を経て構築されたキャラクターないし動画作品という意味合いが強かったのかと思います。

キズナアイ輝夜月も、その名を持ったキャラクターとしてはかなりしっかり確立していると思いますが、でありながら、あくまでもリアルな人物としてではなく、バーチャルなキャラクターであるという前提を認めたうえで、活動をしてきたと言ってよいかと思います。
だから、今回の動画みたいな、アバターと声の分離、もっと言えば、3DCG美少女のガワと「中の人」「魂」との分離に言及してしまうような制作を可能とする下地は、たしかに二人ともあったのだとは言えるかもしれない。


VTuberの中に生身の人がいるというのは、コンテンツを提供している側も視聴者も皆がちゃんと承知したうえで、「キズナアイ」である「輝夜月」であるとして、動画配信が行われるという態度を取るのがふつうなわけです。
なのに、今回のエイプリルフール企画では、アバターと声が分離可能であることを提供側が明確に示してしまっています。キズナアイ輝夜月という大手の二人が、ともに、いわゆる「中の人」と3DCG美少女のガワとを独立させた、完結したキャラクターを造形するタイプのVTuberでありながら、その了解をあえて破るような動画を出してきた。という話でした。
Vtuberによっては最初から生身を曝け出す人もいますけれど。例外的にいるのではなく、もはやスタイルの一種として在るようです。むしろキャラクターを演者から切り離された架空の存在として完全に守り切っているほうが少ないように思います。余談です)



で、4月7日、この記事を仕上げていたら、ばあちゃるがこのような動画を投稿していた。

キズナアイ輝夜月の動画に制作陣がインスピレーションを得たのか、それとも何かしらのフォローが必要だと思ったのか。どのみち、なぜ大手のチームがこういう流れを作ってくるのか、解らない。



なお、本日まもなく、「キズナアイ」が声優をやるというアニメ「魔法少女サイト」が放送されるようなので、明日見てみることにしましょう。

ときのそら制作 途中経過

3月頭頃に開始しました。

ポーズはかなり悩みました。絵がガチで描けなくてわかんないんです。
わかりやすくざしゅにしようかとも思ったけど、他のよくやるやつにした。このポーズのときは目を瞑ってることが多いけど、描きたかったので目は開いてもらうことにした。なんかもう色々センスなくてごめん。


ざっくりと形を作って見ました。


ナイフで全身を分解。


ちまちま整えています。


とりあえず組んでみる。全体的に変なのは自分ではどうしようもないです。
脚を伸ばしたり、手を削ったり、髪をまっすぐになるよう直したり、かなぁと思いました。


分解して調整します。


調整を続けます。


間が結構飛んでいますが、ぼちぼち出来上がりつつあります。前髪の構造はとうとうわかりませんでした。

すでに表面処理を進めています。が、ここまできて、髪の前後の接続部の角度がおかしいことがわかりました。
腕に干渉していたので変だなぁとは思っていたのですが、まぁこんなものかなぁと諦めて進めていました。
これから直して表面処理の仕上げです。そしたら塗装です。

塗装は、前回は筆塗りでしたが、今回はエアブラシと塗装ブースを買って初挑戦です。
あんま長引かせてしんどくなっても困るので、そろそろ仕上げたいです。

アズリムのサイレントマジョリティー

サイレントマジョリティー】バーチャルYouTuberが歌って踊ってみた(欅坂46


歌も踊りも一回で撮った録画なのか、別々に収録したのか、それとも、それぞれ切ったり繋いだりして作った動画なのか定かではないけど、一回ですべて撮ったように見えてしまう。動画内やツイッターで言う通りに相当練習したのは確かだろうし、ハードな歌と踊りをこなしているならそれだけで凄いことだし、これは実際に一発で撮ったのかもしれない。

