チクル妄想工房

サークル「小公園」の仮拠点です。ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

ノベルゲームをまた作りたいですよう

ノベルゲームはいまティラノが賑わってるんですか?

創作アカのタイムライン見てて、知ってる人がコンテスト入賞したりもしてて、久しぶりにやりたくなっちゃいました。何かやってみようかな。

コンテストというのはこちらですね。TyranoGameFes。たぶんこのティラノスクリプトと言うのが今よく使われてるツールなんでしょう。

novelgame.jp

私の青春ですノベルゲームは。青春時代といえる時期をノベルゲームやったり作ったりして過ごしました。文化祭でも人誘って作ったんだよ。みんな元気してるだろうか。私はいまだにしょうもない人間やってます。情けないやつです。見ないで。


文フリに出してる『潜像』(boothでも販売してます。よければ買ってください)は最初はノベルゲームにするつもりで作ってました。これを書き始めるまえからノベルゲームの背景とか音楽の意味について考え続けていて何もできなくなっていた挙句に、これがノベルゲームとして完成しなかったのがとどめになってノベルゲームから離れちゃったようなとこがあるのですが、まぁあれをノベルゲームにするのは無茶だったよなあと、今んなってみれば思います。もし完成してたら一体どんなものになってたのか。

このまえコンテストちょっと覗いてみて、twitterの創作アカウントでもレビュワーとか制作者の知ってる方がまだ活動してたりしてて、楽しそうだなあ、いいなあ、うらやましいなあ、また作りたいなあとも思うんですが。また作れるかしら。しばらく曲作ったり写真撮ったりもしてない。とりあえず文フリのやつ書いたら、また色々始めてみましょうか。

 

だいぶ昔の話になっちゃいますが、ノベマスなんかも作ってたことありました。自分でいうのもなんですがそこそこ良く書けてると思います。

ブログ書くこと無いので昔のことを思い出すだけです。

 

VRChatから少し離れてみて、これからもさらに距離は大きくなることはあっても以前のようにどっぷりということは無いんだろうと思うと、VRChatで会った人たちってVRChatが無かったら一生関わる事なかっただろうなって考えちゃいますね。私にしてもノベルゲームですからね。何の共通項ももたない人たちと遊べたってのはVRChatやっててよかったことでしょうね。いえやめるわけじゃないんですけど。

書くことが無い(日記)

書くことはあるんですけど、書くほどでもないなあ、なんて思っちゃって書けません。

twitterって書くほどのことでもないことを書いてしまって、無駄なエネルギーを使っちゃってますね。まぁtwitterはみんな書くほどのことでもないことばかり書いてるようですけど、だから読むほどのものでもないものを読むことになって。ホントに独り言かお喋りみたいなもんですね、書いてある内容にそんなに意味はない。いやそうでもないか。

この記事も無理やり書いてるんです。ちょっとした作業が終わって本の続きでも読むかなってコーヒー飲みながら書いてます。コーヒー冷めてるし。そういえば書くことないな、じゃあ書くこと無いってことを書くかみたいな。いや書けそうなことはたぶん結構あるんですが、書きたくもねえなってことばかりなんです。ずっと家にいたんで、書くことと言えば家のことしかないし、家のことってわざわざ書きたくはない。文章ってそれなりに書こうとすればかなりのエネルギー使いますし、いまこんなことで疲れたくない。だからtwitterのノリで書いてます。

 

ちょっと気分と身の回りが落ち着いてきて、昨日から執筆再開となりまして、読みかけだった本を読んだりしてます。5月の文フリに間に合わせたいなと考えてたんですが、たぶん無理ですね。構想が全然まとまってないし(少しでも書いてみるとまだその段階じゃないなってのがわかるようで。いつになったら「その段階」になるのか知りませんけど)、たぶんインプットももう少し必要みたいだし。まぁ読みながら書くでいいと思いますけど。文フリはどのみちコロナがもっと落ち着いてくれないと東京までは行く気にならないんですが。

