チクル妄想工房

サークル「小公園」の仮拠点です。ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

VRChat+twitter+Discord

本当の自分、素の自分、というものはありますか。いや、そんなものはない、いついかなるときの言動もすべて自分のものに他ならない。いや、会社の自分は嘘の自分で、家で家族とリラックスして過ごしている自分が本当の自分である。人それぞれ、自分の人生経験とか、見聞きした他人の思想とかから、色んな考え方を持っているんでしょう。

「ガムベース(昔はカタカナ表記が多かった)」は十余年使い続けてきたハンドルネームです。こいつについては、いわばもう一人の私というか、もう一人とすら言えない、インターネット上ではまさしく私自身というものになっている。私がそのように認識しています。いや、今となってはインターネットでは「ガムベース」でありたいと私自身が望んでいるのでしょう。昔からオフの自分と切り離して語るという格好をあまりとってきませんでしたし(多少は「キャラ付け」っぽい語りはあったですよ)、何かしらの創作活動をずっと続けてきた、そういう意味では名前に紐づけられたパーソナリティには一貫性があったと思っています。今までは、です。

現在でも、VRChatでもtwitterでもDiscordでもこの名前を使用しているのですが、どうやらこれがまずい事態を引き起こしているのかも知れない。VRChatの友人の言葉ですが「VRChat、Twitter、Discordを同時に使うことで没入感が深まり、仮想の人格が強固になる」という状況が、まさにそのまんま私に降りかかってきているようです。

VRChatでの言動は、オフはもちろんのこと、それ以前のインターネット上でのあらゆる言動ともかなり乖離しているように感じています。そのうえで、twitterにVRChat専用アカウントを作って運用しているし(現在休止中)、Discordでも同じ名前でVRChatの友人と交流している。twitterやDiscordの人たちにとってはVRChatで関わった「GUMBASE」が私です。自然私のほうもVRChatの私を知る人との交流という意識をもって彼らと接することになる。そうやってVRChatの「GUMBASE」が自分の中でどんどん大きくなっているのを感じます。

同時に、これまで創作を続けてきた「ガムベース」が、同じガムベースという名前であるがために、居場所を圧迫されている感覚もあります。「ガムベース」は自分の数少ない自負であったし、心のよりどころであったはずなのに。本来ならば創作を続けていたはずの私というものが、VRChatの影響で殺されかけている、という不安があります。私が時々荒れたり、VRChatに紐づいたアカウントを制限したかった理由の一部はこれです。

また、オフの私にも多少なりVRChatの人格が逆輸入されているようですが、これは必ずしも悪いものばかりではなく、ちょっとだけよく喋るようになったりはしているみたいです。

VRChatでのアカウント運用について、自分はやや特殊なこともしていて、ミュウツーとVRChatプレイヤーとしての自分を重ねて小説を書こうとしたり、VRChatに別アカウントを作って完全に別人格として運用したり(他サービスと連携さえしている)もしています。どう見ても自業自得ですが自分自身の人格をばらばらにし過ぎている。複数の人格に自分の思考を分け与えすぎているし、(意図してはいないが)もしかしたら彼らから多少取り込んでしまっていることがあるかもしれない。私が欲望を持つように、彼らも欲望を持ちます。それは同じ私から生じたものでありながら、同じものではない。しかしどちらも同じ私が管理しなければならない。加えて、オフの私もまた私の配下にありますから、こちらも管理しなければならない。

いまの私には、それら複数の私が統合された中心としての私というものがあるかどうか、非常に怪しい。今まではインターネットでは「ガムベース」という名前がその機能を担っていたのですが、望ましくない「GUMBASE」が侵食してきたことによって、これがなくなっているわけです。中心といっても、必ずしも中身を伴っている必要は無いものです。ただ形式的に中心がそこにあればいい。中心は空っぽで、それでもどこにも属さないものであるがゆえに中心となりえている。中心という考え方からして今のところただの仮想でしかありませんが、あちこちに分裂しきった私には必要なもののように感じます。

普通に働いて普通に生きたい、善く生きたい、と願う基底現実の私が本当の私で私の中心であるという見方さえも、ごく一面的なものでしょう。例えば仕事場での私と家族の前での私は異なる振る舞いをするはずです。趣味のサークルでもあれば(VRChatが元はそのような意味を持っていましたね)そこでもまた異なる振る舞いがあります。本来、社会に生きる人間のあり方とはそういうものでしょう。

これも自分、あれも自分。その通りかもしれませんし、様々な自分を上手く「使い分けて」いる人もいるでしょう。しかし、これはあれだし、あれはこれなのです。そこには明確な境界があるわけではない。たとえ境界を引くことが望ましいとしても、引こうとしたからといって確実に引けるものでもありません。ふとしたひょうしに混じり合ってしまう。いまリモートワーク中であり、いわゆる「けじめ」をつけることの難しさを感じています。また「GUMBASE」の振る舞いや思考は「ガムベース」として扱ってきた自分自身に間違いなく食い込んでいます。

だから、彼らに対するときの「GUMBASE」とオフの私の区別も、VRChatで生じた「GUMBASE」と細々と創作活動を続けてきた「ガムベース」という人格を別物のように考えるのも、どれもきっと正しい理屈ではないでしょう。自分がどうありたいかは別として。相互に影響し合って、どこかの体験があらゆる場の私を変質させているというだけなのかも知れない。

それでもなお、私と呼べるすべての私を統合したただひとつの私なるもの、ドーナツの中心のような、無いけれど確実にあるものを、恐らく今の私は必要とするのではないかと、思うのです。私を困らせる「GUMBASE」から脱して戻ることのできる、どこへでも行けるターミナルのような安定した虚空です(もしかしたらこうして時間をかけて書き事をしている私は、単に創作をする「ガムベース」とさえ異なる私として、複数の私を俯瞰できる私たりえているのかもしれませんが、果たして……)。

ゆえに、まずは大きくなり過ぎたVRChat+twitter+Discord(+twitch)の「GUMBASE」の勢力を削いでやらなければならないわけです。これらのアカウントの使用を控える期間が、きっと良い効果を生むだろうと期待しています。他者との交流はその人用に設えた人格を発現させるトリガーになる。だからVRChatの「GUMBASE」を弱らせている間は、これらのアカウントをあまり使うべきではないでしょう。

ええ、本当なら「極道ちゃん」を使って配信することは好ましくないのかも知れません。でも可愛いんだもの……。