でも、ひとまずそれは置いといて、アズリムの生放送を見ていると解るのですが、もちろんこの動画でもはっきり解るのですが、アズリムはトラッキングの技術が凄まじくて、動きをものすごく精密にキャプチャしてアバターを動かしているのがわかる。
なのに、普段の放送だと、アズリムが芸人をやっているだけなんですね。アズリムのドタバタ芸も機敏な動きもよく再現するんだけど、それだけのために細かな動きを拾えるようにしているのか、という疑問を持ってしまう。もちろんアズリムの可愛らしさを支える要素のひとつであることは間違いがないし、それだけで十分に価値があるわけなんだけど、普段の配信ではいわゆる「技術の無駄遣い」みたいな印象は否めない。

もうひとつ、アズリム動画はカメラワークが多様であるという特徴がありますね。紹介した動画の投稿された時点では、複数の固定カメラが様々な角度、距離からアズリムを映すことが出来ていました。カメラのアングルが複数用意されているというのは他のVTuberも同じですが、アズリムはしばしばグラビア撮影のような(現場を見たことはないのでイメージですが)、アズリムの可愛さを引き立てんとするアングルに切り替わる。一方で、アップになったと思ったら下三白眼だったり、唐突な引きのアングルだったり、意味不明なものもあるので、かえって可愛いシーンが際立つという印象もある。先日の動画ではさらにアズリムを追尾するカメラを獲得していました。
配信中に時々カメラが切り替わり、アズリムをいろんな角度から撮影して観賞するという雰囲気はよく出ています。しかし、やはり、それだけなのか?と思わせるものがある。


そんな中、このようなダンスの動画が出てきた。高度なトラッキング技術はアズリムの激しいダンスをきっちり追従している。カメラはそこまで多彩ではないものの、それでもいくつかのアングルを切り替えてダンスを魅せるよう演出している。
芸人を撮影するだけかと思っていたこれらの技術は、実はダンスを撮影するためにあったのだということが(思い返せばアズリム自身の演劇歌唱スクールだのデビューしたいだのといった発言(設定?)もあり)、この動画によって明確になったとわたしは思いました。
(実際には、定期配信の終わり際にアズリムが踊ってみせることは度々あったのですが、情けないことにわたしはこの動画を見るまで、高度な技術の(疑問を差し挟む余地のないというくらいの意味で)「適切」な使い道に気づけなかった。)

もうひとつ大事な要素があります。アズリムの足元を見ると、くっきりした影がうつっているのがわかります。真っ白なキズナアイ空間なので、色の濃くなった影はより目立って見えると思います。アズリムが動くと影もちゃんとアズリムと同じように動く。アズリムは影のおかげで確固たる質感でもって地面に足を付けている。これもまた、地面で体を支えて動き回る説得力のために必要なことと言えます。

アバターの動きの精緻さ、多彩なカメラ、影による接地感。これら全てはまさにダンスを志向していると言えるのではないか。
それを、サイレントマジョリティーの動画で、普段の「技術の無駄遣い」感から一転して「本来の用途」感を見せてきたところが非常に上手かった。


アズマリムのVR空間はキズナアイのものを模したような、真っ白の床に黒いグリッドの入っただけの虚無空間です。普段アズリムが生配信で芸人みたいなことをしているのがこの空間です。
サイレントマジョリティーの動画も、後半は背景が切り替わるけれど、基本はキズナアイ空間です。アズリムが、どこかに設えられたステージではなく、普段の空間で踊っていることを表している。普段の空間でということは、普段の環境(技術)で撮影していることを意味しています。アズリムは普段は生配信をしています。この動画は生配信ではないので本当なら切ったり貼ったりは自由にできるはずなのですけれど、そういう加工はされていないかのように感じてしまう。

