チクル妄想工房

ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

たわしの話2

 次にりつ子さんに触ってもらえたのは一週間が過ぎてからだった。お母さんは靴の洗濯をりつ子さんにもう一度やらせたいらしく靴洗いを言いつけるお母さんの声を聞いた僕は風呂場でりつ子さんの姿が見えるのをいまかと待ち焦がれていた。静かな足音が近づいて扉が開き嫌そうな顔をしたりつ子さんが姿を見せた。お気に入りのスニーカーをぶら下げている。元は真っ白だったがいまは泥や砂にまみれて薄茶色をしていた。おそるおそる足を下ろし濡れた床にびっくりしたりつ子さんはさっと足を引っ込めたかと思うと洗面所に飛ぶようにあがってしまいしばらく物音を立てていたがやがて濡れた靴下を脱いでふてくされた顔で戻ってきた。りつ子さんはしゃがみこむと靴を洗面器に入れて足元に置き、スカートの中の幼い純白を見せつけながら私の柄を手に持った。りつ子さんは洗剤も使わずに撫でるような力で私の身体を靴に擦りつけるだけで私や靴にとってはマッサージ以外の何物でもなく汚れが落ちるはずはなかった。
「よう束子君しばらくだったな」と靴が言った。「一週間ぶりじゃないか。元気してたか」
「君こそ元気そうじゃないか」僕は答えた。「どうした、またそんなに汚れて君も大変だね」
「そうでもないよ、りつ子さんに汚されるのはまだましだよ。お母さんの次に綺麗だね、りつ子さんの靴は」
「それもそうだね。一郎さんやお父さんの靴はたまらない」僕は笑った。
「それにりつ子さんは可愛らしいし」靴は照れたように言った。「きっと美人になるよ」
「そうかもね」僕は変な気分だった。
「昨日は縄跳びをしたんだぜ。りつ子さんは運動神経が女の子にしてはいいんだ。五十回も飛んだんだ」靴は自慢げな調子でとうとうと語る。「砂埃が舞って僕は大変だったけどりつ子さん初めて五十回飛べて嬉しそうだったなあ」
「そうかい、よかったじゃあないか」
 僕はだんだん嫌な気持ちになってきた。彼とりつ子さんのひとときを聞くのが耐えられないほどに僕の胸を締め付けた。頭を靴底になすりつけられながら不機嫌な顔を押し隠していた。りつ子さんは手を動かしながらいつになく真剣な表情で僕らを睨んでいる。
「僕は君がうらやましいね」と口をついて出た。
 靴は意外そうな声を出した。「なんだって?」
「いつもりつ子さんと仲良しで楽しそうでうらやましいと思ったのさ。りつ子さんはどこへいくにも君と一緒でなければいけないだろう。君はりつ子さんと一緒にいられるだけじゃなくていろいろな場所に行けるし、いろいろなものが見られていろいろなものに出逢えるじゃないか。それに引き換え僕などは年中この風呂場から出られない。僕にとってこの狭い風呂場が世界のすべてなんだ。一日に何度か家族の人の会話を隅っこのほうで盗み聞きするくらいしか楽しみがないんだ」語れば語るほど悲しく卑屈な気分になっていった。「今日は運がよかったよ、りつ子さんに握りしめられて君とこうして会話できたんだからね。でも靴洗いが終われば僕はまた孤独だ。だから君がうらやましいと言ったんだよ」
「なんだそんなことか」靴はいかにも軽い口調だった。「まったく馬鹿げてるね。君は君だろう。君は君の世界を楽しむしかないのさ」僕はまるで自分が馬鹿にされているように感じた。靴は続けた。「僕だって辛いことがないわけじゃないんだぜ。君の想像もつかないような過酷な場所にりつ子さんが足を踏み入れることだってあるんだ。そのたびに僕は死にそうな思いをするよ。何度か死にかけたことだってある」
 靴の言うことは説得力があったがどうしても認める気にはなれなかった。「でもやっぱり君のほうが幸せなんだと思うな」
「どうだろうね」靴は小さく笑った。「それにしてもりつ子さんは不器用だね。洗剤も付けずにこんな軽い力で擦ってるだけじゃいっこうに汚れは落ちないぜ。こっちはくすぐったてたまらないというのに」靴は体をゆすろうとしたが彼一人の力ではできなかった。
 そのときお母さんが顔を覗かせて「りつ子。ちゃんと洗えてる?」と訊いた。「ウンだいじょうぶだよ」とりつ子さんは答えたがお母さんは洗剤が使われていないことにちゃんと気付いて洗剤を取ってりつ子さんに渡した。りつ子さんは余計なことはするなと言わんばかりの顔でしぶしぶ受け取ってその液体を靴に流し込んだ。靴は苦しそうな顔でうなった。
「大丈夫かい」
「ああ、何ともないよ。いつものことさ」靴は強がっているように見えた。
 りつ子さんの力は相変わらず弱かったが洗剤のおかげで汚れは少しずつ落ちてきた。靴がみるみる泡だらけになっていく。洗剤の使いすぎだった。
「ああやっぱり苦しい、苦しいよ束子君。助けて」
「ごめんよ。ごめんよ。僕には君を助けることはできない」苦しんでいる友人を眺めているしかできないのは心苦しかった。「大丈夫かい君。しっかりするんだ」
「ああ、ごぼ、ごぼ」靴は青白い顔になり息も絶え絶えだった。
 僕が取り乱しているうちにりつ子さんは洗濯を終えて清潔な水道水を靴に注いだ。
「あっ」靴が意識を取り戻した。「ああ苦しかった。これから毎度これかと思うとたまらないよ。お母さんの洗い方とは大違いだ。いくら初めてだからとはいえ、まったく」
「本当に苦しそうだったね君、もう平気かい?」
「心配ないさ、僕は靴だ」靴は言った。
 りつ子さんはすすぎ終わった靴を掴むとろくに水も切らずにそのまま風呂場を出ていった。僕は一人取り残されてしまった。その日はふろの時間まで誰も風呂場に来ることはなかった。苦しそうにあえぐ友人の姿が何度も浮かび僕はそのたびに溜息をついた。

(つづく)

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そういや、「風雲相討学園フラット」ってゲームに束子ってキャラがいたっけ。
フリーのアドベンチャーゲームです。面白いですよ。