チクル妄想工房

サークル「小公園」の仮拠点です。ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

アニマスが終わってしまった。

 アイドルマスター最終話の感想を書きます。

 いやはや、終わってしまいましたねえ! 先月のこと、去年のことですけれども、年越しで感想を書かせて頂きます。
 いまさらですが、1話から感想を書いていればよかったと後悔してます。こんなに面白いアニメだとわかっていれば、迷わず書いたのですけれど。3話辺りまではいわゆる「空気系」だと思い込んでましたので、ぼーっと見てればいいんだと気を抜いてました。


 Pは相変わらずの痛々しい姿ですが、ライブ当日だというのに呑気に文庫本など読んでいます。作品名を特定してみようかとも思ったのですが、新潮文庫であるらしいこと以外はわかりませんでした。病室にはたくさんの見舞い品があります。小鳥さんが見舞いに来ますが、小鳥さんも本当はライブ会場に行きたかったはず。もしかしてPに惚れてるんじゃないですかね。小鳥さんはリンゴを剥き始めますが、二人は恋人にしか見えないわけでして、「音無さん。あの……ちょっとお願いしたいことがあるんです」はまさかプロポーズするのか、と思いました。
 で、OPなんですけど、千早のときや春香のときはOPなかったのに、最終回ではふつうにOP入れてくるんですね。見て欲しかった、ということでしょうか。調べると、『CHANGE!!!!』の二番の歌詞は、22話〜24話の問題に近いものを歌っています。

 ライブの準備をしているシーン、響はPが恋しくなっている、っていうしょうもないやりとりが入りますが、響だけじゃなくてみんなそうなんですよね。病室には見舞い品が山になってましたし。
 春香と美希のツーショット。ここは13話との対比ですね。二人の役割が反転しています。後ろにペットボトルがあるところまで同じだったりします。
 25話前半は、春香さんのアフターケアであり、それゆえ1話から24話までの総まとめとしても読めます。
「あのね美希」「なに?」「前に、アイドルって何だろうね、って、話したこと、あったよね」「うん」「あのとき、千早ちゃんと美希はちゃんと答えを持ってたのに、私だけ、なんだかはっきりしなくて。でも、いまは自信をもってこうだって言えるよ。私、やっぱりみんなと同じステージに立つときが、一番楽しい。ファンのみんながいて、765プロのみんながいる。私は、この瞬間が一番、アイドルなんだって思うんだ」「実に春香らしいの」「うん。美希も、それでいいんじゃないかって思う!」「うん」
 春香さんは、アイドルってきっと楽しいだろうな、という思いでアイドルを目指そうと思った。そしてその楽しさとは「765プロの仲間と一緒に歌って踊って、ファンも巻き込んで会場全体が一体となってみんなで楽しくなること」であると、22話〜24話で気づいた。二人の会話を千早が部屋のドアの影から聞いています。11話を意識しているんでしょうか。春香さんは一番信頼していたはずの千早に話すのではなく、美希なんですね。美希に春香さんは、23話ではアイドル業への意識の違いを思い知らされ、24話では混乱するままに本音を話した。美希も24話でアイドルたちのなかでは唯一(りっちゃんを除く)春香さんの心の内を本人の口から直接ぶつけられ、春香さんの言葉によってアイドル業への考え方を変えている。ですが、千早も蚊帳の外というわけではなく、しっかり会話を聞いています。
 社長から全員へ激励の言葉。そこへ社長の手品を妨害するようにPが登場します。車いすを押す小鳥さんは私服から事務服に着替えてます。

「誰か一人でも欠けたらだめで、この全員で765プロなんだと思う」と言うPは、入院していたんですよね。前回の事件を知っているのか知らないのか。「団結した765プロはきっと無敵だ。一緒に最高のステージを作り上げよう!」

「ごめんな、おれ、肝心なときに全然役に立てなくて。本当に、ごめん」春香さんは黙って首を振ります。「でも、春香はひとりで見つけたみたいだな。あのときの答え」に、堂々と「はい」と。「頑張ったな!」春香さんは泣きそうな笑顔で頷きます。
 あのときの答え、「あのとき」とは23話ラストのことでしょうか。24話で千早から話を聞いて、春香が相談しようとしていたことに見当を付けたのでしょう。
 そういや、「家族なら、大切なことはちゃんと伝えなきゃな」ってのは、心の底ではきっと気持ちは通じ合っているはずだけれど、それでも伝えるべきことは言葉にして伝えなきゃいけない、みたいな意味だったのでしょうか。すると春香さんが自分の気持ちをみんなに伝えられなかったことは問題であって、24話における春香さんの「みんなを信じている」という言葉は、そういう意味だったと。つまり24話では千早と春香さんの考え方の違いが描かれていたってことですね。あれ、前の記事で同じこと書きましたっけ。