4月からべつの勉強の予定も入れてしまって、そっちもやらなきゃいけない。そこそこ忙しいかも知れません。家のこともなんか毎日色々あるようだし。私が仕事だけして夜な夜なtwitterして配信してヘラヘラして喜んでる間に家ではいつも色んなことが起きてる。同じ家に住んでるのに私は何もかも知らないふりして生きてる。いやそれは言い過ぎか。そこまで酷くもないか。まあいいや。日々やり過ごすだけじゃなくて、そろそろ資格とかも取ったほうがいいんだろうな。

 配信ってのも不定期とかいって一日に何時間もやってないで、何曜日に一回一時間とか決めてやったほうがいい気がしますね。ためしに日曜日と水曜日に10時くらいから1時間~1時間半でやってみますか。忙しくなるか飽きたら減らしましょう。気がのらない日はやらないでもいいし。いつクリアできるんだよってペースですが、ゲームばっかやってもしゃあないし(っていうか早くも配信が自分にとっての役目を終えつつあるのだが)。

平日にシン・エヴァンゲリオン見に行けたらいいなあ。そのためにQまで見直しました。

何やってても「何かが間違っている」という気持ちになりますね。しばらく楽しいことやって、興奮状態にあるときには「これでいいんだ、いい日だ」って感じるけど、そうじゃないんだって、それは興奮して何も見えなくなってるだけなんだって。冷静になるとわかる、「こんなことをしていてはいけない」と。何にせよしらばくは自分で設定した目の前のことに取り組むしかないし(配信のことではないです)、現在それはあるていど正しいと思います。今の私の人生は、家族を思いやること、日々を善く生きて自分を救うこと以外の道はないです。

日記(書くことがない)

ゲームをしていたため、書くことが何にも無いんで、今日なんのゲームをしたかを書きます。

『大神 絶景版』を、YouTubeで配信しながらやっています。

今日2日目のプレイで、まだ3時間か4時間くらいしかやってないんですけど、面白いですね。ついやりすぎてしまう。筆でフィールドに絵を描いて謎解きをする、力を取り戻しできることがふえていくのも面白くて、筆で描いたような画面も綺麗で。主人公の白狼がかわいくて。

2、3日に1回くらいのペースでやっていきます。

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あと、仕事が本当に駄目ですねえ。未経験で入社して研修受けただけなんで、いまだに基本のろくに解ってない素人に毛が生えたようなもんではあるんですけど、金貰ってるんですからもう少しできないと話になんないですよねえ。

 

寝るのが遅く、起きるのも遅くなっています。心身が混乱しているのか。気合を入れ直さないとだめですね。

聖剣伝説3 Trials of Mana

聖剣伝説3 Trials of Manaクリアしました。
途中までtwitchで配信して、終盤だけニコ生でやってました。追加ダンジョンは未プレイ。
パーティは主人公リース、お伴にアンジェラとシャルロット。野郎は無し。

 

聖剣伝説のリメイク作品はたいがい評判が悪いみたいなんで、最初のうちは恐る恐るプレイしてたんですが、全体的にみてかなり楽しめるゲームだったと思います。改悪といえるところは自分のプレイした限りだと見当たらず、SFC版をもとにシステムとグラフィックをきっちり改良しましたって印象でした。

リメイク前の戦闘シーンの微妙な操作感も今作ではちゃんとアクションっぽい操作になっていました。弱攻撃と強攻撃の連続技みたいなシステムはシンプルだけど戦闘の複雑性がちょっとだけ増して楽しかったです。相手の必殺技とか魔法が必中にならないで、ちゃんと操作して避けられるようになってたのも〇です。ジャンプがあったのもよかった。戦闘シーンがちゃんとしたアクションになってたのが一番うれしかったですよ。今考えると原作はアクションゲームだったのかどうかかなり怪しいですね。

