チクル妄想工房

サークル「小公園」の仮拠点です。ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

『映画ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団〜はばたけ天使たち〜』

 ついさっき見たやつで、面白かったので感想を書きたいのですが、あんまり覚えてないんですよね。まいったことに。大筋しか覚えてないです。

 まず書いておきたいのがリルルたんハァハァ、デフォの服装のふともも加減が僕のペニスを勃起させるだけでなく、シコシコ、裸いただきました、お尻が素晴らしいわけですよ、わかりますかね、下着をまとっていないお尻です、生です、しかも傷だらけの姿まで見せてくれます、傷ついた女の子ってとってもキュートでビューティフォーでセクシーですよね。なので、ついテレビの前で……射精してしまいまして、この辺ちょっとイカ臭いです。ディスプレイから濃厚なイカ臭がしたら申し訳ありません。

 なんでよく覚えてないのかっていうと、見ているうちにどうやら、相変わらずの「ロボットと人間が仲良く」って話っぽくなってきたと思ったので、またかよとがっかりした気分でしばらく真剣に見てなかったんですね。子供向けってことにして愛と友情でごまかすんだろう、やだなあクソッ、子供馬鹿にすんなよと思って。
 ですが、そんないい加減なものではないらしいことが段々にわかってきまして、リルルたんに愚息をおっ勃てながら最後まで見てしまうことになりました。いやまったく、感動ですね。

 ひよこが「人間もリルルたちと一緒なんだ」みたいなこと言ってましたが、「一緒」という言葉、何となく好ましい響きがありますが、この言葉が重い意味を持ってるわけです、センズリをする手を止めるくらいには。右から左へ聞き流して残響だけ楽しむような言葉ではないです。
 犬とか猫とかの動物が殺される光景を見て気分を悪くする人は少なくないと思います。動物虐待ですね。でもそれと比べると、蟻を踏み潰すのはそれほど抵抗がないのではないでしょうか。なぜかというと、たぶん、犬や猫は自分たちと同じで、虫けらはそうじゃないと考えているからなのです。
 自分たちが犬や猫の立場だったら、嫌な感じがするなあ、と人間は思考します。動物虐待を可哀そうって感じる仕組みは、そういうことなんじゃないかなあと僕は思っています。でもその一方で、虫けらに対してはそんなふうには考えようとしない。なかなか勝手ですねえ、じつに人間らしい(笑?)。

 で、ロボットにもこれを適用するのが『鉄人兵団』なわけです。ロボットと人間の立場の逆転も起きています、ロボットが人間を支配するという。支配っていうと善と悪という構図になってしまうのですが、蟻を百匹踏み殺しても死刑に処されないのと同じで、メカトピアのロボットたちにとって人間は人格を認める必要のない労働力なんですね、言葉を変えれば労働する機械です、(ドラえもん映画でいうところの)現実世界の人間にとって、ロボットがそうであるように。それって善と悪って単純な話じゃないですよね。

 のび太たちは自然に感情移入するんですよね、ロボットに対して。どちらが支配し支配される、という意識はまったくない。ごく自然に仲良くなろうとする。のび太たちにとっては最初から「一緒」なのです。なぜならばドラえもんがいるからですね。実は敵の手先だったひよこは、のび太たちとやがて馴染み、あと数日でロボット兵団が攻めてくるというのに彼らは鏡の世界で夢のように日常を謳歌する、それが、儚くてね、見ていて。
 予定通りって感じで、ひよことその親友のリルルは人間への理解を示し、攻めてくる鉄人兵団に反旗を翻します。ですが、圧倒的な力の前に歯が立たないのですよ。のび太たちには抵抗するすべがない。
 そこでリルルは、細かい経緯は忘れちゃいましたが、しずかちゃんと一緒に、自分たちの最初の先祖を作った神、人間でいうところのアダムとイヴを作った神に会いに行くことになります。ロボットは人間が作ったものであって、だから、神というのも実は人間だったんですが、その博士は争いばかりしている人間に絶望してロボットの世界を作ろうと思い立ったらしい。でも結局ロボットも人間と同じことをしていたことになるわけで、未来の事実を知った博士はすすんでロボットの改造に応じてくれる。思い遣りの心を組み込もうとプログラムの改変を始める。でも博士は途中で老衰しちゃうんです。そのあとをリルルが継いで、プログラムの書き換えをして、歴史が変わって地球は救われるのですが、そのせいでリルルもひよこも消えてしまう。
 地球のほうは危機を脱したのですが、しずかちゃんはね、辛いですよ。博士が死に、リルルも消えて、しずかちゃんはロボットの歴史の始まりの場所に、一人残されるんです。消えてしまった友達のもしかしたら生まれる可能性に、その友達を失った悲しみのなかひとりで立ち会わなきゃいけない。なんかもう、これはとても孤独で、辛いと思った。そんなシーンです。

 「一緒」という考え方についてですが、蟻を踏み潰しても心が痛まないというのは、蟻と人間は一緒じゃないから、解り合えない、話し合うだけ無駄、消すしかない、人なら殺せないけど、モンスターなら殺せる、人は踏み殺せないけど、蟻は踏み殺せる、という思想です。
 けっこう残酷な思想なんですけど、一般に受け入れられてますよね。さまざまな重大な問題を生んできたし今も生んでいるんじゃないかと思うのですが、無くならないようです、人間に元来備わった価値観なのでしょうか。

 で、悲しいことに、リルルもひよこも、そういう奴ら(モンスターとして扱われている侵略者)と一緒になって消えてしまう。解り合えてもなお救われない。リルルは、生まれ変わったら天使になりたいみたいなことを言うのです。悲しいなあと思って観ていました。
 救われないな、と思ったら、最後の最後に、逆光のシルエットだけですが、リルルと、翼を生やしたひよこが登場します。なんでひよこって思ったら鳥になる伏線だったのか、と。
 タイトルにもあるように、彼女らは天使になったんです。人間に作られたものでありながら、それはおそらく博士の思い描いた、そして博士とリルルの作った、理想の世界に住む、理想の人間なんです。人間じゃなくてロボットなんですけど、ロボットっていうか、そもそも博士は人間を作ろうとしたんですよね。文明の発展のために競争心を組み込んだのも人間という生き物をモデルにしたからで、人間に未練があったからで、博士は人類の歴史をやり直したかった。人間はクソだから駄目で、ロボットなら素晴らしい世界が作れる、人間よりもロボットのほうが優れているという話ではなくて、人間って争ってばかりの醜い生き物じゃなく、もっと素晴らしい生き物なんだってことを、彼は信じたかったんです。