 ライブ一曲目は『READY!!&CHANGE!!!!』です。キーが同じで曲調も似てるなー、歌詞も意識してる感じがするなー、と思ったら、合体するものだったのか。13話で批判が大きかったのか、ファンの合いの手の声量が若干控えめになっていましたねw 鳥肌バリバリでした。アイマスOPは2曲とも名曲ですよねー。限定盤があるうちに後期OPのCDも買おう。

 「ちゃーんと見えてるからねー」はテレビの前の視聴者に語りかけているのかなと思いました。アイドルが一人一人語る。時間を圧縮しないでリアルタイム、つまり物語時間と現実時間がリンクしたまま長い語りが続くわけです。カメラワークもやたら動かないで、喋っているアイドルにズームしたまま。「喋りを聞いている」ときの目線を表現しているのだと思います。つまり、視聴者=観客ということですね。

 りっちゃんはアイドルになっちゃいましたねえ。僕は2度と衣装は着ないと思ってたのですが、それとも最終回の演出的に必要だったのでしょうか。着たってことはりっちゃんは未練があったってことになりますね。18話から繋がっているわけです。ってか、りっちゃんに拒否権はないですよねコレ。

 社長にとって765プロのアイドルたちは「アイドルの完成形」らしい。21話では「若い人たちを信じて自由にやらせてみるのもいいかも知れない」と。14話で語られるのですが、過去の黒井社長との決別は「アイドルの育て方」での意見の違いからでした。黒井社長は「トップに立つためにはどんな手でも使う」人間であって、高木社長は、アイドルたちが自分たちで頑張って成長してくれることを望んでいたのかな?と思います。「団結すること」は、アイドルたちが見つけ出した方法、答えなのかな。高木社長の眼から見れば、アイドルたちが「自分たちの力で生き延びるための方法」でもある。「君がレールを敷いてくれたんだよ」「いえ、おれもみんなも、まだこれからです!」。そうですね、Pはレールを敷いたに過ぎないんですよね。みんなの仕事を取ってきて、アイドルたちが悩んでいたら後押ししてやって。あとはアイドルたちが自分たちで頑張って、13話ではみんなでライブを盛り上げたし、22話〜24話では「みんな一緒」という答えを出した。これがよい方向に進むか悪い方向に進むかはわからない。でもPはそうすべきであると見抜いていた、のか、それとも「アイドルたちがそうしたがっている」のを見抜いていたのか。Pは961の件など大人の対応が必要なところ以外は後押しに徹していました。社長がPを採用した理由がよくわかりますね、Pのやり方は社長の望んでいたやり方なんですね。そして社長はというと、彼女たちだけではなくPも含めた765プロ全体を見守る立場であった。自分のやり方が正しかったのかどうかを見届けたいという思いもあったことでしょう。
 アニマスは「団結」がひとつのテーマになっているらしい。22話でスケジュールを調整してくれたPが、23話で離脱し、P不在の24話は彼女たちの培ってきた「団結力」が試された話であった。大人たちは「見守る」立場を守り続けることができるのか。できる、大丈夫、というのが、アイドルたちが視聴者に見せてくれた答えでした。でも、22話で春香さんは気づいていましたけれど、それは、実はPのおかげなんだよねと。適切な道を示してくれる、レールを敷いてくれる人がいたからできたことなんだと。

