チクル妄想工房

サークル「小公園」の仮拠点です。ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

Re:TRY −リトライ−

Re:TRY −リトライ−
Tears Lab.様

ループ構造と選択肢をうまく使った作品ですね。
ループものを多くやっているわけではありませんが、いや実はぜんぜんやったことないんですけど、この作品はいろいろよくできてるなと感じました。
繰り返しプレイの必然性、正当性みたいなものを追求した作品、だと思います。
まさにリトライ。逸品です。
ループものにおいて、画面の前にいるプレイヤーとは何なのか、この作品をプレイしてじっくり考えてみてはどうでしょう。

▽以下ネタバレあり


ノベルゲームの特性を活かしてゲーム性を取り入れるための仕掛けとして思いつきやすいのは選択肢でしょう。物語のある時点で主人公の行動や思考、または他の何事かについてAというケースをとりBというケースを捨てる。それによって、その蓄積によって、物語が変化する。

選択肢によって「ゲーム性」を取り入れようとするとき、おそらく問題になるだろうと僕が考えるのは、物語と読者が、一時的にであれ切り離されてしまうということ。多くの場合物語作品というのは一本道で分岐はありません……というか、物語を読者が手に取ったとき、それはかつて無数の分岐を含んでいたがすでにある一定の選択肢群が選択されたあとのもの、として存在するのではないかと思うのです。読者がそれを読みつつ、……もし物語を先取りして仮想的に選択を繰り返すとしても、彼は次の瞬間目の前に現れる風景を追いかけていくしかない。
そういった場所に突如現れる選択肢という装置は、一本道の物語を急停止させ、読者に「物語を読んでいる自分」を思いださせるものとして働くだろうと思うのですね。どうしてかというと、選択をするのは主人公ではなく読者だからです。主人公は、あるいは物語それ自身は選択された道をただ辿るだけです。一瞬だけプレイヤーが主体的に物語に関わる、というよりいきなり引っ張り出されてすぐに突き放される、選択肢というものは安易に使えばそういうものになると思っています。(そうでないもの、それを乗り越えようとしたものも数多くあるでしょう。僕はあまり詳しくないのです)。この作品ではそういった問題が見事に克服されている、と僕は思いました。

この作品は物語のループという仕組みによって構築されています。この仕組みは、一般的には主人公(とは限らないでしょうが)が同じ時間(とは限らないでしょうが)を何度も(とは限らないでしょうが)繰り返すというものですね。「ループもの」なんていわれてひとつのジャンルとして扱われることもあるようです。ノベルゲームと相性がいい、なんて言われていたりもするみたいです。
主人公は想い人のりんごちゃんが悲しんでいる理由を聞き出すためだけに同じ日を何度も繰り返します。実はこの作品の物語の主要部分はこれだけです。世界の破滅みたいな大きな出来事はなにもなくて、ごくふつうの日常のなかで、ひとりの女の子の信用を得るために奔走する主人公がいるだけ。

とある一日の一周目、主人公はりんごちゃんをなぐさめることができませんでした。その一日は再びやってきますが、二周目も主人公はりんごちゃんから泣いている理由を聞き出すことはできなかった。そこで主人公は三度目の一日に挑む。
三度目の前にいったんタイトル画面に戻るのですが、タイトルに戻るという仕掛けもよく考えたなと思いますし、ここでタイトル画面のもっていた意味もわかりますし、TRYがRETRYに変わる演出も上手いなと思います。ここの演出はただ感心しました。

主人公はある一日のなかで様々な行動に付随する選択をやり直し、りんごちゃんに信用してもらうための最善のふるまい方を見つけようとします。プレイヤーがやることは主人公の一日の行動を選択してあげることです。主人公がりんごちゃんに信用してもらえるような行動を選んであげるのです。要するに、身も蓋もない言い方になりますが、りんごちゃんの「信用ポイント」を最大限獲得するための選択肢の組み合わせを試行錯誤しながら見つけ出すというゲームをプレイする、ということです。
物語作品というものは基本的に一本道で、プレイヤーは完成された物語を辿るのだと上で書きました。この作品も(三週目までは)選択肢に正解の選択の組み合わせが存在する以上、物語としては一本道に変わりありませんが、この作品には幾度となく繰り返される主人公の失敗、さらにプレイヤーの失敗までもが織り込み済みなのです。この作品のすごいところはここです。
タイトル画面に戻る前、主人公は失敗を経験しています。一度目はふつうに一日を過ごしりんごちゃんの悲しみを知ります。二度目は過去に戻って自分のふるまいを省みながらも、またもりんごちゃんの涙の理由を知ることはかないませんでした。主人公はりんごちゃんに信頼してもらえなかった無念と、もうやり直せないという後悔に落ち込んでしまうのですが、そこに再び繰り返しのチャンスが訪れる。
この、二度目の失敗から二度目のやり直しへの繋がりこそ、TRYがRETRYに変わったあとのプレイヤーの失敗を先取りしているのです。この物語は、プレイヤーにRETRYの権利が与えられる以前の主人公の失敗があることによって、主人公が繰り返す一日で再度失敗してしまうという物語をすでに内包しており、RETRYにおけるプレイヤーの失敗は、二周目(プレイヤーにとっては一周目)における主人公の失敗に重なり、失敗の後に主人公の繰り返しが予定されていることによって、プレイヤーのさらなるRETRYへと自動的に繋がるのです。
画面の前の人は、ただ読むだけの読者ではなくゲームをプレイするプレイヤーであり、プレイヤーでなければ読者にもなれません。この作品は、主人公の失敗という仮想世界の出来事と、プレイヤーの失敗という現実世界の出来事を重ね合わせつつそれぞれ物語、ゲームの構成要素の一部としています。プレイヤーは物語と離れたところから腕だけ伸ばして主人公を操作するのではなく、失敗するかもしれないという「リアルな選択」によってプレイヤー自身が物語を構築していくのです。その仕組みによって、この作品は自身が一本道の読み物ではなくまぎれもないノベル「ゲーム」であることを自ら肯定します。選択と失敗の繰り返しによって正解を探すというゲームであることは、プレイヤーが最善の選択肢を探すという、物語から切り離される瞬間さえ想定内の効果として作品中に取り込んでいます。

と、いちおう物語が終わりを迎える三周目(プレイヤーの感覚では二周目?)までの感想のようなレビューのような何かでした。

ともかく僕は感動しました。とても優れた作品だと思います。

ちなみに四周目はマルチエンドになっていて、選択肢が一気に増えて多彩なエンディングを見ることができます。単なるおまけではなくて、りんごちゃんの真の救済が描かれているという点をみると最後までやってこそこの作品は完結したといえるのでしょう。
一度物語の目標を達成させて完結させておきながら、真のエンディングらしきものをさらに用意する、それさえも「繰り返し」に含めてしまう、というのも凄いことなんだと思います。僕からあれこれ書くのはここまでにしておきますが、間違いなく最後まで見たほうがいいです。
ただ、エンディングを全部見るのは難しいです。すみません、作者さんのページの攻略情報を見てしまいました。






『ノベルゲームレビュアーは笑わない』をうっかり発表してしまったために、ちょっと自分の立場を意識してしまって、自分自身何となくレビューとか感想とか批評とか書き辛くなってしまいましたが、あからさまに態度を変える必要もないと思いますので、いままでどおり、気が向いたときに好きな作品を好きなように書く、というスタンスでやっていきたいと思います。