映像もなかなか綺麗でした。今のゲームあんまりやらないんでグラフィックがどのくらいのレベルなのかは分かんないんですが。アンジェラがめちゃくちゃ可愛かったの最高でした。あとツェンカーちゃん超エッチ。ツェンカーちゃん大好き♡♡ SFCの頃はリース大好きだったんですけど今作はなんか好みじゃなかったかな。絵が綺麗になってクラスチェンジで衣装が変わったのが解りやすかったのは嬉しいですね。布面積小さくてエッチだし。リメイク版の女の子キャラすごくエッチじゃないですか? 股間がクラスチェンジしちゃったんですけど? こんなにエッチなゲームができて幸せです。

音楽もすごく良くて、リメイク前の印象を重視したいいアレンジでした。聖剣3の曲は大好きだったのでこれは本当にありがたかった。

シナリオは変わらず。たぶんテキストも追加された箇所以外はほとんどそのまんまでしょうね。リメイク前のちょっと痛かったり幼稚だったりする文章がそのまんま残っていたので。そのまんまの移植じゃなければこんな酷いのふつう直しますからね。主人公たちの知らないところで重大な事件が進んだり敵の主要キャラが死んだりするのも変わらずです。竜帝大戦とかの設定が説明されないところも同じ。シナリオは元々そんなに良かったわけじゃないですから別に構いません。

 

SFCでやったときは、クラスチェンジと複数主人公のおかげで周回プレイが楽しくて、何周もしたんですが、今じゃそこまでやり込む気持ちにはなれませんね。自分の体力がないだけで、確実にリメイク版のほうが面白いしはまれると思います。隠しダンジョンもあるみたいですがとてもとても。

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VRChat+twitter+Discord

本当の自分、素の自分、というものはありますか。いや、そんなものはない、いついかなるときの言動もすべて自分のものに他ならない。いや、会社の自分は嘘の自分で、家で家族とリラックスして過ごしている自分が本当の自分である。人それぞれ、自分の人生経験とか、見聞きした他人の思想とかから、色んな考え方を持っているんでしょう。

「ガムベース(昔はカタカナ表記が多かった)」は十余年使い続けてきたハンドルネームです。こいつについては、いわばもう一人の私というか、もう一人とすら言えない、インターネット上ではまさしく私自身というものになっている。私がそのように認識しています。いや、今となってはインターネットでは「ガムベース」でありたいと私自身が望んでいるのでしょう。昔からオフの自分と切り離して語るという格好をあまりとってきませんでしたし(多少は「キャラ付け」っぽい語りはあったですよ)、何かしらの創作活動をずっと続けてきた、そういう意味では名前に紐づけられたパーソナリティには一貫性があったと思っています。今までは、です。

現在でも、VRChatでもtwitterでもDiscordでもこの名前を使用しているのですが、どうやらこれがまずい事態を引き起こしているのかも知れない。VRChatの友人の言葉ですが「VRChat、Twitter、Discordを同時に使うことで没入感が深まり、仮想の人格が強固になる」という状況が、まさにそのまんま私に降りかかってきているようです。

VRChatでの言動は、オフはもちろんのこと、それ以前のインターネット上でのあらゆる言動ともかなり乖離しているように感じています。そのうえで、twitterにVRChat専用アカウントを作って運用しているし(現在休止中)、Discordでも同じ名前でVRChatの友人と交流している。twitterやDiscordの人たちにとってはVRChatで関わった「GUMBASE」が私です。自然私のほうもVRChatの私を知る人との交流という意識をもって彼らと接することになる。そうやってVRChatの「GUMBASE」が自分の中でどんどん大きくなっているのを感じます。

同時に、これまで創作を続けてきた「ガムベース」が、同じガムベースという名前であるがために、居場所を圧迫されている感覚もあります。「ガムベース」は自分の数少ない自負であったし、心のよりどころであったはずなのに。本来ならば創作を続けていたはずの私というものが、VRChatの影響で殺されかけている、という不安があります。私が時々荒れたり、VRChatに紐づいたアカウントを制限したかった理由の一部はこれです。

また、オフの私にも多少なりVRChatの人格が逆輸入されているようですが、これは必ずしも悪いものばかりではなく、ちょっとだけよく喋るようになったりはしているみたいです。