 ライブ後半、新曲が始まったと思ったらキャラ紹介とこれまでのおさらいみたいな映像が流れます。まあ僕はいいと思います。「私たちの新曲です。聴いて下さいっ!」って春香さんのアップですが、これも視聴者に対して言ってるんだと思う。キャラ紹介みたいなのはライブ会場のファンではなく、テレビの前のアニメ視聴者が見ているものです。アニマスおさらいビデオみたいのも、巨木の映像にしてもそうです。ライブの観客に見えてるのは歌って踊るアイドルたちの姿です。ライブ後半はアニマスから視聴者へのメタな語りかけがあるのかな、と思います。物語がライブ会場から離れて展開している。この一曲は、ライブの一曲としてではなく、アニマスの物語の終わりとしての一曲ということです。新曲は『いつまでも、どこまでも』。まさにアニマスの終わり方そのものですよね、「私たち」はいつまでも上を目指し続けるよ!みたいな感じかな。
 それにしても巨木は何の比喩なんでしょう。765プロみんなの重ねた手から空まで届く大きな樹が育って、アイドルたちは下界を見下ろしながら歌を歌う。みんなで昇りつめた大きなライブのステージってことかな。もっと上へ上へ、というイメージではなく、アイドルたちが観ている景色は樹が成長しても本質的には変わらない、みたいなイメージがある。アイドルたちは下界を眼下に眺めながらも、もっと広くどこか遠くへと歌っているみたいに見えます。私たちの目の前にはこんな素敵な世界がある、ということを765プロみんなで共有してる感じ。そしてアイドルたちの歌で木々から光が立ち上り、それがサイリウムの光と重なりつつライブ会場の映像にフェード。ファンに向かって歌っているっていうよりは、もっと漠然としたもの、広い世界に向けて歌って、それを聴いたものが自然に輝き出してしまうような。
 ライブでファンの前で歌っているにしては、ちょっと映像の視点がアイドル側に寄りすぎで、アイドルたちの主観の映像ぽくて、やっぱりこの曲の映像はライブから乖離してるよな、という印象があります。13話後半はアイドルたちの歌と踊りをファンとして楽しむライブシーンでしたが、25話の『いつまでも、どこまでも』はアニメ視聴者としてアイドルたちの物語の終わりを見届ける、って感じかしら。こういう映像は意味を読み解くものではないのかもしれないですねえ。
 歌い終えた後のみんなの表情がいいですね。やりきった!って達成感にみたされた顔の春香さん、言葉もなく拳を振るわせているりっちゃんが印象的でした。

 退院し職場に復帰したPを出迎えるアイドルたち。Pの「やっぱり、ここが一番落ち着くな」という台詞が22話から、いえ1話からずっと描いてきた絆、「家族」の絆を表しているんですね。途中から入ってきたPが一番「家族」としての765プロについて理解していたというのも不思議なものです。
「みんな、長い間留守にして悪かったな」「いいえ、そのぶん私たちも、自分たちのことを見つめ直す、いい機会になりましたから」、というのは24話の事件のことですかね。そこで導き出した「みんな一緒」すなわち「家族」の絆を切ってはいけない、という答え。
「あと、いかにプロデューサーが765プロにとって大切な人かということも」。これを千早が言った、ということは、前回Pに相談した件を示そうとしているわけです。ですが、彼女たちの言葉はすべてが765アイドル全員の総意でもある。「家族」だからです。Pを見つめるみんなの顔を見ればわかります。ですから「Pがいかに765プロにとって大切な人かわかった」ことは、みんなが思っていることなんですね。もちろんりっちゃんの言った「自分たちのことを見つめ直すいい機会になった」ことも同じです。千早のセリフに関しては、Pの言葉を直接に聞いた千早と他のみんなとでは中身がちょっと違うかもしれませんけれど。としても、彼女たちがPに言ったどの言葉も、アイドルたちにとってそれぞれ違った形で真実なんです。