この動画が切り貼り無しの撮影のように見えるのは(実際に切り貼りは無いのかもしれませんが当記事ではそこは重要視しない)「普段の環境」で撮影していると思わせる演出のおかげでしょう。
普段通り、すなわち、生で撮って、声も動きも同時に発生して、という状況のことです。おそらく実際に、この動画を一回の撮影で撮れてしまうだけの技術がある、それが普段の配信で実証されている。まさに「普段の環境」でやるとこういう動画が撮れてしまうということを、生配信で裏付けてきたわけです。アズリムは普段のように途中で疲れ果て(今回においては、これだけ歌って踊れば当然疲れるはずだけれど)、普段のアズリムの動きや口調が漏れてしまう。こういった普段通りをあえて見せる方法が、この映像も同じ状況下で生まれたものであると視聴者に思わせているのです。

文学フリマ前橋 終了

ブースに来てくださった方、買ってくださった方、ありがとうございました。
想像していたよりずっと多くの方々に手に取って頂き、感激の至りです。まさか市長さんにも買っていただけるとは!
一冊も買ってもらえないことも覚悟していましたので、ほんとうにうれしいです。

ノベルゲームをメインでやってきた身としては、実はそれなりに準備して身構えて参加したのですが(ノベルゲームは付録なのにキャプチャ画像貼り付けたサンプル冊子も作ったし、ディスクにジャンルの説明書きも入れました)、ノベルゲームをよくプレイしていたと仰っていた方もいて、なんだかほっとしました。

本は10部しか刷らなかったのですが(印刷会社さんが数冊多めに印刷してくださったのでもう少しありましたが)若干余っております。若干というか、半分くらい余っております。
はやくも、もっと多くの方に読んでいただきたいという欲が出てきております。フリーノベルゲームやら動画やらで公開していると、最後まで読まれるかどうかは別としても(DLするだけ、ちょっと読んで止める、というケースが自分はかなりあります)、何年もたてば累計数百DLくらいにはなるのです。即売会で予想以上の方に買ってもらえたとはいっても、事実ほんの数人の手に渡ったのみなのです。紙の本にしてしまったので、なにより、これ以上何もしないでいれば、放っておいてもDLしてもらえるwebでの公開とは違って読者は一人も増えないのですよね。

5月の文学フリマ東京にも応募しておけばよかったとちょっと後悔しています。

100円という価格設定は異常だったらしく、確かにそこそこページ数もあるしキレイに製本してお金も手間もかかってます。元々、相当な値段で相当な数を売らなければ、元手を取り戻すのは不可能なものに仕上がっていますから、採算は度外視なのです。
それでも、どうして100円なんて価格にしたかというと、さいしょはフリーノベルゲームとして公開する予定だったので、お金をもらって提供するという気持ちでは無かったのです(加えて、出展者として初参加だったこともあり、中身に自信も無かったのですごく安くしてしまったという)。
でも無料で頒布しても、読まれずに捨てられるのはつらいので、せっかく紙の本の形にするので、いくらかでもお金を出して手に取ってくれる人にだけ、渡したかったのです。
なので、わざわざ買ってくれたことは、ほんとうにうれしいのです。

あと、あんまり高額にすると解釈によっては「営利目的」になって、付録の「公園」の素材利用規約が問題になりそうかなという事情もありました。本編の「潜像」の読解を助けるために付録するだけなので、わざわざ問題にしたくありませんでした(それでも営利目的利用要相談の素材については許可は取りました)。


余った分は、今後もなにかのイベントに参加する機会があったら頒布するとか、知り合いであれば直接渡すとか、郵送とか、どんな形でもいいんですけど、はたしてそれだけの価値がある内容かどうかわたし自身にはよくわからないのですが、いずれ誰かに読んでもらうことができたらいいかなと思っています。

文学フリマ前橋

3/25 文学フリマ前橋
オ-10 小公園

小説「潜像」頒布いたします。

写真付の小説です。「やがて僕の訪れる公園」の続きのような話です。
(おまけで「やがて僕の訪れる公園」が付きます。必ず付きますので、もう読んだという方、要らないという方は、ご自身で自由に処分していただくということで。)

◎ブースに置いとくもの
・「潜像」(「やがて僕の訪れる公園」ディスク付)(有料頒布 100円くらい)
・「やがて僕の訪れる公園」見本冊子(非頒布物 立ち読みのみ)