VRChatでのアカウント運用について、自分はやや特殊なこともしていて、ミュウツーとVRChatプレイヤーとしての自分を重ねて小説を書こうとしたり、VRChatに別アカウントを作って完全に別人格として運用したり(他サービスと連携さえしている)もしています。どう見ても自業自得ですが自分自身の人格をばらばらにし過ぎている。複数の人格に自分の思考を分け与えすぎているし、(意図してはいないが)もしかしたら彼らから多少取り込んでしまっていることがあるかもしれない。私が欲望を持つように、彼らも欲望を持ちます。それは同じ私から生じたものでありながら、同じものではない。しかしどちらも同じ私が管理しなければならない。加えて、オフの私もまた私の配下にありますから、こちらも管理しなければならない。

いまの私には、それら複数の私が統合された中心としての私というものがあるかどうか、非常に怪しい。今まではインターネットでは「ガムベース」という名前がその機能を担っていたのですが、望ましくない「GUMBASE」が侵食してきたことによって、これがなくなっているわけです。中心といっても、必ずしも中身を伴っている必要は無いものです。ただ形式的に中心がそこにあればいい。中心は空っぽで、それでもどこにも属さないものであるがゆえに中心となりえている。中心という考え方からして今のところただの仮想でしかありませんが、あちこちに分裂しきった私には必要なもののように感じます。

普通に働いて普通に生きたい、善く生きたい、と願う基底現実の私が本当の私で私の中心であるという見方さえも、ごく一面的なものでしょう。例えば仕事場での私と家族の前での私は異なる振る舞いをするはずです。趣味のサークルでもあれば(VRChatが元はそのような意味を持っていましたね)そこでもまた異なる振る舞いがあります。本来、社会に生きる人間のあり方とはそういうものでしょう。

これも自分、あれも自分。その通りかもしれませんし、様々な自分を上手く「使い分けて」いる人もいるでしょう。しかし、これはあれだし、あれはこれなのです。そこには明確な境界があるわけではない。たとえ境界を引くことが望ましいとしても、引こうとしたからといって確実に引けるものでもありません。ふとしたひょうしに混じり合ってしまう。いまリモートワーク中であり、いわゆる「けじめ」をつけることの難しさを感じています。また「GUMBASE」の振る舞いや思考は「ガムベース」として扱ってきた自分自身に間違いなく食い込んでいます。

だから、彼らに対するときの「GUMBASE」とオフの私の区別も、VRChatで生じた「GUMBASE」と細々と創作活動を続けてきた「ガムベース」という人格を別物のように考えるのも、どれもきっと正しい理屈ではないでしょう。自分がどうありたいかは別として。相互に影響し合って、どこかの体験があらゆる場の私を変質させているというだけなのかも知れない。

それでもなお、私と呼べるすべての私を統合したただひとつの私なるもの、ドーナツの中心のような、無いけれど確実にあるものを、恐らく今の私は必要とするのではないかと、思うのです。私を困らせる「GUMBASE」から脱して戻ることのできる、どこへでも行けるターミナルのような安定した虚空です(もしかしたらこうして時間をかけて書き事をしている私は、単に創作をする「ガムベース」とさえ異なる私として、複数の私を俯瞰できる私たりえているのかもしれませんが、果たして……)。

ゆえに、まずは大きくなり過ぎたVRChat+twitter+Discord(+twitch)の「GUMBASE」の勢力を削いでやらなければならないわけです。これらのアカウントの使用を控える期間が、きっと良い効果を生むだろうと期待しています。他者との交流はその人用に設えた人格を発現させるトリガーになる。だからVRChatの「GUMBASE」を弱らせている間は、これらのアカウントをあまり使うべきではないでしょう。

ええ、本当なら「極道ちゃん」を使って配信することは好ましくないのかも知れません。でも可愛いんだもの……。

ニコ生に移りました

ゲーム配信の場所をTwitchからニコ生に移しました。

生配信をガンガンやっていくつもりではないので、そのうちまたやめるのかも知れませんが、聖剣伝説3 Trials of Mana クリアまではニコ生でやります。

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