 窓から入ってくる花びら、そして花見。締めは1話との対比ですね。対比というか、これは回帰といったほうがいいんでしょうか。みんなで一緒に花見をしている、仕事がなくみんなで集まったときはワイワイ楽しめる関係は変わっていません、5話や22話のときのようにです。1話と対になっているのは、色々あったけど、戻ってきた、ということです。どこに戻ってきたのかというと、「みんな一緒」の、「家族」としての765プロにです。戻ってきて、「また、一から始めればいいんじゃないかな」、再スタートというわけです。まあ……実質的には「強くてニューゲーム」みたいなものですけれど。
 事務所が移転しなかったこともそうですね、あの事務所こそ再スタートの場にふさわしい。変わっちゃいけなかったんですよね。千早の言うようにそこが765プロの思い出の場所だったんですけど、言い換えれば、「家族」でずっと一緒に過ごしてきた彼女たちの「家」だったわけです。「みんな一緒」の象徴のようなものなんです。花見の風景は、22話〜24話を乗り越えて「みんな一緒」を取り戻した、春香や千早が「変わって欲しくないもの」として抱いていた765プロの姿そのものです。というように事務所も「家族の絆」も変わらなかった。でも、変わったものはあるんですね。何が変わったのかというと、いうまでもなく、みんながアイドルとして成長したということ。そしてPが加わったことです。何と言っても、僕が個人的に嬉しかったのは、千早が……千早が弁当を作って来ていたことです!! 料理が苦手で家でも料理してなかった千早が!! 料理するようになったんだね千早!! 皆に食べてもらって「うん、千早ちゃんとってもおいしいよ!」「すっごくグッドなの!」って言われて照れてるよちーちゃんかわいいいいいいうわああああいやあああああああああやべええええええええちーちゃんの可愛さやべええええええええええ!!!! 
 全25話を思い返してみると、765プロのみんなは、「アイドル以外の面」にもちゃんと変化があったんですよねえ。1話と比べればすごくそう。25話の花見のシーンを見ても、千早が春香さんの買い物に進んで連れ添うのはもう当たり前に思えますし、彼女が弁当を作ったのもそうですね。また22話で残していた問題の回収として、春香さんは、22話で渡せなかった財布を退院祝いとしてPに渡すことができた。「嬉しいなー、えへへ」って照れる春香さんが死ぬほど可愛くて、想いの伝えられない現実に自殺しようかと思いました。春香さんがPをちょっと異性として意識しているみたいで、Pを殺したいと思いました。「アイドル以外の魅力」は22話において、春香さんが美希の受賞の知らせでPに財布を渡せなかった、という事態によって否定されてしまいましたが、花見のシーンは、渡せなかった財布を届けることと、アイドルではない彼女たちを描くことで、彼女たちの「アイドル以外の魅力」を二つの方向から回復させたわけです。アイドルとして成長もしたし、普通の女の子としても成長したってことを、物語の枠組みのレベルから肯定してあげたと言いますか。
 あと、社長の飲んでる酒の名前が「団結」でしたね。

 エンディングの絵も面白いですね。千早の部屋は家具が揃えられて、生活感が生まれました。それに、弟の写真と自由張を、そして765プロのみんなからの手紙をいっしょに飾っている。弟のことを真正面から受け止めて彼女自身の力にできるようになった、ということはもちろんですが、それだけでなく、その件で自分を呪うことを止めて歌えるようになったのはみんなのおかげだということを、千早がずっと、いつも胸に秘めているということです。22話〜24話の彼女の言動の根拠は、千早の心の中にあるだけでなく、形としても残っているわけです。棚の上に置いているということは、千早は、大切なものは「形として残す」女の子だってことですよ、なんか、いいですね!ヒョー!!
 EDテーマが『いっしょ』というのも、新曲ではないですが素晴らしいですよねえ。ピッタリの選曲です。一番大きなテーマはどうやらその辺にあったみたいですからね。「みんな一緒」と「アイドル業」の両立問題は春香さんのアフターケアとして25話に挿入されましたし。

 しかし、すっきりしないのは、やはり例の両立問題の解決が、24話でのあんな感じだったことであって……もしかすると24話に不足があったのではなく、こちらの読みが足りなかったのではないかと考えてしまいます。僕の考察は迷走しましたし、実はあれを書いてからもかなり考え込んだりして行ったり来たりしていたのですが、現段階では読みの不足だったという考えに傾いています、というかそうだと思いたいんです。24話についてはまた何か思いついたら書くかもしれません。



 終わってしまったんですよねえ……。木曜日にテレビを点けることがなくなって、僕はいまにも呼吸が止まって心臓が止まってしまいそうです。
 春香さんのことが大好きになってしまいました。恋なのか憧れなのか、とにかく好きで好きでどうしようもない。アニメの春香さんは本当に素敵でした。

