チクル妄想工房

サークル「小公園」の仮拠点です。ガムベースの作ったものを載せたり、他人の創作物への感想を書いたりしています。

妹小説

 片側二車線の欅並木の大通りを自転車で十分のところに、どの方向から見ても立方体をした三階建てのデパートがあって、僕はとある漫画の週刊誌をその店で買う。それ以外は足を運ぶことのないその店は地下一階が食品売り場で、その日僕は妹に夕飯の買い出しのついでにチョコレートを頼んだ。僕が好きなのは明治の板型のミルクチョコレートで、妹も知っているはずなのに、ただ安かったからという理由で妹はロッテのガーナチョコレートを買ってきた。赤い箱がテレビを見ていた僕の目の前にそっと差し出された。妹は僕の言いつけに一度も文句を言ったことがなく、僕の笑顔を期待するようなはにかんだ表情がチョコレートの赤いパッケージと対比になって僕を困惑させる。僕がそれを食べたいと望んでいたと妹が本気で考えてその買い物をしたのだとしたら、僕たち兄妹の間にひびが入ったも同然だと不安になる。僕はもちろんチョコレートを受け取って妹の目の前で箱を開けて銀紙を剥いた。僕の手元に目を落とす妹の不安そうな顔を見て、妹が実は明治のミルクチョコレートを買うつもりが、本当は値段につられてではなく、自分の好みによってロッテのガーナチョコレートを買ってしまったことを、僕に対してすまなく感じていることに僕は気づくのだった。だからこそ、結局チョコレートは僕と妹の腹にきれいに収まった。昔からそうしたように半分に割って半分ずつ食べた。
 僕と妹はおかしなほどに仲がよく、部屋も僕が二十、妹が十四にもなるいまもなお同じ部屋を使っていて、机を横に並べて、二段ベッドの下に僕、上に妹が眠る。妹のベッドの枕元には電子音式目覚まし時計があって、僕の枕元にも同じ型の目覚まし時計が置いてある。実際のところひとつの部屋に目覚まし時計は二つも必要ない。僕が起きれば妹を起こすし、妹が起きれば妹は僕を起こす。そうして一度も遅刻したことのない僕たちは、ある日二人そろって学校に遅刻した。僕と妹が兄妹としての一線を越えたその夜、目覚まし時計をかけ忘れて、二人して抱き合ったままひとつの布団で眠った。
 僕が妹への恋心を自覚したのは、新学期が始まって一月が経ったある日、僕と妹が下校中に示し合わせたように合流した夕方、手を繋ぎながら歩いていたとくべつ珍しくもない帰り道だった。並列走行の自転車に突き飛ばされそうになる妹を力いっぱい引き寄せると、見た目よりもずっと軽い体重に勢い余って僕は背後に倒れこみ、アスファルトにあおむけに横たわった僕の上に、妹が覆いかぶさる体制になった。妹の胸元が僕の握力ではだけ、薄桃色の下着が顔を覗かせているのを目にしたその時、ふいに硬直を感じて顔が熱くなるのがわかった。激しく脈打つ感覚に妹の腿が当たっているのを僕も妹も気づいていたが、高潮する妹の顔が切ない愛情を浮かべ、僕の静かな興奮が、いまにもはち切れそうに孤独に脈動していた。
 僕の眠る真上から控えめな寝息が聞こえる。僕は布団の中で耳を澄ませて妹が寝入ったのを確かめてから、屹立した局部をさすり始めた。ズボンの上から尿道口を探り、中指を添えて上下に摩擦し強い快感を求めた。妹の真下で自慰をしたのは初めてではなく、年ごろの僕たちはどうしようもなく絶倫で、兄妹ゆえきっと体の相性も悪くないと僕はいつも想像した。ついに終焉を迎えようというとき、ふと異変に気づいた僕は、下半身の快感から妹の寝息の乱れに意識を移すと、それは寝息ではないようで、呼吸は荒く疲労の色を露わにし、僕が自分を慰める時と同じような調子で荒くなり、緩くなり、激しくなって妹は唐突に息を詰まらせた。瞬間、振動を伴ったきしみがベッドを通して僕の躯体に伝わる。
 僕はティッシュを注意深く処理するようになったが、妹ははばかることなくゴミ箱をあふれさせていた。妹が僕に覆いかぶさったあの帰り道から、妹のよそよそしくなった態度に僕は寂しさを感じていた。僕にしても、意識せずとも妹を避けてしまうことに気づいて、どうしても避けざるを得ないのが皮一枚でつながった兄妹という関係なのだと、きっとふたりとも理解していると思っていた。相変わらずベッドでの情事は続き、ふたりの想像の中で僕たちはお互いに乱れに乱れ、大声を上げて兄妹ではない関係を求め合っていた。部屋に満ちた妹の甘ったるい分泌液の香りが僕と妹の理性を狂わせて汗を滴らせシーツを荒らし、いつか近づけるかも知れない信じてすらいない将来を毎夜夢にみる。
 自動販売機で買った五百円のコンドームは僕の性器に密着し、満足な気分で床に座り込んで自慰に励んでいると、ドアの隙間から吹き込む風が背中に当たって、後ろを向きそうになるのを、すんでのところで思いとどまった。そういえば、と僕は手を休めず考える。傍らに置いたティッシュの減り具合はゴミ箱の内容に釣り合わない。数週間前からだった。僕は手を動かしながら、ほのかに残る妹の香りがもうじき消えてしまうことを名残惜しみながら、希望や絶望を一度に吐き出した。背筋が反射的に伸びてうっ、と声が出る。頭が真っ白になる。ドアが完全に開き、背中に温かく柔らかいふくらみがふたつ、潰れる感触があった。
 それは夢だったのかも知れなかった。終わってから僕は、ベッドの底を見つめながら、ひとりのときよりも温かい温度と、肌に触れる柔らかい感触があることに、何の違和感も覚えないことを不思議だと思う。妹の寝息が上からではなく隣から聞こえてくることを当たり前だと思い、昔からそうだったように思う。羊水を泳いでいたころから離れないように手を繋ぎ、外に飛び出してから離れ離れになっていたのが、もう一度羊水に戻った。だからこうして手を繋いで眠れる。手を繋ぐということは生まれる前や、生まれた後の、何かしらの契りのようなものなのだ。
 やがて目を覚ますはずの妹は目を覚まさず、僕も同じように目を覚まさず、いつまでも眠り続けることばかり望んで温かい水の中をふたりで手を繋ぎながら漂っていた。漂っている間は目を覚まさないから、果てのない大海原か、あるいは四方を壁に囲まれた箱の中だろうか。どちらも同じく出口はなく、目をつぶればすべてが暗闇だったけれど、暗闇では夢を見ることができたから、僕たち兄妹は手を繋いだまま目をつぶるのだった。
(終)