 一時期「物語の終わりとはなんぞや」という問題について頭を悩ませていたことがあって、考えがまとまらないうちにアニマスに心を奪われることになって放り投げたままになってしまったのですが、アニマスはこの問題にひとつのヒントを示してくれたと思います。
 アイマスの終わり方は、「私たちの物語はまだまだ続く」という意味ではないと僕は思っています。すべてが終わったこのときこそ、新しい物語の始まり、確かにそういう言い方をしたくなるのですが、厳密にいえばその言い方は適切ではないんです。「変わることのない日常の始まり」と、逆説的にも思えますが、そうとらえるべきだと僕は考えます。1話から25話までのような物語がこれからも起こり続けるだろう、ということではないんですよ。
 アイドルマスターというアニメの始まりは、1話におけるPの入社でした。Pの入る前はみんな売れないアイドルで、Pの活躍でみんなの人気が出始めて、トップアイドルへと(Pの入社から一年足らずなので文字通り)駆け上がっていった。みんなそれぞれ個人の悩みに解決の道を見つけ、最後(22話〜24話)には人気が出るにしたがって失われつつあった765アイドルたちの間の団結も取り戻しました。何もかもが安泰。アイマス世界は「安定」状態になったのです。これからみんなはアイドルとして、「いつまでも」頑張ることになります。なぜならば、アイドルマスターが25話で終わってしまったからです。
 初期は「空気系」にも見えるのんびりした雰囲気、永遠に続くと思わせる平和な日々がありました。「売れないアイドルとして事務所で駄弁る」ことが「かつての日常」だったんですね。1話から25話までを通して、彼女たちの日常には大きな変化が生じ、25話ののちは「人気アイドルとして活躍する」ことが「新しい日常」になったんです。永遠から別の永遠へと移り変わっていく。上では「回帰」と表現しましたけれど、1話と25話を比べるとわかるのですが、取り戻された「みんな一緒」、変わらなかった事務所、と様々なものが1話に照らして元通りの状態になっています。そのなかで変わったものとしては、みんなが人気アイドルになったこと、さらにPが仲間に加わったことです。「変わったこと」と「変わらなかったこと」(千早がこの表現を繰り返していましたね)を抱えながら、物語世界の時間でちょうど1年が経ち、1話と同じく再び桜が咲く季節になってアニマスは終わりを迎えました。彼女たちの日常は、形は変わっても失われなかった、大きく動き、一度崩れかけたけれど最終的に復興したからこそ、本当の意味で「彼女たちの日々に変化が訪れた」と、作品が終わってからも言えるんですよね。大小さまざまいくつもの物語は解決をみて、アイドルマスターの世界は最終回への到達による観測の断絶をもって停止しました。24話の予告「皆さん、私たち765プロは、ずーっとみんなと一緒です」のように、僕はこの作品世界が「終わらなかった」ことに大きな意味があると思っています。作品世界が終わらなかった=閉じなかったことにより、アニメというコンテンツが終わってからは「別の形をした『空気系』」として、視聴者に見えないところで世界が続いていくことになると思うんです。彼女たちが、というよりはアニマスが目指していたのは、そういう「日常」だったんだろうなと。
 アニマスの物語は最終回をもって失われたんです。アニマスにはもともと物語がなかった。日常系だった。まったりとした売れないアイドルたちの日常は、Pの入社によって壊され、動き始め、アイドルの成長・成功という物語に従って25話まで突き進み、そして止まった。25話よりもあとは、人気アイドルとしての日常を彼女たちは生きることになる。彼女たちは日常をより好ましいものとしての形で取り戻した。アニマスはそういう作品だったと考えます。僕が知らないだけで、物語の「締め」にそういう手法をとった作品はごまんとあるのでしょうけれど。でも僕はアニマスのラストに、物語を終わらせる・終わらせないことについての可能性を見ました。

 以前コメントもいただきましたが、アニマスの後半は「過去回からの引用と対比」で話を進めていて、前半があったから後半が成立し、後半での参照によって前半に新しい命がふき込まれました。一話一話のクオリティも高かったけれど、上手いのはそれよりも、やはり、過去回の要素をいちいち引っ張ってきていたところでしょう。アニマスの一番優れている点はここだと僕は思っています。やり方が見事。
 さらに、忘れてはいけないのが、1話から積み上げてきた「みんな一緒」と「アイドル」という二項に対し、22話〜24話で両立できるか否かという問題が提出されたこと。「過去回からの引用と対比」によってなされたことではありますが、特別に取り出してみたい要素です。正直な話、これをやったら凄いだろうけれどそこまで期待しちゃいけないよな、と思ってました。でもやってのけた。解決に疑問は残りはしましたが、問うたこと自体が十分に評価に値します。

 アニマスには本当に感謝しています。こうして長々と感想?考察?を書いたのも初めてです。アニメにはぼーっと眺めているだけではわからないものが沢山詰まっていることを知りました。実感しました。春香さんという素敵な人にも出逢えました。ありがとうございました。アイマスという作品に出会えて本当によかった。世界観変わりました。僕の稚拙な記事を読んでくださった皆さんも、ありがとうございました。